人として忘れてはいけないことー初七日にー

先週終わった夫の葬儀では、いえ、葬儀だけではなくて夫の死の前後に起ったさまざまな事柄には

人として忘れてはいけないことがたくさん詰まっていたように思います。

人が死ぬという生の終わりの凝縮された時間だから、磨ぎ澄まされたようにその人の生きた証がその短い

時間に滲み出てくるのかもしれません。

 

もう今日は初七日です。

72歳の私のボケかけた頭では、ここ10日ほどの間に起った、私が「人として忘れてはいけない」と思う

大切なことをあっという間に忘れそう。

ここでオトーサンが生きているなら、いつものように、「今度のお葬式でさァ、私思ったんだけど」と夫の記憶

装置と分析力を利用させてもらうんですが、いかんせん居ないもので、自分なりの努力をして忘れないよう

にしておこうと思います。

 

このブログは海の手山の手の私のつぶやきでもあるけれど、都会で生まれて都会でしか暮らしたことのな

い都市型人間の夫婦が、退職後の人生を、まったく見ず知らずの東北の田舎に移住して、どう生きて

どう終わろうとしているかが行間に詰まった記録のようなものでもあります。そしてその都会からきた田舎で

の暮らし方を全く知らない私たちを、集落の人たちがどのように受け止めてくれたか。

 

今書かなかったら忘れそう。

 

今日は初七日でした。

お盆に御参りするお墓にも家の中の仏壇にも全く縁なく育った私は、初七日とか法事とかには参列した

ことがなく、今日の夫の初七日も何をするのか、どういう意味があるのかわからない。

 

夫が亡くなっていく間も亡くなってからも、常に我が家に気を回してくれている近所の由美ちゃんが、

朝早く「仕事が入っちゃったよー」と駆け込んできました。由美ちゃんは10何頭の牛を飼っていて、広く

米も作っていて、トマトも作る専業農家の奥さんでいながらヘルパーさんです。

夕べからいろんな準備をしてくれていたらしく、重箱その他に御馳走を詰め込んできました。うちには

ないたくさんの座布団も持ってきた。

これが由美ちゃんが朝作った法事用の御馳走です。おいしそー!!

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ご飯はきのう拾った栗で炊いた初もの栗ごはん。

「えー、うちまだ落ちてないよ」と言ったら、由美ちゃんちのは彼岸になる栗なんだそう。
へー、そんなのあるんだ。

お約束の時間は9時ですが、その15分も前に、由美ちゃんちの近くにある真昌寺の和尚様が、自分で車を

運転してみえました。

みんなが揃うまでにちょっと時間があるので、和尚様のお話しを訊きました。

「ガンを患った私の友達が40代の半ばに仏門に入り尼さんになったのですが、修行が大変だったというのです。お坊様の修業とはどんなことをなさるのですか」という私の質問に対して

「ご飯を作って食べて片付けて掃除をしてご飯を作って食べて掃除をする普通の生活が修行です」

300人分の食事を1週間作り続けることもあるけれど、その生活をしていて解かってくることがあります。
病は口から。口から出るものは災い。

「病は気から、ではないんですか?」

「病は口から。口から入るもので病になる。良薬は口に苦しというでしょう。気はひとつの要素です」

ちなみに和尚様は曹洞州のお寺のお住職で作法は禅宗、とうかがいました。

以前に私の両親が二人一緒に亡くなって和尚様に送っていただいた時にも、「50年間に初めてみたいなできごとだ」と仰って、集落のやり方を押し付けず、「どうしたいか、やりたい形をいいなさい」と何度も訊ねて
くださいました。今度も同じでやりたい形でいいのだからと、ここの集落では火葬が先なのですが、告別式
の後に火葬という私たちのやり方を集落の皆さんに説明してくださいました。

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畳のない洋風の家に座布団や応接台を持ち込んできての初七日です。DSCF1076

たまたま今日が休みだったということで、参列してくれた道の駅のオープン当時からのお友達。
鳴子の奥の中山平でブルーベリー園をなさっているお母さんが、この辺りの女性たちがそれぞれの家の味
で作る「紫蘇巻」と作ってくれました。

夜に電話をしてきてもらったすぐ上の別荘地の仲間であるNさん。最初の頃は時に話をする程度だったの
ですが、今ではみんなご近所が大事になって、参加してくれています。

背中を見せている千葉君は、南三陸戸倉まで夫と一緒に最後の釣りをした時には、二人で車に乗って
ほぼ1日二人で話をして、つききり付いて夫の釣りの世話をしてくれました。釣れたのはたった1匹だったけど、夫は以前のように自分でさばいて、自分で煮つけてきれいに食べてしまいました。千葉君が1日中、
ほんとに真剣に真剣に夫の体調に気配りしていた様子を私は忘れないと思います。

 

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こんなふうな初七日でしたが、夫はとても嬉しいと思う。

 

東京にいたらたぶん、こんなお葬式はしなかったし初七日もお葬式と一緒に済ませたり、という形を

とったと思います。でもここにいたから思いもかけず、普段の日々を一緒に過ごすみんなと一緒に

初七日を終わらせることができました。

 

私が楽しいというのもなんだけど、49日は子供たちも帰ってくるというから、夫が喜ぶような楽しい

49日にしようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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