南三陸へ

今日は快晴。風もなく暖かく良い日です。

ところが、うちでは朝から井戸のポンプが動かなくなるという大ピンチ。おかげでおもちは半分作ったところで
中止。その半分を道の駅直売所に持って行って出荷し、叔母を迎えに東鳴子温泉へ。

それにしてもアベノミクスだか公共事業だか知らないけれど、工事の多いこと。国道も県道もトラクターが行き来する農道も長ーい広範囲の工事でどんどんどんどんきれいになってゆきます。そんなお金があるんだったら、以前の様にETCでも工夫して高速料金を安くして、東北に人が来るようにしてほしいです。

水が出ないのと工事で約束の時間を大幅に遅れて宿に到着。91歳の叔母を助手席に乗せて南三陸町に
向かいました。

防災庁舎で手を合わせる叔母。91歳でよくまあ、南三陸まで出てきたものだと感心します。東京でテレビで見ていた被災地の姿とは全く違っていたようで、「これは見なければわからない」とショックを受けて涙をこぼしています。

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庁舎の背後に横たわるコンクリートガレキの山。
「ガレキってまだあんなにあるの!?」
叔母の家に行く度に「だいぶ復興した?」と私に訊ねていた叔母の言葉です。

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いるかどうかわからないけれど、せっかく来たのでM仮設住宅の菊の師匠の元へ。

運良くO夫妻はいてくれました。
「狭いところですけど」と奥さんのMちゃんにお部屋に案内された叔母は、4畳半2間だけの仮設住宅に初めて
入って、「大変な災難に合われましたね。もとは立派なお宅にお住まいでしたでしょうに」と言いながら
涙をポロポロ流していました。

0さんご夫妻のお仕事は菊作りと工場の経理。この地を離れては生計が成り立ちません。
「家は?」と訊ねると、やっと土地の確保には目途がつきそうだとのこと。2年後くらいには「家が出来るのかなあ。
それでも2年と思えば嬉しい気持ちになる」とMちゃん。2年以上にわたる仮設住宅の暮らしは、身体の具合
が悪くなる人がとても多いそうです。

M仮設を出て、次には新聞バッグを受け取りにY仮設住宅へ。今日は新聞バッグインストラクターのKさんは
お出かけで、留守居のおばあさんが新聞バッグを渡してくれました。
今はわかめの収穫が終わってちょっとひと休み。次はほたての仕事が始まるそうです。

往復4時間ほどもかかって東鳴子温泉の宿に戻りました。

食事を終え、温泉に浸かり、福島は国見からきた方と石巻の北上町からみえたお客様とご一緒しました。
知らなかったけれど、国見の方によれば、福島県内陸の国見は地震の被害が最もひどく300戸の家が壊れた。 自分の家も壊れたけれど、1階が残ったので修理してお父さんと二人で暮らしている。みんなバラバラ。

 

大川小学校が目の前の北上町のお二人は、目の前に迫った津波から山に駆け上って助かった。家は流れて
今は仮設住宅にいるけど、初めて「温泉に来たよ」と明るく話してくれました。
家は3年後くらいにできるのかな。「いや、わからないね」と二人で笑っています。

 

「来てよかった。見てよかった」と何度もくり返す91歳の叔母との南三陸行きでした。
もうこんな機会は来ないのかもしれないけれど、ほんとうに来てくれてよかった。
私自身は91歳まで生きたいとは全く思わないけれども、もし生きねばならないのなら、こんなふうに生きられれば
いいなあ、と思いました。

 

 

 

 

 

 

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