発想の転換

古川の町に出た時に、一緒にいた5歳の孫に「おうちが町にあったほうがいい?」と聞いたことがあります。

そうしたら「うん」って。

「どうして?」

「だってすぐにお出かけできるでしょ?ぼくのおうちはイナカ?」

「そーなの。田舎なの。前はね、大きな町に住んでて、ママはその町で大きくなったんだよ。ディズニーランドとかホテルとかお買い物するとことかいっぱいあって、お出かけはすぐできるんだけど、ばーちゃん、
お出かけいっぱいして、くたびれた」

5歳に言ったって仕方ないんですが、一応説明しておきました。

都会で消費者専門で暮らして60年近く。田舎に住んで素人生産者になって12年。

企業で働く夫とともにあちこちの大都市を転々と転勤しながら時折り胸をよぎるのは「これは終わりがないな」ということでした。どこまで行っても終わりがない。

衣食住の全てをお金で買う都会での暮らしは、収入が多いほうがいい。見場からいえば夫の職場での
ステイタスも高いほうがいい。働く本人もそう思うでしょうから、会社で必死に働く。でも会社も猛烈な
競争にさらされているから働いても働いても、もうこれでよし、ということはない。

働く時間が長いから家では何にもできず、電車がなくなればタクシーで帰宅し、外でご飯を食べるから
お金ばかりかかります。いくら給料が上がったって、楽になるということがない。

子供3人を学校にやれば不足のお金は奥さんが働くことになり、忙しいので出来合いのオカズを仕事の
帰りに買って帰ったり、外食したりしてれば、いくらお給料もらっても豊かになるにはほど遠い。

子供が小さい間は子供を預ける場所も預けるお金も必要になるわけだし、要するに経済を大きくすれば
するだけ豊かに便利になるのではなくて、いつも追っかけて追われて心は余裕がなく、つまり「貧しい」という
か、「良い生活」ではないんだろうなあ、と思ってました。

よっぽど、元々財産がいっぱいある人は別ですけど。

60歳を過ぎて夫が退職した後、仕事をしないで都会でどうやって暮らすのかを考えた時、まあ、直感みたい
なものですが、都会よりも田舎に住むほうが生き易いのではないか、と思って見も知らない東北の里山に
囲まれた小さな集落に住み着きました。

来た翌年に道の駅がオープンしたことから、農家の人が手を付けない米を加工する生産者になりました。

ここに住んでから「目から鱗」の連続でした。

ここでの生活はお金では動かない。必要なものだけをお金で買ったら、後は自分で作る、という生活です。
経済をどんどん大きくしていって追っかけるという暮らしではないので、生活に必要なものの蓄積があるし、気持ちにゆとりがあってみんな優しい。よそのお宅を訪問する時も、ケーキやお菓子を買って持って行く習慣はありません。自分の家にある大根だの菜っ葉だの漬物だのを持参します。

そういう生活だから精神的には都会で暮らすよりよほど楽なんですが、やっぱり若い人は都会のほうが
暮らし易くみえるらしくて、どんどん出て行って人は減るばかり。

ここのあたりの説明はとても難しいのですが、面白い本を見つけました。

題して『里山資本主義』

読みながら、亡くなった夫といつも話し合っていたことだ、と懐かしく思いました。

あんまりこの手のことを話したりブログに書いたりはまずしないのですが、やはりこの考えはひとつの
発想の転換であり、都会の人も、特にこれから賢く強く自信をもって力をつけなければならないここ里山の人たちに読んでほしい本だと思います。

 

 

 

 

 

 

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