地震と水脈

海山のメンバー黒田さんが故郷熊本まで出向き、お母様と猫を連れて戻ってきました。

想像したこともない大地震、長年熊本に住まわれて経験したことがない避難場所での宿泊、始まってから毎日地面

が揺れ続ける1000回以上にも及ぶ異常な余震。

福岡育ちの私と同様、来たこともない東北の地に突然来られて、まだまだお疲れと戸惑いとご心配の最中だとは

思うけれど、ご挨拶かたがたお母様のお見舞いに伺いました。

新聞やテレビのニュースを見るたびに驚かされるのは、熊本、大分の地震後の異変。

震度6強や7で家が倒壊したり、お城の石垣が崩れ落ちるなどは、強い地震では驚かないけれど、普段湧水で満た

された水前寺公園の池の水が干上がって底が見えているのには驚きました。

もともと熊本は湧水の町。これまで何度か旅して、湧水が湧き出るところに行っては「いいな、いいな、こういうところ

住みたいな」と憧れてました。

 

それが干上がったり、出なくなったり、温泉も温度が上がったり下がったり出なくなったり。地下で何が起こっている

のかと末恐ろしくなりますが、お母様が言われるには「熊本の下には岩盤があり、その下に地下水が流れている。

その岩盤が割れて地面が水によって動かされているのでは、と熊本の人は言ってます」とのこと。

見えないってことはほんとに怖い。それに昼日中も夜ものべつまくなしに地面が揺れるなんて、おちおち家事も

仕事もできなくて、地震地域のみなさんはほんとにお疲れだろうとお気の毒でなりません。

 

大規模地すべりが起こった南阿蘇の産山村。

16,7年前、ここには私が岩出山に住む前に土地を求めて行きました。雄大な阿蘇外輪山の麓を巡る緑豊かな

丘陵のそこここに赤牛が草を食む実に美しい景観の土地でした。外部からの移住の人が入り始めた頃で、

垢抜けた土産物屋やレストランなどがぽつぽつと見られ、この先都会の観光客を惹き付ける観光スポットに

なるだろう、と予測される雰囲気がありました。

福岡在住の両親と一緒に住むための土地探しでしたが、残念ながら山の中の未開発の土地としては宮城の

地価と較べて倍から倍以上も高かった。地価が高いということは生活全般のお金も高い。それと冬はそれなり

に気温が下がって雪が降るらしいけれど、町までの道のりが遠すぎる、という理由で美しい産山村に惹かれつつ、

購入は止めました。

そのほか安心院や熊本市内も見ましたが、市内は盆地で暑すぎて寒すぎると、既に土地を持っていた見知らぬ

東北の地、岩出山に行くことを決めました。

 

あそこに住んでいたら、と思うと、なんと言ったらいいのか。住まなくてよかった、とは言いたくないけど、ご縁が

なかったのでしょう。山は崩れ、美しい丘はずたずたに壊れて痛々しい。

でも私は産山村には住まなかったけれど、岩出山でさんざん地震に揺さぶられています。 まだ壊滅状態にはなっ

ていないけど。

 

岩出山に住んで大きい地震には3度遭遇しました。

最初は福岡から来た父が腸閉塞になり、岩出山の病院に入院している時で、大きな揺れが来たかと思うと

病室を仕切っている扉がダンダーンと大きな音を立てて右に左にと勝手に開き、枕頭台が床を走り、テレビが台の

上から転がり落ちそうになりました。

屋上からは水が噴き出し、洗面所の顔を洗うコンクリートの流し台が全部崩れ落ちて壁に水道の蛇口だけが

並んでくっついているのをみて愕然。小学校の山が崩れて教室に土砂が雪崩れ込んだのもその地震の時で、

「えらいところに来たもんだ」と不安というより驚かされました。

 

その次は栗原の内陸地震でたしか震度6強。栗駒山の一部が崩落して無くなり、栗原や一迫の住宅は大きな

被害を受けました。

丁度山菜や山の竹の子を採るシーズンで、山に入っていた道の駅直売所の生産者も車を山に置いて歩いて下山

した、という人が幾人もいました。栗駒山を越えて秋田に向かう道路は山の崩落で全て閉鎖され、開通するまで

2、3年かかったように覚えています。山奥の温泉旅館が崩れた土砂に埋まって亡くなった方も出ましたが、難航

する捜索作業で泥だらけになった自衛隊の車輌や自衛隊員を車輌の集結場所である道の駅の駐車場で

「ご苦労さまです、ご苦労さまです」と思いながら毎朝見てました。

家屋は無事だった我が家の損害は井戸のポンプ。水を汲み上げられなくなってポンプ代うん十万円の大損害。

鳴子温泉のお湯の温度が高くなったり、花山の温泉が使えなくなったりしたにも関わらず、ポンプが壊れたことに

気をとられて水脈のことなど、考えなかった。

 

次が311。これはいろいろと損害を蒙りました。

地面に亀裂が入って恐ろしかったし、またもやポンプが泥を噛んで動かなくなった。再度のポンプ代うん十万円

よりも今回は初めて水脈が大丈夫なのか、それが心配で2週間もかかって、九州から新しいポンプが運ばれて

きてポンプを動かしてみて泥色の水があがってきた時には、実にバンザーイというような気持ちになりました。

 

井戸を掘り直すなんて大変だもの。それも大震災後の沿岸部もどこもかしこもメチャメチャな時に、7、80メートル

もの深さの井戸を掘ってくれる職人さん探すだけでも絶望的でした。

その時から私は水脈に敏感になりました。

私が一番欲しいものは発電機と水がいっぱい蓄えられるタンク。そう公言して憚らなかったのだけれど、近頃は

順調に水が出るものだから気が緩んでいるのを、熊本の地震で気づかされました。

 

黒田さんのところにお邪魔して摘んできた花はこんなにきれい。

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地震が少し沈静化するまで、岩出山でゆっくり過ごして頂きたいと思います。

明後日は富良野からラベンダー300本がやってきます。由美さんとかよっちゃんとか集落のお母さんと一緒に

ラベンダーの作業などやっていただいたら楽しいかな。