道の駅研修ー陸前高田、気仙沼ー

 

毎年恒例の道の駅出荷組合工芸、花卉部会の研修で、陸前高田、気仙沼に行ってきました。

海の手山の手ネットワークの復興プロジェクトで、仮設住宅で新聞バッグを作っている南三陸へは
度々行きますが、陸前高田、気仙沼へは震災後は一度も行っていません。

陸前高田は非常に広範囲にひどい、とは行った人たちから度々聞いていました。                    津波を生き抜いた一本松は息絶えて数日前にモニュメント化するために切られました。
そういうこともあって、切株でも一度は見ておこうと研修先に選びました。

陸前高田の1本松があったところです。

震災前7万本もの松があったという高田松原の松は跡形もなく消えていました。

津波は被災したユースホテルの向こうに見える水門の上を越えてきて松原の半分をなぎ倒し、5キロ川を
遡り、引き波で後の半分を流し去ったそうです。この近くにあった集落の700戸のうち、残ったのは5戸。
今はその家もなくなりました。

これは海ではありません。右手に見える俄か作りの防潮提の向こうが海で、ここは地盤沈下して浸水
した状況です。

ここも川でも海でもないのです。浸水区域です。                                        遠くに見える鉄骨作りのホテルの5階は水に浸からなかった。全てが流れ去った病院で、ベッドが3階以上にまで浮き上がってたった1人だけ生きた方がいるそうです。

この話は、この近くの高台に住んでいて、松原を散歩していて津波から逃げ、一部始終を見ていた方(お名前うかがうのを忘れました)からうかがいました。実際に現場を見たことがないガイドが話すよりも、全てを実際に見ていた者
が話すほうが真実を知ってもらうことで役立つと思った。と言っておられました。

陸前高田の町は町全体が津波に流されてそっくりなくなってしまった、という印象です。

数々の家の礎石が夏草で覆われて広い広い広い草千里のようでした。

町の中あった市役所や郵便局は内陸部に移され仮設の建物で業務を続けています。
市役所も同じような建物でした。
下は郵便局。

陸前高田で昼食をとり、仮設の建物でしっかり営業をしている直売所で買い物をして気仙沼へ。

 

地盤沈下のひどさが印象的でした。

復興、復旧に手をつけるよりも、その前段階として浸水区域の中に車が通る道路を嵩上げして作っている状態。
港付近の被災したコンクリート作りの建物の1階は浸水していたり、青ミドロの苔に覆われていたりで、見ているうちに胸苦しくなります。

お魚を買いに仮設の商店街に行きましたが、まだあまりお魚は売ってません。

帰りは本吉海岸、南三陸町の歌津、志津川を通って帰りました。

今日の研修の感想は、ひどく疲れました。いつもは南三陸まで自分で車を運転して行ったり来たりしているので
わからなかったけれど、南三陸までふくめてあまりにも浸水区域が多すぎる。広すぎる。

 

この大震災は私たち内陸部に住む者にとっても被害は甚大でした。
うちの斜面をずり落ちかけて床がふわふわだった加工場もやっと工事が終わりました。これで安心して作業が
できるようになったけれど、家が丸ごとなくなったわけではないので、助成は全くありません。

よっちゃんに「1円でもどこからか出ないの?」と聞いたら「出ません!」と言下に否定されました。
壁が全部ドッサリと落ちてしまったよっちゃん宅も大工事でしたから。

 

それでも今日の陸前高田や気仙沼や南三陸の現状を見れば、とにかく贅沢なんか言っていられない。
もっと踏ん張って何かできることをしなければ、という思いにさせられます。

福島から青森までの被災した沿岸部を車で走ったら。
その被害の膨大さや、地盤が下がって浸水する地域の広さ、大きさをとおして、見て体で感じたら、
この大震災の全貌がどんなものか見えてくるのでしょう。
今日一日の研修旅行だけでも、肩に重石がかかったように疲れました。復興など何十年かかるかわからない、
といのがみんなの共通した感想です。
非被災地でよく聞く「もう復興だいぶ進みました?」という質問。

答えを聞く前に、是非とも現地に出向いて自分の目で見て頂きたいです。
日本のこれほど広大な地域がこれほどの回復しようもないとてつもない被災の現状にいることを自分の目で
見ていただきたいと思います。

長い1日でした。

 

 

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