南三陸へ

朝から台風一過の(といっても雨はそこそこ降って、風は少し)晴天。超暑そう。

土曜日はお餅仕事が少々忙しくなるので、ゆっくり仕事をこなして午後から南三陸へ。畠山さんのおじいさんにお別れに行きます。

うちから瀬峰という小さな町を通って、佐沼という地震で目茶目茶にやられたちょっと大きい町を過ぎて、最後に大きな大きな河、北上河に行き当たります。北上川の堤防を走り大きな橋を渡って米谷という町に出ます。道に沿った路地入り口に立つ「原田甲斐宗輔の墓」と大書した立て看板が気になって仕方がないのだけれど、車が止めづらいので行ったことがない。ほんとに伊達騒動の原田甲斐のお墓なんだろうか。

米谷を過ぎると山道に入り、越えると南三陸に入ります。南三陸元(今も)志津川の町は赤い土の盛り土
(高さ10.?メートルと道から見えるように札に書いてある)だらけで、色合いがエジプトのよう。

午後3時を過ぎてからけいこさんちに到着。
何時行ってもわんわんわんわん食いつかんばかりに吠えっぱなしの黒犬マックは、今日も鎖を引きちぎらん
ばかりに吠え立てていて、普通の日と何も変わらないんだけど、おばあさんのお顔は一回り小さくなってました。

お互い後家さんになりました。
お父さんやお兄ちゃんたちはいなくて、おばあさん、娘二人、孫娘の女ばかりで、おじいさんがいかに亡くなるまでちゃんと生きていたか、という話をしました。おじいさんはほんとに優しかった。と私が自分の感想を言うと、「孫や子供を叱ることがなかった。優しくて気働きがあって町の人から信頼されていた」
と全員が口を揃えました。

そんないい男と結婚したおばあさんは、いつ見るときもおじいさんとお雛様のように横並びに座っていて
いかにも、何時も何する時も一緒という感じでした。しばらくは「いない」という喪失感がおばあさんの胸を
いっぱいにするでしょう。
帰りに、これまでよそ者は近づいてはいけないように感じていた海の近くまで行ってみました。

回復途上の小さな港には船が浮かんでいました。

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そして来るときには必ず寄る防災庁舎へ。

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お地蔵様の前に飾られた小さな心尽くし。

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明日日曜日が納骨だそうです。

津波で流されたお寺は仮設のお寺だそう。檀家さんの生活が大変な今、お寺の再建は困難が多いだろう けれどそれでもあってよかった。

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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