有備館

昨日は仙台で東北村総会、今日は朝一で高知県(株)四万十ドラマの畦地社長が新幹線古川駅で途中下車
してくださっての、新聞バッグ事業の新展開の始動のお話し。

東北村も新聞バッグ事業も国の予算が入った大きなプロジェクトなので、だからこそおろそかにすることのない
ようにしっかりみっちりやっていきたいと思ってます。が、怖いのと期待と半々。

夜は夜で長野へ行く前大変お世話になった酒蔵一ノ蔵のYマーケティング室長にお礼を言うため、事務所へ。
今日事務所も月1で行なわれている、若い人やこれから何かやりたいな、と思う人たちが集っておしゃべり
するしゃべらナイトを開催中。回を重ねるごとに人数が増えて、広い駐車場に車が入らないほどの大盛況。
よかったね。KJさん。甘ーいとうもろこしありがとう。

今日はこの間からきっちり行っておこうと思っていた有備館に行ってきました。

ずいぶん昔のことですが、本庄睦夫の「石狩川」という本を読んだことがあります。作者の本庄睦夫はこの本が
刊行されてから2か月後に34歳で病没したとのことですが、明治初期、仙台から北海道の当別に入植した元
士族たちの苦難と不屈の魂が描かれたこの小説は深く心に残りました。

 

10年余りまえ、今私が住む町岩出山に初めて来た時、藩主伊達家の学問所である有備館に行きました。
有備館は栗原の内陸地震の時に被災し、その傷が癒えないうちに昨年の大地震に合い、完全に倒壊してしまい
ましたが、私が行った時には、壁に当別開拓の版画が掲示されていて、岩出山から当別に開拓に向かった
説明がなされていました。その説明を読んで私は感動しました。
この時代にありながら、なんと合理的で、ち密で、偉大な開拓史であることかと。第1陣、第2陣、第3陣まで
募集して連れて行って、成功させるんだもの。そして生き長らえて男爵の称号までもらうなんて。

でも本庄睦男の「石狩川」とは結びついていなかったんです。

ここに越してきて、この物語は岩出山藩主伊達邦直が士分をはく奪された家臣を心配し、私財を投げ打っての
北海道開拓の物語であったのだと初めて知りました。


越鳥南枝の碑。これよりこの地を離れ当別に向かう別れと決意の言葉が書かれています。
下に並ぶのは第1陣、第2陣、第3陣で当別に向かった人たちの名前。

有備館は城山の下にあります。

 

有備館入口。今は入館費は無料です。

今有備館は再建中です。

どれもこれも木は大きくてホレボレします。

涼しげですが、今日はそれなりに暑かった。

そしてこれが私が前からほしかった版画集。

このような偉業が成し遂げられた岩出山伊達家の学問所、有備館。

たくさんの方に来て見て感じていただきたいですね。

 

 

 

 

 

有備館” への2件のコメント

  1. 新聞バッグの新たな展開、いよいよ来月からなのですね。「怖いのと期待と半々」・・・どんなビッグなことが始まるの???

    岩出山の人たちの開拓の様子が描かれていた「石狩川」という本に感銘を受けていたとは岩出山には何かしらご縁があったようですね。

    有備館をあらためて見てみると、大崎市一番の歴史的価値のある所だと思いました。大切にしていかないと。

    1. ほんと、私は初めて有備館に行った時、この北海道当別への開拓史に感銘を受けました。伊達藩というのは当然文武を学んだろうけど、
      それだけではなくて、賢くて合理性があったんだなあ、と思って。犠牲者を出さないで入植を成功させるなんて、ほとんど聞いたことのない
      大偉業だと思えますもの。そのうえ伊達正宗さんの手紙なんかいろいろ残っていて、子供を心配するお父さんなんですよねえ。
      実に興味を魅かれました。岩出山藩士の魂を大切にしてほしいですね。

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