新年会

私が住むこの町では、毎年1月2日に各集落の集会所で、新年会が行われる。
もてなしは持ち回りの当番制で雑煮が振る舞われ、寿司の折詰などが出て、集落の人々が
集まり、この地域選出の市会議員さんや県会議員さんにも出てもらって、今この町や市などに
起こっていることが話し合われる。

10年前この町に移住してきた翌年の1月2日、私たち家族は全員この新年会に招待された。
まだこの地方の言葉にも慣れない頃で、緊張してみなさんの前に並ばせてもらったが、口々に
「都会からよくこんなに田舎に来てくれた。よろしくお願いします」とこちらがお願いするようなことを
逆に言っていただいたことが印象深かった。
以来10年余り、住んで仕事をして、嫌なことは全くなかった、と明確に言える。
集落のみなさんには、後から移り住んできた私の両親(3年前に91歳で二人とも亡くなりました)をも
含めて、大変よくしていただいた。

そして2012年、今年の新年会。
私が出たのではなく、出席した夫から聞いた話だけれど、がっかりした。
私たちが来た頃には27軒あった世帯数がもう20を切った。どんどん人の数が減ってゆく。

そして、311の地震で私たちが外側から見て認識していたよりももっと方々の家が、道路が
壊れていることがわかった。
ちなみに集会所そのものがひどく損傷していて、治すには160万円以上かかるとのこと。
県にも市にもお金がなく、無論みんなの家もそれぞれの損傷を抱えたままだから、個人的に
協力するなんて無理。

集会所のお隣の家はこの間から修理の工事をしているのかと思っていたら、損傷がひどいので
取り壊して撤去したのだそうだった。
我が家でも壊れた部分はそのまま放置の状態だけど、もし集会所用に160万円の用意が
できたとしても、人的に今修理をしてもらうのは無理とのこと。

今我が家の前の県道は11月から始まった「地震で壊れた道路を治しています」という
標識を立てた工事が未だ終わっていない。ずいぶん長い間応急処置をほどこしたまま
になっていたが、いざ工事が始まってみるとその規模の大きさに驚かされた。

我が家から岩出山の町まで約7キロ、その大部分が大規模修理の対象で、ちょっと見た
だけではそれほど壊れているとは予想外だった。反対方向の一迫町までの6キロも
ほぼ同様で未だに工事は終わっていない。

次に町まで出るもう1本の道路の砂田線。この道路の壊れ方は激しく、用水路に掛かっている
橋は傾いて落ちそうになっている。応急処置をしても応急処置をしても壊れ方がとどまらず
ひどくなってくのが私のような素人目にもわかる。

がっかりしたのはこの大崎市で今修理をしようとしても全容がわからず本格的な修理が
できない道路がたくさんあるというのだ。それもこの辺りで。この先表面は大丈夫のように
見えても深いところで亀裂や崩壊しそうな場所が多くあり、それを調査する期間が3年。

市では3年。県では4年が調査期間で、本当の工事が始まるのはその後ということ。
調査する人も足りないということ。

なんだか聞いているうちに壊れているのは道路だけ?と自分の土地を疑う気分になってくる。
地震後、我が家の前の田んぼの向こうの山の用水に近い部分が木ごとドサドサと
あっちこっちで落ちていた。そのまんま草が生えて当たり前の風景のようになってしまって
いるけど、また大きな地震が来たらどうなるんだろう。

一度大雨で畑がある土地の端が生えている木や草ごと10メーターくらいに渡って崩落し、
下の道路を埋めてしまった時には、ほんとに驚いた。これは町では経験できない出来事で
どうしたらいいかと町役場に連絡したり土建屋さんに電話したりで慌てた。

復興、復興というけど、ほんと復興というのは先が読めなくて大変です。
こんな小さな集落でさえも。

新年会” への1件のコメント

  1. きょういただいた年賀状を読んでこちらのブログに伺いました。
    うちも地震による地割れが台風15号の大雨で大規模な崩落になってしまった場所が何か所かあります。山の庭も一部崩落してしまいました。復旧作業はいつになることか・・・。

    私は自分の生活に追われていて被災者支援をできずにいることに少し引け目を感じていました。(正直言って申し訳ないですが)オオゴトではないお手伝いをしたいと思います。

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