集落行事

夫が亡くなってからついに巡ってきた集落の資源ごみ当番。

朝6時半から7時まで、ということで早朝5時に起きてお餅の仕事を一部こなし、ダウンを着て毛糸帽子を被り、フードも被り手袋もするという重装備で現場到着。寒いのかなあと恐れていたけどさほど寒くない。

同じく当番のお隣りのOさんと一緒に集荷小屋の中を整理整頓したり、持って来た人のお手伝いをするのが
仕事。といっても集落関係は全部夫任せで、自分では何にもやったことがないので勝手がわかりません。

夫のようにはうまくいかないけど、Oさんとおしゃべりなどしてそれなりに30分が経過。たったこれだけのこと
なんだけれど、夫の代わりにやれるかなあ、と思っていたので、ホッと安堵して帰ってきました。

さて次の集落関係は正月の2日の新年会。この町では(たぶん)町全体で正月2日に新年会をやる、ということに決まってるのだろう、と思うけど、これも引っ越して以来出席体験なし。

これも夫の欠かさない正月行事でした。でもいないのだからどうにもならんので私が行きます。
とは思うものの、部落の皆さんのお顔や名前を見知っているわけではないので、正直腰が引けます。
反対側の隣の0さんの奥さんに「一緒に行って」と頼みました。

1年に1度のカン拾い、1年に1度の草刈り、資源ごみ当番、睦親講に参加してのお葬式のお手伝いから
何かの役割りまで引き受けて、集落の役に立とうと務めていた夫を、たいしたもんだったなあ、と感心します。実に辛抱強い人でした。

 

年賀状が行き来する時期になりました。
うちの場合は喪中葉書なんだけど、なかなか書けなくて、やっと2日ほど前に書いて投函しました。
もう年賀状出しちゃったよ、という人がいるかもしれない思いながら。

案の定というか恐れていたとおり、次々友人たちから電話がかかってきました。
いなかったからいいようなものの、1日に何度も、「どこのガンだったの?」とか「苦しんだ?」とか聞かれたくないし、答えたくない。

夜遅くかかってきた電話には捕まって訊かれることには答えたけれど、我ながら無愛想で後、自己嫌悪。
お気持ちは有難いけれど、喪中葉書を見てすぐに心配して電話をするというのは、違うかもしれない。

そうだ、嬉しい電話もありました。

新聞バッグを作っていないのでずいぶん合わない、海から離れた山の中の辺鄙な場所にある仮設住宅に
入った白石さんの奥さんから、お悔みの電話が。仮設の暮らしも3年近く。「胸苦しいようで体の調子が
悪い」とのことでした。元気印のご主人の今の仕事はみなし仮設の運転手。こまめにお仕事を見つけてくる
白石さんらしいいなあ、と思いつつご無事を祈りした。

明日から3日間は餅つきで始まり、餅つきで終わります。

 

 

 

 

 

 

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