熊本の地震。
最初の震度7を知って、局地的でよかったなあ、(よくはないけど、東北みたいに広範囲よりはいいし、3月よりも
暖かいから)と思っていたのだけれど、相次ぐ余震であちらもこちらも潰れたり、壊れたり、生き埋めになったり、
無残な様相が現れるにつれて、これはえらいことになってきた、というのが今の心境。
思い返せば大震災より5年、何もかも無くなってしまった被災地での、とりあえずの出来得る仕事として新聞バッグ
を作り続けてきたけれど、そのやってきたことから振り返れば、新たに起こった大災害の何を見ても聞いても即断が
出来ないというか、すぐの判断ができずに考え込んでしまう。
知らなかったら決められた。この5年で復興にまつわるいろんなことを知ってしまったら、逆に即断ができなくなった。
海山を始めた頃は、前に進むためには様々なことを考えざるを得ず、一歩進んでは「私たちは震災で賢くなった。
次にどこかで災害が起こったら役に立とう。前例になろう」なんて話し合ったりしていたけれど、こうして起こってみれ
ば、「また起こるだろう」とは頭のどこかには残っていても、本当には起こる覚悟はできていなかったんだなあ、と今
思う。
考える何の用意もできてない。5年前に同じ経験をして5年間這い上がる努力をしてきているのに・・。
義捐金、募金。否。
お金を集めてただ贈る、というのは、「ちょっと待て」という気持ちがある。理由はある。
体験に即してある。今はとにかく目いっぱい国にやってもらいたい。
救援物資。送らなければいけない。今暮らすことに絶対に必要になものを充分に、直ぐに。
赤ちゃん、病人、老人、子供、女性、みんなのが不自由しないように。気持ちが安心するために。
その他の物資。否、これも考えなければならない。
いつの間にか自分が救援物資の中継地になってしまっていた、あの苦しかった日々を振り返れば。
いろんなことを考えるのです。
報道もヘンだ。報道の仕方がヘン。テレビのコメンテーターの人たちは評論家みたい。仕方がないことだけれども。
実際に体験するということ、しないことの間には大きな距離があるんだ、と・・・。
今物凄く考え込んでいます。5年間、復興への活動をやってきました。
私たちは新しい大災害のためにで出来ることがあるはずなのです。やってきたのだから。たくさんの人と知り合って
きたのだから。