言葉を紡ぐ

朝、テレビで福島の詩人和合亮一氏のインタビューを見ました。

記録する。文字に書く。文字だけでは語れない。語るのは言葉。言葉の架け橋。

震災後6日目からツイッターで、被災した悔しさ、恐ろしさ、悲しさ。心の咆哮を書き続けておられる詩人。

和合さんの語られる言葉のひとつひとつが腑に全く落ちました。

だいぶん前、ほんとにだいぶん前。
海山ネットの経済状態が心配で、活動を続けるためには何かお金が入ってくることを始めなくてはならないと
手拭いを作って売ることを思い立ちました。

日々、お餅を搗いて販売したり花のタネをまいて育苗して販売したりはしているけれど、デザインとか染めとか
難しい手順がありそうな手拭いを作るなんて雲を掴むような話で、躓く度に心折れそうになりましたが、
そこが執念で、なんとかかんとかの紆余曲折を経て、手拭いを販売するところまでこぎつけました。

私はデザイン力なんて「まったくない!」と自信を持って言えます。
誰かデザインをしてくれないかしら、と日々アンテナを立てていたのですが、そんな時に心にとまったのが
たまたま知り合いのお宅で見かけた福島在住のTさんが彫られた版画の年賀状。

美しく優しい色合いの福島の自然が描かれた版画の中には点点々と放射能が降っていました。安らかに暮らしていた福島の日々を奪われた怒りと、原発事故がなかった福島を懐かしむ優しい絵。

あれからずいぶん時間が経ってしまったけれど、版画家の岡澤さんがTさんの版画を手拭いにしてくれました。
1枚1枚岡澤さんの手仕事によるオリジナル手拭いです。手拭いの生地さえもきちんと厳選されています。

Tさんとの約束を守れたこと、私はとても嬉しいです。

岡澤さんから手拭いが送られてきたら、一番にTさんに「遅くなってすみません」とお手紙を書いて送ります。

 

 

さっき、コンコンコンと勝手口のガラスを叩く音がしました。
扉の向こうに立っているのはショウエイさん。きのう南三陸へ行ってきたそうで、生きているアワビを持ってきて
くれました。
「置いてったら困るよー」と言ったら、ちゃんと「やってやるから」とアワビやホタテ用のヘラを取り出して
料理してくれました。よっちゃん宅にも持って行って、やっぱり料理してきたそうです。
梅農場んも行ってきた、と。
ということは、よっちゃんちも、SOさんちも私んちも今夜はみんなアワビだね。

こういうの、ほんと、嬉しいです。

ショウエイさんと私の会話。
「ショウエイさん、金持ちになろうよねえ」と私。
「ここにいるからにはな、オレもなんかやんねえーと。そう思ってる。」
「一緒にやろう、やろう。」
「みーんなでなんか作って利益を分配したらいいからな」とショウエイさん。
「違うよ、私たちは仕事を持ってるから、海に戻るまでショウエイさんたちが儲からなきゃいけないのよ。」
「そうか、やろう、やろう」とショウエイさんは帰って行きました。

 

正直、ショウエイさんの故郷である今の南三陸町志津川の空爆の後のような現実を見ていると、これが
更地になったとして、仕事場なんかできるのか、とどうしても思ってしまいます。川の水位はどんどん高く
なっているし。
だから、更地になったら国が買い取って(税金で土地を買い取って)、嵩上げして仕事場を作る、と
いうことなんだろうけど、「嵩上げしたってまた津波がくるだろうから意味ない、意味ない」というのが
大方の意見。

 

高台移転という言葉があるけれど、地域住民がまとまって同じ仮設に住んでいるのなら、計画は進むかも
しれないけれど、南三陸の場合抽選で仮設に入居したから、ひとつの仮設住宅にいる住民の方々の
元いた町が違うのね。だから集団移転というのはとても難しいし、賛成者は4割もいない。

4割にも満たないのは「いないのと同じだ」というのが私が聞いた多くの意見。

見聞きしたこんなことを私も書き続けていこう、と思っています。
頭が老化して、奥行きのある言葉は紡げないけれども、私なりに。

はい、今夜のおかずです。

そして、もうひとつ。

また今日も長きにわたって東北を応援してくださっている福岡の手仕事の先生からキルトの作品が届きました。

もう、どれだけ送っていただいたことか。
こうして私たち海山ネットは活動を続けることができています。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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