これからの道

大震災後の4月に、この町の梅農場で海辺から避難してきた人たちと一緒にお花見をした後に、なんとなくというか必然的にというか、みんなで力を合わせて「仕事を作ろうよ」と始まった海山ネットワーク。

この2年間、ほんとにいろんなことがありました。超スピードでたくさんのことが起こり、たくさんの方々と
知り合いになりました。海山ネットがなかったら、お餅を作って花を作って「売上の回復は難しいんだなあ」なんて今頃普通に嘆いていたのかもしれません。

そしてたくさんの事柄と出合って、それを乗り越えることも、たくさんの人たちと出会って人との出会いに
感謝、感動することもなかったと思います。それだけは確かです。
だから私たち海山ネットは海山ネットを始めて、いろんな意味で豊かになりました。

避難先でも仮設住宅ででもできるということで、海山ネットの手作り仕事は「新聞バッグ」ということになったので、お金だけは豊かにならず、今も超貧乏。必死、決死の運営を続けています。元代表よっちゃんも、現代表「omochi」も 何時の日か海山で5000円でも10000円でも給料もらうというのが夢。新聞バッグで給料貰うというのは、夢みたいな話ですもの。

でも海山の山の手主要メンバーである私もよっちゃんも梅農場も個人営業者。自分の食い扶持は自分で稼ぐ日々なので、とにかく毎日私はお餅を搗き、よっちゃんはなんばんを育ててよっちゃんなんばんを作り、梅農場では休んでる時あるの?と不思議に思うほど、一生懸命に働いています。

そうやって2年半続けてきた海山ネットワーク。

大震災から2年半というのは、被災地の事象も人々の心も変わります。
景気は全然上向かない。これからますます悪くなるでしょう。建設関連以外は。今の福島原発の様子では福島に安泰の日がくるのは何時なのか見当もつかない。あやさんが帰れる日は来ないような気がします。

という日々の中で、海山ネットワークはこれからの道を模索する時期にきています。
たくさんの方々に援けていただいたこれまでの日々に区切りをつけて、気合いを入れ直して、自分の商品、この土地から生まれる商品、そしてリサイクル&人との出会いの象徴である新聞バッグを組み合わせて
よい手作り商品作りをしてゆきたいと思います。

新聞バッグが繋いでくれたたくさんの友人たちと一緒に。

 

 

 

 

 

 

 

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