がれきの話

新潟の友達から電話がかかってきました。エッセイ教室仲間です。

神奈川に住んでいる時には、家の中で格別何もしてない奥様だったのに、故郷新潟に戻ってから10年、
太極拳と出会い今では日々が太極拳とともにあるベテランになってしまいました。

「そろそろだね」
そーなんです。もう次の「みず」発行の時期が近づいてきました。1年の速いこと!

久しぶりの電話でおばさん二人の長話が始まりました。この歳になると家族のことや友人たちのことなどは
もう固まっているのでほとんど話題になりません。今日は「ガレキ」の話。

新潟在住では「ガレキ」は無縁なのでこちらからの一方的な話題提供になります。

何日か前に見た外国へ流れ着いているガレキ。アラスカの海岸、カナダ、アメリカのオレゴン州その他。
アラスカのその町は鮭漁の町なのでガレキの風評被害を警戒してガイガー計測器でガレキの計測をしていました。たくさん、ほんとにたくさんの家の破片や洗濯機のかけら、名前を書いたボール等々、漂着しています。カナダもですが、それを住民の方たちが集めて袋に入れ、処分に困っています。オレゴンでは巨大な浮桟橋。撤去に600万円もかかるそうですが、州立の公園に指定されているその海岸の年間の整備費と
同額くらいなので、「どうしようか」「自分たちの国だけではなく世界の他の国にも呼びかけてみよう」などと
会議を開いてガレキ処分の対応の検討をしていました。

軽いガレキはもう漂着が始まっているけれども、重いガレキは今から2年も3年もかかって海の深いところを
流れるのだとか。専門家の先生が3年4年後がもっとも問題が起こってくると思う、とおっしゃてました。

宮城と岩手だけでもガレキの量は2千万トン余り。その数パーセントしか現在処理ができたない。
広域処理といっても北九州のあの反対。あちらの方の反対する理由がいかに正当であるにしても、私は
北九州の出身でありながら、帰りたくなくなりました。

テレビで見た住民自らのガレキの選別作業。ガレキと呼ばれても元は住んでた人たちの財産であり、生きてきたことの証し、一人一人の思い出の品なのですから、その山を掘り出して仕分けする作業はどれほど
辛いことだろう、と私は胸が締め付けられる思いで見てました。

全部見てたら、せつなくて情けなくて泣けてきた。

だって、外国の人たちにも迷惑かけるけど、どうしようもない。その一言につきます。

日本で世界でガレキのことだけでも、自然災害から起こったことだと受け入れて、出来得る限りの努力をしているというのに、日本では東電のトップたちのあの誠意のなさ、大津のいじめで自殺した中学生への警察の対応の誠意のなさ。ここのようなのんびりした農村集落をのぞけば経済重視の都市では大人も子供もいじめ社会の中で生き苦しく暮らさざるを得ない。「どうしてこういうことばかりになっちゃったのかなあ」と思います。

やっぱり私たちが子供を育てている時代に、経済効率ばかりを重視してきたその結果なのでしょうね。
私たちの世代、子供たちを塾やお稽古ごとに通わせ、いい学校にやろうとし、いい会社に入って人より
いい給料をもらうことが目標のような風潮が強かったし、そう努力をしたわけだけれども、ここに至ると
それがいいことだったか・・・。反省すべき点が多々あります。

というような話をしているうちに1時間経ってしまいました。
せめて老人のとば口に立った私たちおばさん繋がりは、体の動きは悪くなるけど、考えるエネルギーだけでも保ち続けなければと話したことでした。

 

 

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