手仕事

毎朝、お餅お餅をつきあげて、最初のあん餅のひと切れを手に取る時、これが熱いんですよ。

お餅をつき始めて初めの頃は、熱いのが怖くてドキドキしてましたが、今はドキドキはしないです。     それなりに用心しながら1個分を掴みとるけれど、その時毎日必ず思うのは、「いったん手を止めると熱くてもう握れなくなる」、ということ。

そんな時これも必ず思い出すのは、私が子供だった頃の母の手。

私の母は私が小学校に上がる前から中学3年くらいまで、散髪屋でした。

小学校を出てすぐに床屋に奉公に出されて一人で大きくなったものだから、床屋が大嫌いでした。
縁あって一緒になったのは教員の父。でも戦後で働ける学校は少なく、やっと先生の口を見つけても
血の気が多くてすぐに喧嘩して辞めたするので、母は3人の子供を育てるために床屋を開業しました。

 

さすがに昔とった杵柄で、母が柱にぶら下げた茶色の長い革で、日本ぞりや洋ぞりの剃刀を研ぐ手さばき
と音は今も忘れません。それと、男の人の髭剃りの後に、熱いタオル蒸し器から熱い、私だったら
絶対に触れないような熱いタオルを平気で持って、男のお客さんの顎にあててました。

何故かそのことを毎朝思い出します。よくあんな熱いタオルを平気で持てたもんだと。

手で覚えたり体で覚えたりする仕事って、そういうもんなのですね。

花の仕事を長い間やっていたので、花を栽培して売るという状況は、外から見るときれいな仕事に見える
らしく、花屋になりたいので教えてくれませんか、と自宅に来た人が2、3人います。

でも花も同じで機械ではないので「こうこうよ」とは教えられない。
何年も何年もタネを蒔いて、芽が出たところから育っていくその葉の形態や様子を見覚えて、花が咲いて
散るまで、寒いのがいいのか暑いのがいいのか、乾いたほうがいいのか、湿ったほうがいいのか、と
見て触って覚えて行きます。

今朝やっと稲刈りが終わったユミさんが朝早く、稲刈りの間に摘んだという蓬餅をもってきてくれました。
稲刈りの間に蓬摘む人は滅多にいないと思うんだけど・・・。さすがユミさんです。

でユミさんが言うには「まー、天候不順で今年ほど機械が壊れたことはなかった。あーー、大変だった」と。
修理に持って行っても、そこで直すというんじゃなくて、部品待つんだよね。

ほんとに車でも機械でも、昔のように「直す」というんじゃなくて、「直す」というのは部品を変えるんだ、という
時代になっちゃいました。いいんだか悪いんだか。

ちなみに、私はあん餅だけではなくて切餅というのもやってます。

夜についたお餅を朝、包丁で切ります。機械かなんかで切っていると思っておられるお客さんも多くて、
こんな柔らかいお餅をどうやって切るの?と言われますが、包丁で切るので特に苦労してません。
でも最初の1、2年は手首が腱鞘炎みたいになってサポーターつけて包丁握ったりしてたけど、今は何枚
切っても応えないです。

よく働き過ぎじゃない?休んだほうがよくない?と言われることありますが、今やっているくらいの量
だったら、休んでも休まなくても同じくらいにしか感じない。
ガンで体が弱ったオトーサンに「やらなくてもいいんだよ。休んだっていいんだよ」って、何度言っても
「やってもやらなくったって同じようなもんだ」と亡くなる10日までまでお餅ついていましたが、オトーサンが
亡くなった今、自分でお餅ついてみて「なるほどねえ」と思ってます。

 

そう考えるとなんだか「手仕事」って面白い。
いつの間にか、普通だったらできないだろう、というようなことが出来るようになっている。

さて、今日のお餅つきも終わったので休みます。

 

 

 

 

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