会議は続く

今日も会議でした。

次から次へ会議が続くので、今日終わった会議から逆に思い出していかないと、何話したんだか

忘れそう。

土曜日。四万十チーム来訪。

震災後、「仕事を作り出そう」という海山の活動のために、わざわざ遠い高知から新聞バッグを作り方を

教えに来て頂いたのが最初です。それから梅原、畦地氏を頭に置くチーム構成でもう何度宮城まで来て

頂いたことか。東北に於いての「仕事つくり」の応援なのですからほんとに有難いことです。

おかげでたくさんのお仕事を作り出して頂くという経過があり、その流れの中で来年の春にはニューヨーク

東北新聞バッグコンクールを開催することになりました。

 

先月高知でしまんとインストラクターさんたちを交えてのニューヨークに向けての企画会議があり、その結果

を踏まえて、こちら東北の折り手さんやインストラクターさんたちの理解や協力をお願いするために、これま

で古川で開いていた会議を、私たちの地元であるこの集落の活性化センターで行うことにしました。

 

折り手さんといえど、さすがこの集落のお母さんたち。

テーブルにはお母さんたち手作りのりんごの甘煮やしそ巻き、手作りたくわんのお皿やコーヒーなどが並ぶ

ローカル色の強い雰囲気の中で会議開始。

「なんでニューヨーク?」

普通に考えれば突飛な思いつきだと思われるに違いないニューヨークでの東北新聞バッグコンクール。

そこに至る経緯を順を追って説明した結果、「しまんとさんにそんだけ世話になったんだから、いつまでも

おんぶにだっこじゃいかん。自分たちでがんばらねば」という励ましの言葉を頂けました。

 

ほんとによかった。これでみんなで目的を共有しながら一歩一歩企画を進めていけます。

 

そして夜は恒例の懇親会。これも古川の町はやめて、川渡温泉で。あえて宿泊する温泉旅館の前の

食べ物家さんで飲んで食べて歌ってしゃべって無礼講という楽しい会になりました。

私は早めに帰って明日のお餅つき。

 

日曜日

昨日も大車輪でお餅の仕事をこなしたけど、今日も4時半起きで仕事を終え、古川の会議室へ。

四万十チームがこプロジェクトで宮城に出向いてくれるのもこれで最後。今回仕事を一緒にする気仙沼の

小野寺氏も会議に来てくれました。

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バイタリティ溢れる畦地社長、出てきた意見は全て見事に紙の上に整理整頓してしまうファシリテーターの

智子姉さん、そしていつも冷静で心温かい意見を静かに述べられるファンドレイジングを担当してくださる

洋行さん。

みなさんのおかげで1枚の紙の上にニューヨークまでの重要事項が描き出されました。

しまんとチームのみなさん、遠いところをありがとうございました。

 

そして月曜日の今日は。

道の駅出荷組合の会議です。

これまでの1年が終わって次年度へ。

道の駅始まって10年を過ぎ、出荷する組合員も高齢化が進んできました。10年経ったら、ほんと、みんな

トシとったなあ、と感慨深い。10年前にやれてた作業がやれなくなっています。

原発事故の放射能後遺症もまだまだ続行中。問題山積です。

 

明日は会議がないのでちょっと休憩。

気が付けばやっぱり春は近づいていて、周りの田んぼは白鳥やがんがいっぱい。こうこうと鳴き交わしなが

ら西へ東へと空を行きかう白鳥に見とれて車をぶっつけそう。さっきから雨がざあざあ降ってます。

東北で2月の初めに雨なんて、嘘でしょう!と言いたいような天気です。

 

 

 

 

 

 

 

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