反省会

陽射し。

久しぶりに見る陽射しが嬉しかったので、つい写真まで撮ってしまった。

なのに午後からまたもや雨がドーーッ!
強烈な雨で、ついこの間砂利を入れて凸凹を治したばかりの家までの坂道が、強い雨足に
砂利を流されてまたデコボコに。腹立つわー。

今夜は先日のカレー大作戦の反省会、及び打ち上げ。

寄せ集めの臨時部隊のはずなのに、ご飯炊き係り、カレー作り係り、ホール係りにコーヒー担当、
その他ドリンク担当、食器洗い係り。
誰に言われたわけでもなく、それぞれ自分が決めた部署に張り付いて3日間大奮闘したカレー                               プロジェクトメンバーが、顔をそろえました。
飛び入りは鳥海山に一緒に登る高田さん。
高田さんは毎月1度新潟から鳴子温泉にやってきてほぼ1週間湯治滞在される鳴子温泉の大事な
お客様です。

「手伝いましょうか」と言ってくれて2日間もお店のホール係りを勤めてくれたかわいらしいマコトさんは
この先もきっと何かのイベントの時には来てくれるだろうし、ユカちゃんも同じでしょう。
こんなきっかけで、若い娘さんたちと近づきになれるのは嬉しいことです。

テーブルの上にいっぱいに並んだのはマスターお手製のピザ、パスタ、その他その他。
このピザはお店の定番メニューにしたいような美味しさなんです。

メニューにしてもらえばお客も嬉しいんだけれど、時間がかかるのが課題。

宴もたけなわに進んだところで、ノダ分析係りから今回のカレー大作戦の数字的内容が発表
されました。
1日のお客様は約150人。原価率は優秀賞を上げたいくらい低い。
蓋を開けると最初の数字的計画とは全く違ってしまって、カレーを作り足したり、容器や材料を
買いに走ったり大慌てだったけれども、ご飯もカレーも最後のお客さんで見事になくなって終了。
最初にしては充分な出来栄えでした。

心から嬉しそうなマスターの笑顔と挨拶の言葉が印象的でした。
何よりカレーを作って楽しかったのが一番よかった。

次は9月初め。

更に進化してカレープロジェクトを発進させます。

 

 

 

 

 

雨の日

今日も雨。
もう何日降っているんだか。
野菜だけではなく、米も難しいと今日聞いて、不安になってきました。
お餅屋の私には、米の不作は打撃。
米も大変だけど、お盆過ぎても、秋冬野菜の種まきや苗の植え付けができないのも大問題。
この先で雨が止んだとしても、野菜の出荷は遅れるでしょう。

お昼に鳴子温泉の潟沼に行ってきました。

雨の潟沼。
緑の山肌から湯煙が立ち上り、白い屋根のライフル射撃場からドウーーン、ドウーンと鈍い射撃
音が沼に響きます。

久しぶりに鳴子の森の中のライムで昼食。
なんとオーナーママの気が向いたのか、珍しくライム特製ご飯ハンバーグランチが。
ご飯とハンバーグが一緒になった珍しいランチですが、めったに出合えない。

窓の外は鳴子の森もやっぱり雨。

 

カレー大作戦の間は忙しく、チケットはもらっても全然行けなかった中鉢刀剣美術館に行って
みました。 目玉の大倶梨伽羅の刀の展示は終ったそうだけど、まだ今月いっぱいは常設展示
ではない特別な刀が見られるそう。

しかし、なんで今、刀なの? という気持ちが私の中にあるのは否めない。
刀剣乱舞の人気はわかったけれども、でもその他でも刀フアンは多いらしいので、半信半疑で
入館してみたら、凄い~~!
新撰組の沖田総司の刀だとか近藤勇が使ったとか伊達政宗の刀だとか、その歴史認証にも
目を見張るものがあるけれども、それを作った刀工の歴史も興味深くて目が離せない。
くたくたに疲れながら、全てをくまなく見て回った後の感想は「また来たい。何度も来たい」。

刀というものがこれほど多量に保存されているというのもびっくりだけれど、長刀、脇差、短刀の
寸法にもびっくり。男といえど、小柄な日本人が、こんなに長い刀を2本も腰に帯びていたのかと
驚きました。

夜、カレーをお店の定番ランチにするために、マスターと息子のシン君にカレー作りの特訓教室。
マスターは男のお料理教室に通っているけれど、カレーは作ったことがないのだそうで、ピアノや
ギターや絵画など芸術的方面には強いシン君も料理初心者。
手ほどきするのは、料理上手なオサム君。
長年家族のご飯を作ってきたチヨさんと私はオブザーバー役。

しかし男の料理はなかなか始りません。
綿密な綿密な計測から始まり、適量とか少々とかひとつまみとかの言葉はこの料理教室の辞書に
なし。時間も量もとにかく細かく測ってノートに記して正確に。まあ、時間はかかるけれど、味の変動
はないだろうから、時間がかかるのを我慢すれば正しいのかもしれない。
オブザーバー役の女二人は口を出したいところを抑えてじーっと我慢。

男3人で作り上げたカレー。
丁寧に丁寧に調理されているので、大変美味しいです。

後はやっぱりスピード。
段取り覚えて、お客様を待たせずにランチを出してほしいので、さらなる精進を願います。

3にんとも、お疲れさまでした!

 

 

 

柿の木カレー終了しました。

今日も雨。
降ったり止んだりの雨模様の日がもう10日以上も続いています。
ここだけかと思ったら、東京でも40年ぶりに10日以上もの雨続きだとのこと。
今週の天気予報も1週間まるまるの傘マーク。
雨が止んだら、農作物の病気、虫被害、などどんどん出てくると思う。
野菜の値段も上がるだろうし、気が重いことです。

そんな雨続きの中、パーシモンのカレーランチ大作戦も3日間の闘いを終えて無事終了。
最後は容器がなくなり、ご飯もなくなり、カレーも鍋底をかするくらいまでなくなって綱渡りの
状況でしたが、実績は予想を大幅に上回りというより予想のほぼ3倍。
450人ものお客様に来ていただきました。ついでにと思いついて、鳴子温泉に通って作った
温泉卵は300個近く。

岩出山の玉葱は100個以上、岩出山の人参も、数はわからないけれど相当量、そして岩出山
のトマトに鳴子温泉で作った温玉。地場で取れたものばかりで作った柿の木カレー(パーシモン
は英語で柿)を全国から来たたくさんの方に食べて頂き、時には裏の勝手口まで廻って
「美味しかったですよー!」と声をかけて頂いたりして、ほんとに幸せな時間でした。

それにしてもこれほどの女子を集める刀剣美術展というのはなんだ?
ふたつの会場、パーシモンの隣りの中鉢刀剣美術館と別に用意されたスコーレハウス。
このふたつの会場を繋ぐ道路を三々五々歩くのは、1人だったり2、3人連れだったりの若い女子ばかり。
カップルさえ見られないほど男子の姿が見えません。
いったいこれはどういうことだ?

「なぜ来たの?」
「刀の何を見るの?」「刀剣の何が魅力なの?」
カウンターに座って休憩中の千葉から来たという若い女性に根ほり葉ほり質問して初めてその
事由が判明。なるほど! 実に納得しました。

私たちおばさんにはあずかり知らぬことですが、なんでも「刀剣乱舞」というアニメのゲームがあり、
そのゲームの中では、名工が作った名だたる名刀が、心を持ち、力を得てイケメンの戦士の姿
になり、立ちはだかる敵を倒していく、というゲーム、らしい・・。
なので、そのイケメン戦士の元の本物の刀剣を見るために、全国の刀剣が収集されている場所
に行くのが楽しい、ということ、らしい・・・。
のですが、聞いているうちに、なんとなく私も刀を見れば嵌りそうな、そんな予感が・・・。

そして今回の大目玉刀は大倶梨伽羅広光。普段は見られない名刀だそうで、有備館駅前では
広光の刀のお守りがバンバン売れている、らしい・・・。

たまたま毎日歩くウォーキングの途中でチヨさんから聞いた、去年の美術展の際の弁当の話から
発案したカレープロジェクトでしたが、やってみると大変面白かった。
本格的に玉葱を刻み始めるまでは、オサム君と私は、毎日材料の違うカレーを作っては食べました。
最後に作り方を合わせて、柿の木カレーに集約させました。

狂ったような玉葱刻みと玉葱炒めの結果がこれ。

あとの材料はヒミツ。

なによりカレーを作りながらの出逢いが素晴らしかった。
徹底的に玉葱と人参とルウ作りにこだわった料理上手のオサム君。
温玉と温泉水、メニュー作りにチラシ作り。売上げ伝票やレシートの集計、分析など、終った後の
重要な仕事も担当してくれているノダ君。
ふたつのジャー、3個の釜を駆使してご飯を炊き続けてくれた一関の由美さんご夫妻。
ただのお客様なのに、お手伝いを申し出てくれて、2日間ホールで大活躍だったかわいらしいマコトさん。
やはりお客様なのに、わざわざ古川から来て、手伝ってくれたユカさん。
そして東京から帰省してきたチヨさんの娘さんのオリエさん。
オサム君のガールフレンド、カオルさん。

私たちがカレー大作戦で奮闘している間、カウンターに踏ん張ってコーヒーを淹れ続けたマスターと
シン君、コーヒー以外の飲み物担当のチヨさん。
それぞれの役割を務めきって、緊迫の3日間を終えました。
こんなに楽しい企画に参加する機会を与えていただいたことに感謝です。

ちなみに私の担当は?というとカレー鍋係り。
カレー鍋に張り付き、かき混ぜ続けるという役目でした。

お盆も今日で最終日。
お餅仕事を終えてはカレー鍋に張り付く3日間でしたが、大変貴重な経験でした。
面白かった~!!

 

 

 

 

カレー大作戦

明日8月11日から13日まで、岩出山の学問所有備館の前にある中鉢刀剣美術館で
開催される刀剣美術展。

岩出山に住みながら、刀剣美術展が昨年は2000人以上の見物の人が来る美術展とは
全く知らず(刀剣女子という女の子に人気だそう)、今年はもっと見に来る人が増えるだろう
ということで道の駅や周囲の人間にも弁当販売などの話が聞こえて、初めて知るところと
なりました。

中鉢美術館の隣りに位置する喫茶パーシモンでも、昨年は1日に100人以上のお客様
を迎えたとのこと。
今年はそれ以上の来客をみこして昼食の弁当を出したいというので、ノダ君とオサム君と
私が弁当作りのお手伝いをすることになりました。
でも弁当は手がかかるので、少ない人数で美味しく作れるランチは?というとカレー!
名づけてカレー大作戦。

仕事を終えてパーシモンに集合し、まずは作戦会議。
どんなカレーを作るのか。家庭的なカレーかインド的なカレーか若い人が好む今風のカレーか。
マスター、チヨさん、あと3人の意見をとり混ぜて、刀剣好みの若い女性向きに、オサム君と
ノダ君が仕上げの味付けをする今風カレーと決定。

完成300食を目指して玉葱刻みから開始。

涙ぐみながら、何十個刻んだかわからないくらい大量の玉葱をまる1日刻み続け、刻み終えたら
全部の刻み玉葱をあめ色になるまでいため続けるというハードな作業。

一作日、昨夜も深夜までカレー制作に没頭して、ついに明日が美術展オープン当日。
どういうことになりますか。

 

そして当日の今日、道の駅へのお餅出荷後、11時半くらいにパーシモンに行ったらば、パーシモン
の外は入店を待つお客様の行列が・・・。
カレー鍋の消化具合は想像したより特段に早く、今日の分用はほぼなくなり、オサム君は明日用の
カレー制作にとりかかってました。
お昼に今日の分がなくなるなんて、見事な読み違い。
そしてまたお客様に「美味しい!」と言って頂いて、これはまたとても嬉しい励ましのお言葉。

お客様の数が少し引いたところでいったん家に戻ってお餅仕事をし、また夕方の部の玉葱刻みに
にカレー制作現場に戻ります。
自分ひとりで作って食べて満足するのではなく、たくさんの人に食べて喜んでもらえる機会を持てる
のは若い人たちにとって得難い経験。

それにしても今時の若者の包丁さばきのうまいこと、そして料理に関する知識も豊富で、実際的な
動きも臨機応変、達者なことには感心しました。

初日終わりました。目標大きく超えて達成!
明日もがんばります!

 

 

 

大津で新聞バッグ・英語で新聞バッグ

週末前の金曜日。
今朝は雨。

昨夜ブログを書こうとPC立ち上げたら、ひと文字うつごとに2個も3個もの関係ない文字がダーッ・・。
なんなんですかね。いったんオフにしてまた立ち上げて文字をうっても同じ。
そして今朝はプリンターが紙詰まりを起こして動かず。昨日、同様のアクシデントで自分で紙を
引っ張り出した後、私が壊したんだと思います。が、再度紙を引き抜いてやっと動いたら、次は
マゼンタインクがなくなり、替えたら黒インクがなくなり、替えたら青インクがなくなり、最後に
ご丁寧にまた紙詰まりでダウン。
おまけに前から調子が悪かった餅搗き機が3台とも壊れ、右往左往するうち、道の駅出勤は
思いっきり遅刻。 今日から夏祭りというのにえらいことです。

午後から修理に来てもらってPCは復活。プリンターは治してもらってサブプリンターを購入。
もち搗き機の手配も終ってやっと落ち着き、ブログが書けるようになりました。

大震災後、売る当てのない南三陸産輪菊をありったけ全部買ってくださったり、今年の春には
倉本聡作「走る」の公演で会場の琵琶湖ホールの半分以上の集客に奔走してくださったり、
お世話になってばかりいる大津の角川さんから、新聞バッグのワークショップを始めましたよ~、
新聞バッグの輪はどんどん大きくなってますよ~、と連絡を頂きました。

「走る」公演で大津にお邪魔した際に、角川さんの会社の社員さんに、新聞バッグワークショップを
開催したのがきっかけですが、それから時間もたたない間に、こんなに大きな新聞バッグの輪を
作ってくださろうとは・・・・。
さすが角川さんのご人徳。この先も、角川さんのもとに集う方々の手で新聞バッグはもっともっと
大きな広がりを見せるのではないかと、思っています。

角川さんには大津でがんばって頂いて、こちら東北では「英語で新聞バッグ」というのをやってみよう
ではないか、と初めて英語での新聞バッグ作りをやってみました。

先日高知大学にうかがった際に、タイからの留学生とタイの大学の先生に新聞バッグをお教えする
ことになり、日常会話ではない、マニュアルの英語の難しさを痛感しました。
「タニオリ」だの「ヤマオリ」だの「ワ」だの日本語では普通に言うけど、英語でどんな言葉を充て嵌め
たらいいのか?

先日の鳥海山行の時に、「新聞バッグを作りませんか?」と誘いをかけて、NOと断られたリー先生に
再度アタックして了解をとりつけ、英会話の後、喫茶パーシモンへ。

インストラクターは上條さんで、実際に作るのは、サイトー君。
連れてこられたリー先生はどっかと椅子にかけてノートを広げ、本格的に英語で新聞バッグつくり
を開始。

最後まで見たい私は夜会議で叶わず、2時間の会議を終えて戻ったら、英語での小バッグ制作は
とりあえず終了していました。作りながらの日本語を英語になおすのはなかなか手間がかかる
そうで、再考、工夫の必要があるとのこと。

小バッグ、中バッグ、大バッグの英語のマニュアルができたら、外国人を交えたり、また外国から
来た方々に向けたワークショップが開けます。
日本のもったいない文化、折り紙文化を伝えて作る新聞バッグ。

これも広がればいいなあ、と思ってます。
大震災後の現金を得るための新聞バッグ作りの用途はまだ無きにしにもあらずです。
まだ必要。でも復興がどうとかではなく、単純にものを作ることを楽しみ、美しい新聞の記事や
絵柄を楽しみ、自分の好きなマイバッグ作りを楽しむ。
そんな新聞バッグつくりがこれからは広がり、続いていってほしい。

どこへでも出張します。
英語で新聞バッグ。必要ありましたらどうぞご用命を。
言葉はたどたどしいけれど、新聞バッグつくりはベテランです。