妄想・・・海の手山の手3部作

11月の初め頃からだんだん元気がなくなって、風邪ひいて熱出して、何日経っても熱が下がらなくなって
いい加減嫌になっているところに、恒例の1年に1回発刊する同人誌「みず」の締め切りがきました。

昨年までは原稿を集めたりする担当者に名を連ねていたけれども(実際には何もやってない)、今年は
担当を外れたので、さっそく仲間に電話をして「今年はやめる。書かない」と言ったら、言下に「ダメよ!
待つから。時間かかってもいいから書かなきゃダメよ。書いてね」と。

80歳をこされた先生(作家の高田宏先生)がお元気な間はなんとか続けたい、と1年に1回の原稿を
書き続けてきて今度で24回目。
やっぱりなあ、1回もパスしたことないんだから書いたほうがいいかなあ、と熱が下がった時を見計らって
海釣りが大好きなだった夫が行きたがった女川に釣り場を探しに行った時のことを20枚の原稿用紙に  書きました。

いやあ、これは悲しかった。今でもこの状況を思い出すと涙が止まらなくなる。津波で何もかも壊された
女川には夫が親しんだ釣り場がもうないことも、癌が進んで体力がなくなった夫を宿泊させる設備が
ないことも、電話の向こうで良い答えを期待する夫に何ひとつ良い返事ができないことも、悲しかった。

で、書いてしまってから思ったんですが・・・。

海の手山の手3部作、というのを書いてみたいなあ、と。

もちろん、第1部は海の手山の手「新聞バッグものがたり」。                             よっちゃんが言う「ことのはじまり」から東北新聞バッグコンクールinニュヨークまで。

第2部は海の手山の手「花ものがたり」。                                          梅農場での菊作りの師匠との出会い。そして師匠から指導を受けての、よっちゃんのお父さんと私の生まれて初めての4000本の菊作り。それから時が経って小野寺菊農場が再開されるまで。

第3部は海の手山の手「布ものがたり」。                                          布の物語ははまだ完結していません。今も途上にある。避難所の旅館で初めて手縫いのエプロンを見て、その腕の見事さにびっくり仰天したことから、縫製工場の方たちだと知ってミシンを集めたこと。
思い起こせばたくさんのものがたりと出来事があったし、今も手元にある糸や布をどう使うかというのも海山の課題です。

 

妄想、妄想、妄想!

デザイナーの梅原先生が仰ってました。何事も妄想から始まるんだと。

でもね、書く時間もないし、書き方もわからない。物忘れはひどいし、集中力もあやしい。
誰か、こうやって書くんだよ、と教えてくれる人いないかなあ。

夢、夢、夢!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妄想・・・海の手山の手3部作” への5件のコメント

  1. いつぞやグリリ栄子さんの記事に勘違いの書き込みをしてしまった粗忽ものです。やっと今日腑に落ちました。朝カルの高野先生のグループで「獏」という発行しておりましたが、お仲間の一人が栄子さんだったものですから、すっかりその「獏」のおひとりかと思ってしまいました。
    「獏は」は1987年に『女性たちの名文』という一集を出版社さんが発刊してくれたことで終わりました。そちらの「みず」24回目ということですから、その「獏」が終わったあたりから始まったのですね。

    わたしは結婚した娘が20年以上仙台に住んでおります。また震災以後は同人誌の若い仲間が石巻へボランテイアに行ったまま住みついたり、蕪栗沼の雁に会うために出かけたりしておりますので、宮城県はことに親しい土地になっております。

    ブログを拝見いたしまして、大変なご活躍をなさっているのだなーと感じ入った次第です。どうぞご自愛くださいませ。

    1. お久しぶりでございます。「よっちゃん農場ドタバタ日記」のアシストをするつもりで(海山ネットの活動報告を一人でやるのはなかなか大変ですので)ブログを書き始めたのですが、こういうコメントを頂くと、出会う筈もない方とこうして共通の友人について語り合える時も齎されて、大変嬉しいことです。
      この春、国東半島に移住していた仲間の一人が東京に戻りましたので、二人で修道院に栄子さんを訪ねました。行くたびに美智子さまのことを楽しそうに語られます。
      少しお歳を召したように感じました。以前から病気をお持ちだったのですが、近頃病院に通われることが多いようです。岩淵さんのメールのことをお話しすると
      とても懐かしがっておられました。那須のトラピストです。ご住所、お教えしましょうか。今はフランカさんですが、グリーリ栄子さんでもお手紙は届きます。
      お元気なうちに栄子さんをお訪ねになってみてください。
      仙台においでの際には、少し足を伸ばして鳴子温泉にもお立ち寄りください。

  2. いつぞやグリリ栄子さんの記事に勘違いの書き込みをしてしまったものです。やっと今日腑に落ちました。朝カルの高野先生のグループで「獏」という文集を発行しておりまして、お仲間の一人が栄子さんだったものですから、すっかりその「獏」のおひとりかと思ってしまいました。
    「獏は」は1987年に『女性たちの名文』という一集を出版社さんが発刊してくれたことで終わりました。そちらの「みず」24回目ということですから、その「獏」が終わったあたりから始まったのですね。

    わたしは結婚した娘が20年以上仙台に住んでおります。また震災以後は同人誌の若い仲間が石巻へボランテイアに行ったまま住みついたり、蕪栗沼の雁に会うために出かけたりしておりますので、宮城県はことに親しい土地になっております。
    ブログを拝見いたしまして、大変なご活躍をなさっているのだなーと感じ入った次第です。どうぞご自愛くださいませ。

  3. ありがとうございます。
    なんか、宗教心もないものが伺ってもいいものかとも怯んでしまいますが、ご縁があればお目にかかりたいものです。

    ぐりり栄子さんのことを、ネットで検索したのは、小学生のころ、近所だった田中希代子というピアニスト(日本で初めてショパンピアノコンクールで入賞した方)のことを探っていた繋がりでした。

    すみません、不手際な入力になってしまいまして。とにかく、お体を大切に。

    1. こんにちわ。私もクリスチャンでもなんでもありません。でも栄子さんはお訪ねすると大変喜ばれます。栄子さんもお歳を召されました。修道尼になられても相変わらずたくさん楽しくお話しなさいますよ。お手紙を書かれたらどうでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA