コケシと新聞バッグと菊栽培

昨年の秋に南三陸での新聞バッグ講習でお世話になった雑誌ストーリー編集部の千田さんが、

松井美緒さんのインスタグラムへの投稿を送ってくれました。

美緒さんは、南三陸でお話した、「支援はするほう、されるほうお互いさまで対等に」という私の

気持ちを受け止めてくださってありがたいことです。

そしてついに美緒さんコケシが道の駅に到着した模様。まだ販売されてはいないけど、もう

予約あり。新作は男の子で楽器持ってます。かわいいよ!!

 

 

陽が当たる側の白いクロッカスの蕾が今にも開きそうに膨らんでいるけれど、やっぱり寒い。

蓬は採り頃。だと解るんだけど採れば仕事を増やすだけなので、なかなかその気になれない

のがつらいところ。

しかし、3月の末にこの寒さは、あまりないと思うのですけどね。

 

寒い寒いとぼやきながら日曜日は上條さんと二人、直売所でロイズ新聞バッグの袋詰め作業。

早いもので2年近く作り続けてきたロイズの新聞バッグの製作ももう終りに近くなりました。

今月と来月くらいで終了の見込み。折り方も折り手さんに教える作業も時間がかかり、作った後の

検品作業にも手がかかる新聞バッグでしたが、これまで毎月作ってきた災害住宅にお住まいの

折り手さんと思うと、日本中の企業で1年に1度でも包装用だの祝いごと用だのに新聞バッグを

使う機会を持ってくれたらなあ、と甘い考えかもしれないけれど、やっぱり願います。

 

今日は朝から、道の駅出荷組合花卉部会の菊栽培講習会。

昨年の夏の調査の結果、出荷組合では菊の生産量が少ないと解ったので、今年はお盆と彼岸用の

小菊と輪菊の生産に取り組むことにしました。が、花の中でも特に定植の時期とか日照の時間など

気難しいことが多いうえに病気もし易い菊栽培は、未経験者が多く新たなる冒険。

 

農業普及センターの花担当者、農薬担当者に来て頂いての2時間の菊のお勉強でしたが、ラベンダー

以外の花とはここ2、3年離れてる私は聞くうちに、だんだん現場感覚が戻ってきて息が詰まりそう。

しかし、南三陸からやってくる小菊と輪菊。

今年のお盆には瑞々しい菊の花束を直売所にいっぱい並べてご先祖さまに喜んで頂きたいものです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・になったつもりで・・。

庭の枯れ草を押し上げてクロッカスが咲き、福寿草が咲き、蕗の薹も蕾を開きかけている

というのに、朝晩の寒さのきついこときついこと。

昨日の朝は「?」と首を傾げるほどの横殴りの雪。  日中は暖かくなって夕方寒いーーッ。

そして今朝も雪。

いったんぱーっと明るくなってほかほかと暖かくなったので、ちょっと庭やろうかな、と思った

けれど、合間合間に雪が降るので、完全に戦意喪失。

 

前回の0回編集会議に引き続いて、1回目は岩出山町内にあるお味噌屋さんで取材。

今はお味噌屋さんだけれど、もともとは麹屋さんらしい。今の若だんなは5代目ということだから

陸奥一の大名伊達政宗の城下町であった岩出山では、戦のための兵糧などで、麹や味噌が

発達してきたのではないか、というお話。なるほど。

道理でこの小さい岩出山町内には古くからの味噌屋さんがみっつもある理由がわかったような。

 

味噌についても麹についても、聞けば聞くほど話は現代の食の動きや傾向にまで広がって

興味がつきない濃い3時間の取材でした。

しかし、温度で発酵の度合いが進んだり進まなかったりする発酵食品、味噌や麹を作る現場の

めちゃめちゃ寒いことだけは身に沁みて解りました。

あとはこの取材がどんなふうにまとまって出来上がるか、そこが問題なのです。

 

これを書いているうちに、外は見るからに暖かそうになってきて、意を決して庭へ。

今年初めての庭掃除。今のうちにやっとかなくては、草が伸び始めると手に負えないことに

なります。

花木の細枝を切り、絡まった蔓を引っ張り外して、去年の落ち葉や枯れ草をどんどん掻き落とし

ながら、なぜか何時も感じるのは説明し難い恐怖。

なんか怖いんです。蛇とか蛙とかそんなのが怖いのではなくて、草とか木とか棘とか、そんな

自然のもので思わぬところで痛い目に合いそうな怖さ。

ほら、ありました。古い茶色になった去年のいが栗。これを掴むと手袋していてもめちゃ痛い!

へっぴり腰で枝やら草やらと格闘するうちにすぐに嫌になって帰りたくなるのだけれど、そんな時には

90歳でも庭仕事をしていたターシャ・チューダーさんになった気でがんばり続けます。

 

がんばった結果、だいぶきれいになりました。手前がプラム、向こうがくるみ。

いっぱい実はなるけれど、プラムは鳥が、くるみはリスが全部食べてしまうので私の手には入りません。

 

どこからとこなく現われたシロが、やっぱりつかず離れずついてきます。

5時で終了。

 

その後はお餅仕事。

週末、作るお餅の量が多いときには、今度は機械になったつもりで仕事に励みます。

明日は土曜日、がんばろう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男子ピアノコンサート

本日は珍しく終日雨。

こんな日は日頃の疲れが出るのか、くらげのようにぐにぐにゃになって、怠惰な1日を過ごして

しまいます。

昨日は1年に一度開催される岩手県一関の一関男子ピアノコンクールに行ってきました。

我が家では4月に小学校3年生になる孫が出場しますが、4歳から始めたピアノでコンクールに

出場するのは4度目。今年は「ライオンキング」から、エルトン・ジョン作曲の「愛を感じて」という

少し難しい曲を弾くことになってます。

このコンクールは、出演者も運営者も幼児から成人まで全員が男性というのが特徴で、

ステージ、楽屋は女性立ち入り禁止。小さい子のお世話も大きいお兄さんたちがやってくれます。

 

男子だけのピアノコンサート開催のきっかけ、というのは、2000年に一関バッハフェスティバルに

賛助出演した一関出身の東京6大学ピアノ連盟の男子学生たちが、東京6大学ピアノ連盟の

活動に刺激を受け、一関男子ピアノクラブを発足させた、とのこと。以来毎年開催され、今年は

第17回目。

次々に卒業していくので、毎年実行委員長も委員も変わるのは当然のことですが、今年は昨年よりも

実行委員が若返って、委員長、副委員長が高校1年生、委員には中学生までいるのには、本当に

驚かされました。

伝統あるこんな大きな催しを、実際にはこのコンクールの出演者でもある高校生、中学生が代々の

実行委員から引き継いで運営されていくというのは驚異です。

 

毎回オープニングで実行委員によって演奏されるのは、ビートルズの「Let It Be」。

小学校1年生の時のオープニングで初めて聴き、いつか弾きたいという思いを8年間抱き続けて、

今回「Let It Be」を弾く中学2年生の男子。

女の子が出演するコンサートの衣装の華やかさはないけれども、その分、ピアノから流れてくる

音だけに耳が集中します。

 

小学校6年生が弾く「エリーゼのために」、難しそうだけれど弾きこなしました。

中学1年生が弾くドビュッシーの「アラベスク1番」、素晴らしさに聞き惚れました。

孫が師事して頂いている先生の教え子さんたちも、小学校6年生でG・ランゲの「花の歌」、その

お兄ちゃんは、久石譲作曲「Summer」、中学2年生のバッハ「ピアノ協奏曲」。

そしてうちの孫は長い曲をきちんと終わりまで弾くことができましたし、最初のコンクール出演の時に

連弾をしてくれたKお兄さんは北海道の大学から戻って見事な演奏を聴かせてくれました。

このピアノそ弾く男子の多くが、ピアノだけではなく、サッカーや野球、水泳、剣道などの体を動かす

スポーツにも力を入れている事実に感じるものがあります。

どの演奏を聴いていても、幼い時から辛抱強く師事してくださった先生と同伴されただろうお母さんの

姿が重なりました。

 

そして毎回感心するのは、演奏時間4時間半という長い時間を小さい子も大きい子も静かに演奏を

聴いていること。我が家の孫も一番前の椅子で、前を向いたまま演奏を聴いていましたが、日頃の

ちょっと退屈しても、まだ終らないの、というような態度とは全然違う。

実行委員長の高校生二人は学校で応援団長ということで、ピアノコンサートへのエールをホール全体に

響き亘る大声を張り上げてくれました。応援団は裸足でやるんだね。

 

清清しい1日が終わりました。

また来年この男の子たちがどんなふうに成長するのか、とても楽しみです。

 

先生のご指導のおかげで、男の子たちの素晴らしいピアノ演奏を楽しませてもらえています。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

こけし作家さんデビユー

今日は雨。

春のお天気は雪だったり雨だったり目まぐるしくて、寒暖差にやられたのか珍しく体調不良。

朝一で、道の駅のHP用だかの写真撮影で農産直売所に役員召集。

動いていないようであっても毎日あそこここで、目まぐるしくコトは動いてゆきます。

これから文化事業にも取り組もうとする道の駅は、4月から新聞バッグワークショップや英会話

講座などを準備中。無論私も参加しますが、どのように花開くか楽しみです。

 

松井美緒さん。

昨年の秋に南三陸で新聞バッグの作り方を覚えてくださった美緒さんは、楽天イーグルスの

松井稼頭央選手の奥様で、ご自身がモデルさんでもあります。

もの凄いがんばり屋さんで、秋に初めてお会いした時には、石巻マラソンに初出場した直後。

マラソンを始めてまだ数ヶ月。なのに今は毎日3時間以上走ってます、と聞いて、よくは知らない

マラソンなのに、思わす「がんばり過ぎではないですか」と留めたくなったほどでした。

 

美緒さんの更なる目標は京都マラソン。

フルマラソンに出場し、時間内に完走すると聞いてびっくり。

そうしたらほんとうに今年2月、フルマラソンに出場し、ゴール2キロ前で肉離れを起こしながらも

時間内に完走された、と聞いて驚き、言ったことは本当に実行してしまうその精神力の強さに

驚嘆しました。

普通ではやれない、というよりやろう、と思わないでしょう。

いかにもスポーツウーマンという外観ならまだしも、美緒さんはまったくそんな風ではなくて、

モデルさんらしく華奢で小柄で美しい二人のお子さんを子育て中のお母さん。

 

野球選手の奥様としてもフル回転の日常でしょうに、その美緒さんが東北とのご縁で、作って

おられるのがコケシ。

秋の石巻マラソン後に南三陸で習い覚えて作った80枚の新聞バッグに、美緒さんデザインの

コケシ80個を入れて東京でのイベントで販売するという話を聴き、最初にそのコケシを見せて

もらった時にはその斬新さに度肝を抜かれました。

こんなコケシ見たことない。こういうコケシもあるのか、と驚いたものでしたが、鳴子という古くからの

伝統こけしが伝わるこの場所で、見る人の反応は意外にも「かわいいー!」だとか「あらっ、素敵!」

だとかの好意的な言葉ばかり.。

伝統こけしは伝統こけしとして大切なものではあるけれども、新たな感覚で作られたコケシもまた

今の洋風な感覚の部屋とか暮し方に、置き易い、プレゼントにし易い、などという受け入れられ方

があるのかもしれない、と納得しました。

 

その美緒さんが作ったコケシが、この度、道の駅でデビューすることになりました。

新人作家さんのデビューでもあります。

以前に見せてもらったコケシに加えてまた新しいコケシも出現の模様。

どんなコケシが現れるのか楽しみです。  きっとまたびっくりするだろうなあ!

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回目理事会・第0回編集会議

昨日、今日、びっくりするような大雪。

降り続けてくれるならいいのだけれど(良くはないけれど)、降ったり止んだりするので

行動の見当がつけづらくて難儀する。

こんな積雪では道の駅出荷に行っても、戻ってきたらうちまでの坂を登れない、と

休むつもりになったところで、パアーッと陽が差すと、春の雪はみるみる溶けて、こんな

日に仕事休んでいいのか、という気持ちにさせられる。

今朝も15センチほどの積雪。これじゃダメだと諦めたところで一転明るくなり、11時も過ぎて出勤。

 

昨夜は、降りしきる雪をうらめしく思いながらも今年度初の理事会に出席。

今年の目標は、ともすれば脱線して、延々時間ばかり長くなる理事会の時間短縮を目指して

いかに効率よく会議をすすめるかがテーマ。

と同時にピリリと引き締まった理事会をするためには、前段階の出荷者の部会や3役会

などの動きの充実が必要になってくるので、どうなるかなあ、と期待していたら、見事に

整理整頓されて、会議の書類も薄くなり、昨年より1時間も短い会議となりました。

やったね、成功!

 

理事会役員といっても、生産者として野菜採ったり、加工品作ったりは一般会員と変わらない

仕事量なので、、夜、夜中に働くお豆腐屋さんや私にとっては夜の会議はなかなかつらい。

それを長年続けてきたよっちゃんは今期ついに脱出に成功。

なに、そこで時間ができたところで、あっという間に忙しくなってやっぱり時間に追われるように

なるのです。生産者とはそうものだ、と近頃つくづく分かってきました。

 

そして今夜はお握りミーティング。

場所は新しく居を構えた黒田さんち。

海山の仲間に同じ思いを持つ人にも加わってもらって、かねてから考えていた旧玉造郡の

モノやヒトやコトを外に伝えるフリーペーパーのような出版物を作れないものかという会議。

先日滋賀県の角川社長から送って頂いたクリスマス島の塩で握った塩結びと、漬物作りの生産者、

栗ちゃんから教わった「栗ちゃん風キムチはっと汁」とみっちゃん浅漬けでまずはお腹を満たして

各自の視点や伝えたい思いを出し合います。

それぞれに出来そうな役割分担を担って、次の第1回編集会議に持ち寄ることに。

さて、どうなることか。

クリスマス島塩結びは大変美味しかった!

北海道は南富良野の坂井英男さんから、手づくりのいももちがどっさり届きました。

坂井さんは一昨年の秋、坂井さん自作の素敵なガーデン「私の庭」で一度だけお会いした方で

その時は、やはりひとりコツコツ作られている「私の家」で大切になさっているレコードで演歌を

聞きながらメロンを頂きました。

北海道に行く度に孫への土産に買ういももちですが、坂井さんのいももちはチーズまで入って

どこの土産物屋のいももちよりも絶品。お年賀状だけのやりとりでしたが、こうしてイモモチを

送って頂くなんてほんとうに嬉しい。

 

南三陸の小野寺師匠から今年初めての海の産物をいただきました。

ワカメに茎ワカメに、ふのり、ひじき、メカブ。

潮の香りが漂ってくるようです。真ん中にあるのは研究中の味噌玉。

 

いよいよ申告の日が迫ってきて、内心は火の車。

明日、明後日は申告の準備に専念します。

 

 

 

 

 

 

 

 

料理対決・温泉ばなし

昨日までの温かさが一転して、今日は1ヶ月くらい戻ったような寒さ。

着るものも薄くなって油断している時にくるこういう寒さは骨身に応えます。

 

日曜日は、おおさき料理対決というイベントに由美さんの代理で参加。

テーマは仙台牛ということで、プロ、アマが牛肉料理をいろいろ考えて出品。

ということですが、突然の不幸で出られなくなった由美さんのピンチヒッターで出場する

私はほとんど勝手が判らず、由美さんが作った料理をミバ良く並べて優勝を願います。

同じく参加者でこのところ牛肉のことばかり言っていた上條さんの考案料理は牛肉の

サンドイッチ。用意した試食は、あっという間になくなって全然食べられなかったけれど、美味しそう!

最優秀賞はアマチュアの部では、牛肉を使った麺でした。

プロの部の優勝者は、なんとあ・ら・伊達な道の駅レストランで長年腕を鳴らした山崎課長。

山崎さんの作品は、仙台牛のピタパンサンドとポトフ岩出山流。

ピタパンサンドは、パンに挟まれた野菜とマスタードと蜂蜜の調和が素晴らしくて秀逸でした。

とても美味しいので、優勝だ、と思っていたらやっぱり!

何時の日か、道の駅のレストランやファーストフードに出てきたら、真っ先に買いに行きます。

 

明けて月曜日は、たまたまのことでから温泉ソムリエ、石井明美氏の温泉の話を聞く会に参加。

場所は鳴子温泉の伝統こけしの作り手である桜井さんのお店で、前を通ったことはあるけれど、

入らせてもらうのは初めてです。

古くからのこけしや今のこけし、絵画、折り紙、絵葉書などが展示された素敵な空間。

駅を降りてすぐ温泉街というのは大変立地に恵まれている。

日本の温泉11泉種のうち9つの泉種が集まっているだけでも珍しいのに、鳴子の温泉は

1軒の温泉のお湯とすぐ隣りの温泉の泉質が違うという、恵まれた特殊な温泉である。

などなど、普段温泉に入っている時にはこれが普通で特別とも思っていなかったお湯の違いの

ことなど面白いお話を聞かせていただき興味深かった。

 

そして雪が散らつく今日は、お餅出荷の後は、道の駅でこれから始る新聞バッグワークショップの

打ち合わせ。

大震災後、失われた仕事を取り戻そうと、古新聞と糊、それと手さえあればできる仕事として

作り始めた新聞バッグ。

それが6年経った今も色褪せず、道の駅のお客様からも好感を以って受け入れられていて、

定期的に道の駅でワークショップを開催させて頂けることになりました。是非多くのお客様のご参加を

お待ちします。海山女子部、腕を磨いてお待ちします。子供さんも大歓迎です。

 

午後は久しぶりに食品スーパーに買い物へ。

夫が亡くなり1人になったら買うものがなくなって、めったに買い物に行かなくなりました。

珍しくまともに食べるものなど買い物をして、日曜日の厨房で風邪気味になった体を休めます。

明日は年度が替わって初めての理事会。

新たな気持ちでがんばろう~~!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オリンピック新聞バッグ

またもや東京。

イスラエルから戻った(というのもイスラエル人のノアさんにとってはちょっと

違うんだけれども)、ノアさんに会いに新聞バッグ持参で、東京に向かいました。

約束の場所は、行ったことがない虎ノ門ヒルズにあるアンダーズホテルの51階にある

ラウンジですって。51階!! 耳痛くならないかしらん。

 

東京駅で降りて、東京メトロ丸の内線に乗り換えて、銀座線に乗り換えて、地下深くまで

張り巡らされた地下通路を延々歩いたり、階段上って下ってまた下り、、次は上って今度は

下り、右へ曲がったり左に曲がったり、てくてく歩きながら、日本人というのはなんと凄い

頭を持って地下鉄を作りあげたものか、と改めて痛感、脱帽。

以前に普通に地下鉄に乗っていた時には、目的地に着くことしか頭になかったけれど、

田舎に住んで、ごくたまに歩いてみると、地下深くに事務所まで作ってそこで働いている人たち

と思うと、なんとも凄いじゃないですか。お昼時間には地上に上がってお日様浴びたくなるんじゃ

ないかしら。

 

虎ノ門到着。そしてヒルズは、エレベーターに乗るのも、ホテルに行くのもなんとも判りづらい。

あまりにも進化というのか(カッコつけというのか)、トイレもエレベーターも生活感があったり、

雑然と見えるものは壁面のなかにとりこまれたような作りで、迷子になってばかりいる。

同行の天野先生はノアさんの部屋の中のトイレで迷子になってました。

レストランのお客も従業員も外国の人が多い。右からも左からも聞こえてくるのは英語。

こういうホテルは今いくつもいくつも建って、これからも増えていくのだろうけれど、方向性が

ヘンだというか、進化を是として無理無理進化させようとしている感があります。

「ここホテルのエレベーターですか」と田舎から出てきた私に問いながら通路の先を覗き

こんでいる中年の奥様がいたけれど、来た人来た人、迷子になるって不思議だよね。

 

51階からの展望。真正面に東京タワー!

高いところは好きではないので、見たくはないけれど、これしかない窓外の風景。

 

イスラエルオリンピック委員会のコーディネーターとして、2020年の東京オリンピック関連の

お仕事で日本に来たノアさんの壮大な夢は、オリンピック、パラリンピックを通じて、日本から

生まれた新聞バッグを世界の人に知ってもらうこと。

できる、できないはべつとして、新聞バッグの素晴らしさを信じるノアさんの夢の実現を応援

したい私が、ノアさんのもとに運んできたのは、上條さんが折ったオリンピック関連新聞バッグ。

大喜びでオリンピック委員会やその他にプレゼントする新聞バッグを選ぶノアさん。

滅多に会えないからと、同行してくださったフリー刺繍家の天野寛子先生とノアさん。

ノアさんが持ってきてくれたイスラエルの新聞。

ヘブライ語なんですねえ。

右から読むのか左から読むのか、これほど内容の想像がつかない文字は初めてです。

セールの広告だけはイスラエルも日本も同じで、何千キロも離れても人として同胞なのだ、と

親しみを持ちました。

 

珍しく、滅多にないほどヘトヘトに疲れて帰宅。

イスラエルの新聞は、黒田さんと上條さんの手で新聞バッグになって、イスラエルに戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

初新聞バッグワークショップ

琵琶湖ホテルの朝。

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大震災の年の7月。

高知の四万十ドラマから新聞バッグの作り方を教えてもらい、インストラクターとしての認定を受けて

から6年近く、新聞バッグを作ったことはあるけれど、新聞バッグ作りを教えたことは、私は一度もありません。

その私が、15人の人に教えるなんてできるのか。

ワークショップには何度も出てるし、補助役はするので、どんなふうに進んでいくかは承知している

のだけれど、作ることと教えることは全然違う。使う言葉も違う。

 

でも今回の場合は気負わず、昨日の「走る」観賞の余韻のように楽しく、和気藹々と楽しみながらで

いいので、と言って頂いたので、あつかましくも未熟者が講師を務めます。

その前に珍しく、震災について、そして支援という言葉についてのお話をさせて頂きました。

 

いったん災害が起こると、そこから始る「支援」という言葉。

「支援」というのはやってあげる側とやてもらう側というふたつの塊りに分けてしまうので、時間の経過に

連れて、その辺りを平らにしたい、というお話。

震災時の生々しい話を真剣に聞いてくいただき、感謝です。

 

来る前に黒田さんに書いてもらったアンチョコに助けられて、全員の新聞バッグができあがり、とりあえずは

大役を果たすことができました。

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大震災後、モノもないならお金もない、という状況のなか、とにかく失ってしまった仕事を作り出そうと始めた

新聞バッグだったのですが、こんなふうに遠くの土地の方々にこんな形で喜んでもらえる日が来ようとは

想像もしませんでした。

この先きっと、会社の方々のお役に立つことを願って、初めての新聞バッグワークショップ終了。

 

お昼に、豪華でお洒落な野菜中心の懐石料理をいただき、大津に別れを告げました。

ほんとうに楽しかった。

また来年、必ず来ようと思います。その時には私も練習して中バッグ、大バッグまで皆さんに習得してほしい。

角川社長、ウルズの皆さま、ありがとうございました。