東北新聞バッグプロジェクト第2弾の2日目

明けて2日目                                                                                                                                                                                                    今日はお餅はお休みしました。夫亡き後にお餅作りを開始してから初めてお休みです。

たまにこうして6時頃まで寝ると、「ゆっくり休んだなあー」という満足感があります。

さて昨日の会議で、東北新聞バッグコンクールは、もしかするとニューヨークで開こうということに
なったけど、どうやってこの目標を完遂させるのか。

今日は、今回第2弾を共にやることになった陸前高田からは、本当は東京の方、今は陸前高田に
居続けて陸前高田の人みたいになっているH女史。気仙沼からは唐桑半島のミチタさん、が
出席してくれています。

これから先の道筋を話していかれる畦地社長。
出席者の一人一人が意見を出すように導き、出て来た意見を余すことなく、文字や絵柄にして
書きとっていくファシリテーターの智子さん。
論議が重なり話が煮詰まってくると、要所要所で、両手でも抱えきれないほどの広さと深さを内包する
話を見事に整理してしまわれる梅原先生。                                        文章を作り、書き、新聞バッグの検品を一手に引き受けておられる道の駅十和の森岡駅長。

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今日ほど、四万十チームの一人一人の凄さ、チームとしての凄さを感じたことはありません。

一見荒唐無稽のような、東北新聞バッグコンクールinニューヨークも、四万十チームの方々と同じところに
立って、一人一人の役割を真剣に果たせば可能になるのではないか、と初めて思えました。

振り返れば大震災直後、被災地を見に行って衝撃を受け、「東北の経済復興なくして日本の再生はない」と
本気で思っていた日々がありました。そんなこと全然なかったんだ、と今は解かりますが、でも
川を保全するために作り始めた四万十新聞バッグと、仕事つくりのために残った手を活かして作り始めた
東北新聞バッグが、手を繋いで、東北や四万十を越えて普遍的な意味での手で作る仕事として新聞
バッグを作り続けてきてよかったな、と今は素直に思えます。

 

今日も横浜の方Sさんから、少しづつ溜めて頂いたドイツ新聞が送られてきました。
私たちがこうして活動を」続けられるのは新聞紙を送ってくださる皆様のおかげです。
ありがとうございます。

南三陸のムッちゃんから、「秋刀魚もらったから、送るね」と電話がありました。
ありがとうございます。明日は秋刀魚だ!!

 

 

 

 

 

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