50年のサイクル

晩秋のある日、畑で熊除けに大音響でかけたラジオの国会中継を聞きながらインゲンマメを採ってました。
収穫をするのは楽しい無心の時間です。ところがラジオの中継になんとも聞き捨てならない名前が何度も
登場します。

「〇〇〇」。                                                             会社の名前ですが、かつて私が働いた会社の名。夫が大学卒業以来仕事をしてきた会社でもあります。
その会社が突然に不当に社員を解雇している。そんな横暴を許していいのか。応えよ、野田総理、という質問でした。野田総理がウヤムヤと答えようがまた元に戻って「こんな解雇を放置するのか。野田総理」とオウムのように
同じ質問が繰り返されます。

 

なんなんだ、これは?

長年その会社の傘の下で生活してきて、社会人としての教育も最初はそこでやってもらったようなものですが、
人を人として視なさないという会社の姿勢はなかったように思います。仕事を疎かにすることは許されないけれど、
職種、役職に関わらず個人の人権は優先して護られる会社でした。
それがどーなっちゃったの?

 

帰って夫に聞くと、夫もびっくりして調べたそうです。
「わかった。会社のトップが取締役も含めて外国人になっちゃったんだよ」
現役から離れて10年以上。浦島太郎のようになっている間に会社の業績は悪くなり「これは心配だ!」とばかりに
本社からトップが「入ってきたんだね」という呑気な話で締めくくりました。
実際はそうじゃないかもしれないけれど、今はもう何も分らないので。

 

50代の初めに夫にリストラがやってきました。1500人だか2000人だかの大リストラでした。
その時私が思ったのは「50年でひとサイクルくらいじゃないかなあ」ということ。

戦中生まれで何にもない戦後の貧しさの中で育ちました。初めて空を飛ぶ飛行機を見た時、一生のうちで
あんな高価な乗り物に乗れる日は来ないだろう、と思ってました。親の苦労のお陰で学校を出させてもらい、
会社に入った時社員数は3000人でした。それから高度成長期に入って30000人にまで増え、その後は
下降線をたどってます。

 

高度成長期の夫たちの仕事というのはほんとうに忙しかった。家に戻らず衣類を入れた大きなトランクを
持ち歩くので、近所の人から我が家の家業は宝石屋かと思われてました。3年3年で大都市の転勤を
重ね15回くらい転居しました。10年以上住んだのはここにきて初めてのこと。

でも同じ状態というのは絶対に続かない。

何事でも孫の積木でもそうなんだけど、成長期で次々に作り方を生み出す時はやりがいもあるし、楽しいと思う。高度成長期に自社産業を大きくしていった夫や会社の仲間たちは仕事はきつかっただろうけれど、国を成長させているという使命感や充実感で気力を漲らせて仕事に向き合っていたのだと思います。それを良い時代というなら、
夫たちは良い時代を生きたことになります。

少なくとも今のように人の仕事がない、給料が上がらない、企業に力がない、という時代ではないので、たくさんの
夢が描けたと思う。

 

でも必ず終わりが来る。満タンになったら零れ始めます。そのサイクルは人の生きる年数と重ね合わせても50年くらいじゃないかと・・・。                                                        そんなふうに思うので、リストラに乗ることに決め、夫は関連会社に異動しました。

 

今年会社の方から来た年賀状に「今会社は元気がなくなっていて、大幅に人員を減らさざるを得ないだろう」
とありました。3000人から30000人になってまた3000人になったとしても、それは始まりに戻るということ。
彼の会社だけではなく、どこの会社も同じような状況でしょう。東北はもっとひどい。
夢を描けない現状に不安を持つ若者の姿を重ね合わせると、つらいなあ、と思います。

 

でも50年のサイクルからみればまた必ず元気をふき返す時が来ます。                           その時代を生きる若者たちのために、大震災の爪痕をひとつひとつ修復して、放射能もないようにしておかないと。
大量生産、機械化と人手の要らない産業を推し進めて疑問を持たなかったらまた同じことを繰り返すことになるので
やっぱり人の手による経済も大切にしていかなければ、と思います。

 

海の手山の手の本年のテーマは「手仕事を生業に」

 

 

 

 

50年のサイクル” への2件のコメント

  1. 私がその会社に入った時は社員数が9000人でした。当時にしては珍しい完全週休2日制でお給料も高かった。右肩上がりの成長が当然のような時代でした。

    昨年は今40歳代のバリバリの営業の人から「会社を卒業しました。ちょうど20年勤めました。」という年賀状をいただき会社の厳しさを感じていました。20年数年前と言えばすごい人数を採用していた時代です。その人たちは今40代、家族もいて今どうなっているのか心配しています。

    20年前に50才で辞めたSEの方は起業し、私も応援するため出資しましたが今年から休業しますという知らせがきました。かなり集めた出資金が返せず申し訳ないという文面でした。もちろん配当金も一度もありませんでした。私の退職金の一部は同僚のために使いたかったから私としては「お疲れ様でした」という気持ちだけ。

    これからは年金受給年齢の65歳まで雇用するということになりましたがそれまで働ける企業はどれだけあるのでしょうか。

    1. そうでしたか。退職後も会社の退職制度で世話になってきて今年あたり卒業しようか、と思ってました。成人してからの職業を父親と同じ職種に進もうかと長男が言った時に「止めた方がいい。先がいいとは思わない」と言った夫の言葉が今わかります。日本の高度成長期を時代に翻弄されながら生きた者として、この動きようのない今の経済の低迷を感慨深く見ています。こんな風になるのだなあと。65歳までの雇用というのは実に大変なこと。若い人はどうすればいいのか。田舎に来てお餅屋になって暮らせたことを有難く思っています。

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