海山の経済政策

衆院選が公示され、12党の候補者の演説が始まりました。

選挙を語れるほどの頭はないのですが、でも自民党の安倍氏や民主党の野田氏他の重要候補者が
被災地に於いて第1声を挙げている、というのがなんとも違和感がありました。

そして1番目に時間を割いているのが復興対策。野田さんは原発復興で安倍さんは震災復興。

 

昨年の大震災からもう1年9か月。2年近いです。
先日四万十に帰られた四万十インストラクターと南三陸までご一緒した時、「もう2年近く経っているのに、
なんにも変ってないんじゃないですか?復興のお金とかどこへ行ったの?」と唖然とされていたけれど、
この「第一にやることは震災復興」という演説を聞いているとやっぱりなんともかんとも言い難い違和感がある。

 

この1年半以上1か月に1度くらいは南三陸に行っていました。最初の頃はビルの屋上に車が乗ってたり
菊の師匠の弟さんの家の壁にに車が突っ込んだりしていました。田んぼに船があったりして、家々がなくなってしまったもの凄く広い範囲にボランティアの人たちが散らばって胸にゼッケンみたいなのをつけて、手でガレキ撤去をしてました。家があった跡の礎石にみかんやお菓子が置いてあったりしてました。

 

それからだんだん片付いてきて潰れた車の山や壊れた家のガレキの大きな山があちこちにできました。

あちこちの山を削って仮設住宅ができ、長い時間をかけて徐々にガレキが少なくなり、潮水に浸かって立ち
枯れている木々の伐採も始まりました。あっちのやまもこっちの山も刈り上げ状態です、今は。

 

そしてこの間からは流れ去った家の礎石のコンクリートの撤去作業や、志津川病院などのコンクリートの建物
の解体や撤去作業が始まりました。東北沿岸部を延々と続く被災地域のコンクリート塊を片付けるのは
時間がかかる作業のようで、少しづつ少しづつ進んでいる感じがします。コンクリートを剥がせば更地になるのは
当たり前のこと。でもその当たり前のことさえ、私は普通に道路も建物もコンクリートで覆われている町に長年暮らして忘れ果ててました。土がむき出しになるのを見てびっくりしました。こんなふうになるのかと・・・。

 

そしてもっとびっくりしたのはコンクリートがなくなったら途端に川の水嵩も浸水も目立ってきたこと。
専門家じゃないからよく分からないけど、たぶんコンクリートというのは水を止めているのではないかと。
東北沿岸部の幹線道路国道45線を走っていると、道路の向こうの海面が急に近くなったような気がして不気味です。私的に言えば「水だらけ」という感じがする。
雨が降ると道路は冠水します。

何度も南三陸には行きましたが、壊滅した町の45号線から海方向へは行ったことがありません。
なぜだか用事もないのに行ってはいけないような気がします。

出来る範囲の片付けは時間をかけながらも進んでいるのだと思います。でもすぐには手をつけられない防潮堤や
大規模な浸水などにはなーんにも対策はとられていない。というよりできない。対策は「わからん」ということではないですか。港に戻れるとは思えないです。どう考えても。

安倍氏や野田さんはできる、と思っているんだろうか。口だけならなんとでも言えるから、そこをひとつでも
具体的に聞きたいです。

 

元海の男のショウエイさんは「まず30年はかかるな」と言います。今書いたような浸水したところは他にいくらも   あるのだそうです。誰が被災地に来て立派な政策語っても、現実、現場を見ていると「何夢みたいなこと言っているんだろうか」と私は思います。
だからせめても人の復興くらいは自分たちでと思うので、みんなで一緒に楽しくモノを作ったり新聞バッグを作ったりしています。新聞バッグや布小物を作って売ったお金で養殖の稚貝の1個、海に垂らすロープの1本でも買えれば
上等です。

 

海山代表のよっちゃんはいつも言います。
「大切なのは人なんだ」と。そしてモノを作り出す手。海の手山の手。                            人が人の手で小さなモノでも作って売れば、それが基本の経済政策というのではないのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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