朝10時、道の駅に出ようとしていたところに電話。
「今日来るんですか?」という従業員からの問い合わせで、あ、お客様が待っているんだな、と納得。
大急ぎで飛ばして行ったら、お餅を買ってくださるお客様が「ずーっと待っていたんだよ」と。
そしてそんなにとびっくりするくらいにどっさりお餅を買ってくださいました。冷凍されるんだそうです。
このお餅、オトーサンのレシピなんですねえ。私はなーんもやってない。夫が亡くなった後、冷蔵庫に
夫が貼り付けたレシピどおりに餡子を煮てお餅をついているだけ。
夫は独立した人で、ガンを患ってからも一人で病院に行ってました。テレビドラマなんかで見ると、
ガンになったご主人の診察に不安そうな表情の奥さんが傍に付き添って先生のお話を聞いている、
という場面が多いので、そういうもんだろう、と私も付いて行こうとすると、「何しにくるの?」「先生に
呼ばれたの?」と不思議そうに問われてました。
だから全然行かなかった。診察の結果も夫が一人で聞いて、家に帰ってもほとんど病気の話はせず
普通、ほんとにフツーだったから、最後の入院で先生から状態が悪い話を聞いてもほんと、実感が
湧きませんでした。
それが入院してから、それも定期診察の日に「1日2日入院して様子をみましょう」と言われて入院してから
1週間ちょっとでかき消すようにいなくなってしまった。
「まいったなー。突然死んじゃうんだもんなー、そりゃないでしょう」なんてことある毎に思ってたけれど、
いくら抵抗しても、居なくなった人の痕跡はひとつひとつ消えてゆきます。
「7、8年前ごまのお餅を初めて食べた時、甘くてうまいなあ、と思ったんだよ」
今朝聞いたお客様のその言葉で、オトーサンの痕跡は消えてないんだと思い至りました。
夫は日本の高度成長期をコンピューター一筋に歩んだ人です。
コンピューターで家族を養ってくれて、退職後は自分が大好きなお餅のレシピを作ってお餅屋さんに
なり、都会しか知らないサラリーマンの妻だった私に地方での毎日の仕事を残してくれました。
自分の夫ですがたいしたもんだ、と思います。「私はオトーサンに生かしてもらってるんだな」なんて
考えながら帰る道すがら、有難くて胸が熱くなりました。生きてる時は衝突ばかりしてたのに・・・。
帰ったらまた道の駅から電話。
明日、まとまった数のお餅の注文です。
ありがとうございます。今から気合入れて小豆を煮て餡子を作ります!
最近温氏がお父さんと考え方がよく似ているんだな、と思うことがあります。病院に行くのも行かないのも自分で判断して、一人で聞いてくるので、私としては不満なところもあるのですが、お父さんの病院の件を読んで、何だか納得してしまいました。まだまだいろんなところにお父さんの足跡は残っているんですね。
それはね、命に関わることでも一人で受け止められるということなのです。病気になってから死ぬまで、お父さんは全く愚痴らず、普通どおりに
お餅をつき、いつも一緒の孫の世話をし、私とたくさん話をして穏やかに生を終えました。それでいいのだと思います。