東日本大震災から1000日

今日で東日本大震災から1000日。
避難生活を続けておられる方々は今なお27万人。
石巻だけでも仮設住宅133か所。1万5000人が仮設住宅での暮らしを強いられているということですが、
15000人といったら、私が住む町の人口と同じです。

仮設住宅を訪れる度に、特に子供さんがいる家庭や、お年寄りがおられる家庭は、この狭さで暮らして
いくのはほんとうに大変だろうなあ、と思います。

というふうに言うと、南三陸のけいこさんちのおじいさん、おばあさんが言われます。
「いやあ、避難所に入れてもらったり、仮設住宅に住まわせてもらったり、有難いことだー」って。
「狭い、不自由なんて言ってられない」といったスタンスです。が、でももうすぐ被災から3年という時間を
考えると、やっぱりねえ。遅いわ。

何より震災の話をすると、なんだか流行遅れの話題を持ち出しているような感覚が私までする、という   ことがそもそも問題なんだよね。

 

海山ネットでも新聞バッグを作り始めて2年半経ちました。

時々注文が途切れて、もう新聞バッグは魅力が薄れてきたのかな、と不安というより半ば諦めのよう
な気持ちで思う頃にまたどーっと注文を頂いて、もう12月。振り返ってみると注文が途切れたのは春の
ほんのひと時期で、後はずーっと忙しく海山メンバーは新聞バッグを作ってました。

東京渋谷区の恵比須駅近くに「まある」さんというギャラリーがあります。とても素敵な雰囲気の、主には
絵画の新しい作家さんたちの作品を応援しつつ展示即売されているお店です。

まあるのオーナー木川さんにはこの2年半の始まりから現在に至るまで、必ずといっていいほど毎月
決まった枚数の新聞バッグをご注文頂いています。ひと月2回ということもあります。先日お電話を
頂いた時は、次の催しが「新見南吉(童話のごんぎつね、手袋を買いにの作者)の絵本の装丁」の展示
なので、新聞バッグにご本を入れて差し上げようと、思ってと仰っていました。

前回は宮沢賢治だったそう。そんなふうに新聞バッグが使われているところを見てみたいです。

横浜の日本新聞博物館のミュージアムショップでももう長い間、新聞バッグを置いてくださっています。

大津の株式会社ウルズの角川社長も常に気を遣っていただいて、ご自分の会社のみならず、その
お客様まで紹介して頂いて、昨年も今年もずいぶんたくさんの新聞バッグのご注文を頂きました。

仙台には横山芳夫建設設計事務所、あとりえ横山さんからも、ご協力頂いています。
あとりえ横山さんの社歴を見て、びっくりしました。女川の魚市場、塩釜の魚市場、歴史に残る宮城の学校、公共の建物を築かれており、先の大震災でほぼ全てが失われて、どれほどかがっかりなさっただろうと
思います。

支援として、ということもありますが、でもエコのクラフトを作る仕事として、素晴らしいと思ってくださっての
ご注文であろう、と信じています。

今日は横浜のSさんから重たい箱いっぱいのドイツの新聞が送られてきました。

ありがとうございます。
支援×善意×人を繋ぐ×新聞バッグ作りの腕前を仕事として認めてもらう対等な関係×あるものを利用して
新しい価値を作る×イロイロ。

そんなふうに考えると、この新聞バッグを作るという仕事は、なんだか今までにない仕事の形だなあ、と思えます。
まだまだ続くよ。ニューヨークまで。

 

 

 

 

 

 

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