南三陸へ

版画家のオカザワさんを南三陸へお連れしました。

あいにくの台風。あちこちで相当強風が吹き、雨も強かったようだけど、台風当夜は鳴子温泉の旅館でオカザワさんや東北村のT氏やMさんも一緒に海山教室第一回目終了を祝っての懇親会。
10時過ぎまで食べてしゃべってさほど強くもない雨の中を帰宅。すぐに寝ました。

明けてテレビをつけると、台風はもういませんでした。台風が来たのかどうか全然わからなかった。

きのうのうちに南三陸の小野寺さんから電話がありました。「水が出ているので様子を聞きながら来て」とのこと。
早く行って水浸しでは怖いので、道の駅の出荷を終えてゆっくり鳴子温泉までオカザワさんを迎えに行き、南相馬のKAさんの勤務先、駅近くのタマゴヤさん(喫茶店)でコーヒータイムをとってゆっくり出発。

せっかくだからオカザワさんにこれから蓮の季節を迎える沼の様子を見せたくて、途中長沼によって休憩。

話はそれますが、当地には冬は白鳥や雁が越冬し、夏は水面のほとんどの部分が蓮の花で覆われる三つの沼があります。伊豆沼、長沼、内沼。どれも大きな沼で、夏蓮の花の季節にはどの沼でも蓮の中を周遊する船が出ます。20人乗りくらいの小船が何艘も繋留され、お客が乗ると1周30分近くかけて蓮沼の中を回ってくれます。
船は人の頭上まで伸びた蓮の花に埋まり、船に乗る私たちは極楽浄土にいるような不思議な気分。

こんなふうになります。今はまだ葉が出たばかりで沼の端から少しずつ芽が出て茎が伸びている途中。

「来る、来る,また来る。母を連れて来る」とオカザワさんは喜んでくれました。

志津川はやはり水浸しになっていました。

防災庁舎。水がないのはここだけです。これは午後1時頃の様子。

志津川病院。

道路は冠水していて行き交う車は水しぶきをあげながら走っています。

初めて被災地を見るオカザワさんはショックを受けて言葉が出ない様子。

南三陸は何回来ても、新しい建物などを見ると何かが変わったような、でもやっぱり変わってないような、そんな感じがします。ああ、そういえばビルの屋上に乗っかっていた乗用車がなくなってました。
たくさんの切った材木などがあちことに積み上げられていて、それが町の復興への予感を思わせられるような気がするのだけれど、でも逆にそのまま捨て置かれたように積み上げられたままのガレキや車の残骸が
以前より目立って感じられて、変わったような変わってないような気持ちがするのかもしれません。

私たちは度々うかがう仮設住宅ですが、オカザワさんは仮設に行くのも初めてです。
菊の師匠、小野寺さんご夫妻が出迎えてくれました。

オカザワさんは仮設住宅の2Kという間取りの狭さに驚いてます。
しばらくぶりでお会いする小野寺師匠はなんとなく元気がない様子。お疲れみたいです。
小野寺さんは被災前は菊の産地、志津川の菊の作り手だったのですが、その前の職業は旅客船に乗ってらした
そうです。船を下りて菊づくりをはじめられた。

「それだけ志津川というところが懐が深いということだ」とうちの花の作り手は言います。
「なかなか素人を東京市場に出荷できる腕前に育て上げられる土地は少ない」ともいいます。
上質の菊を作るためには様々な条件が整えられていた被災前の菊作りの現場から1転して、農協もない、
作業小屋もない、機械もない、ないないづくしでただ農家から借りた畑だけがある新しい菊の畑を一人で耕して植え付けて、奥さんと二人で手入れをして来られた疲れがお顔ににじんでいます。

この先もまだ炎天下、作業小屋がないので初めての支援品のビニールハウス内での作業などが待っています。
ビニールハウスは夏はものすごく暑いので、相当な遮光をしなければ中にはいられません。遮光シートなど
を張る作業は、30日の海山ネットと東北村の村民交流の時にお手伝いすることにしました。

奥様ムッチャンは狭い仮設住宅で洋裁仕事をして、布のほこりで喘息になってしまったそう。ゴホンゴホンと
胸から出るような咳をしてかわいそうです。ハウスができたらミシンを持って行ってハウスで仕事をすると
言っているので、しっかり涼しいハウス環境にしなければ。

ずいぶん遅くまでお話をしてお別れしました。
被災地はただ行って見て、というだけではなく、中に入って被害を受けた人たちと話して聞いて、というような時間がとれれば、また違った交流が生まれてくると思うのですが。

「仮設住宅の中にばかりいると気持ちが暗くなる」
いつも明るく元気な奥様ムッチャンでさえそう言います。どうすればいいかわからないけど、また月末に
ハウス作業の道具を取り揃えてみんなで行きます。
料理上手なムッチャンには「お握りは持ってけどオカズを作っておいて」と頼んできました。

沿岸部と内陸部の料理は違うので、何が出てくるか楽しみです。

 

 

 

 

 

 

南三陸へ” への1件のコメント

  1. 海山教室第一回目終了、お疲れ様でした。消しゴムハンコ、私は拙い作品でしたが、私のシンボルとして使っていきたいと思います。使うたびにオカザワ先生はじめ皆さんとの楽しいひと時を思い起こすことと思います。

    30日は海山ネットと東北村とが一緒になって被災地理解・支援をするとのこと。活動の展開が私にも少しわかってきました。

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