新聞バッグ東京会議

東京に行って、「暑い、暑い、この暑さはなんなんだ。東北へ帰ろう」と帰ってきたら、翌日から暑いこと、
暑いこと。激暑で、猫のシロリンも年寄り犬チビもグターッとしています。

とにかく風が抜けるところなら、場所構わず。
勝手口の外でごろん。。邪魔だーー!

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さて、東京での話し。東北新聞バッグプロジェクト会議。

四万十ドラマご一行&海の手山の手&在ニュヨークで現在帰国中の新聞バッグインストラクターHさん、&いろいろとお手伝いくださったり、とにかく何かやっているから見てみようという企業さま等々にご参加頂いて、東北新聞バッグtoニュヨークの会議が行われました。

会議の場所は、四万十ドラマの畦地社長とパソナ本社森田氏のご縁で度々使わせていただいている新丸ビル14階のパソナ本社会議室。私たち海山だったら絶対にお願いするのも憚られる立派な会議室です。

待ち合わせは新丸ビルの外のカフェ。
新丸ビル外カフェは以前はなかったと思うけど・・・。今東京ではカフェが流行りらしいです。
カフェから見る東京駅丸の内出入り口はいい感じでした。

DSCF1961 さて、会議は。

いつ、ニューヨークのどこで、どんな形で東北新聞バッグiの展示をやるのか。費用はどうするのか、というような話し合いは何度も続けられているのですが、時間が経つうちに、ニューヨーク、高知、カリフォルニアなどなど内容は大きく変化し大きく膨らみ、変化のスピードも速くめまぐるしい。梅原真団長の話を一言も聞き漏らすまいと全神経を集中させる3時間でした。疲れた。

写真を撮るゆとりもなく、やっと撮ったら半分片付いていた。

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会議の後は、毎回楽しみの懇親会。八重洲のお店で2時間楽しんだ後は、森田さんのご好意で、首からぶら下げたカードがなければ出入りできない、新丸ビル内の通称森田ラウンジへ。

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ここでも会議の続きのような話が続きます。大震災後、新聞バッグを教えて頂くために四万十の方々と初めて出会ってから3年。何度も顔を合わせるうちに、なかなか噛み合わなかった居場所の違いも、感覚の違いも徐々に徐々に理解できるようになって、誤解を恐れずに本音でお話できるようになりました。

取り返しのつかない大災害で何もかも失って気づかされたのは新しい価値。一人では何もできない。   何より大事なのは人と人の繋がり。みんなで力を合わせれば、大きな仕事ができるということ。
楽しくてビールを飲んでワインを飲んでいい気持ちで酔っ払ったよっちゃんは、思わず梅原デザイナーに
今取り組んでいる納豆作りの話ついでに「パッケージデザインをお願いします」と言ってしまって、梅原さんから「いいよ」と快諾を得ました。

言ってしまったよっちゃんもびっくり。聞いた私たちもびっくり。
納豆作りは大変です。豆は高温栽培。気温が高くなってから種を蒔き、暑いさなかに倒れないように土を寄せ、雑草を抜き、実がつき始めたら、虫と動物との闘いです。ちょっと油断したら端からカラスや狸、カモシカから食べられちゃうからね。
収穫したら、畑で自然乾燥させ、莢から豆を取り出し、選別して初めて納豆になるという工程を踏みます。

でも、今年はよっちゃん、張り切らざるを得ない。

素晴らしい会議でした。次は9月。それまでたくさん考えて良いアイデアを持って次回の会議に臨みたい。飛行機が苦手でニューヨークになんか絶対に行かない、と思っていた私が、「睡眠薬飲んで眠って行こうかなあ」なんて時々思うようになりました。

「その気にさせる」会議というのは、やはり凄いもんだ、と感心してます。

 

 

 

 

 

 

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