富良野訪問ー4-

朝起きて外を見ると、白い木の枝が揺れてました。風が吹いている。

昨日までのしんしん凍ばれる寒さが、風が吹くと一変します。、もっと寒くなる。

昨夜から今日の天候を心配してくださっていたあしたやのご主人が、食事を終えたらJRではなくて、新プリンス

ホテルから出る新千歳空港行きのお客様用バスに乗せてもらってはどうか、とのお話があり、急遽バスで

空港に向かうことに変更。

 

朝のテレビによると、今日、明日、強い寒気で東北と北海道は大荒れ。今日は東北が大雪とのことだけど、とすると

明日北海道で大雪ということになりそうで、なんとしても今日中に北海道を出たい。飛行機は飛ぶのか飛ばないの

かわかりませんが・・。万が一飛んだとしても仙台で降りられるかどうかもわかりませんが・・・。

不安がよぎるなか、オーストラリアンやアジアンカスタマーに混じって一路高速道を新千歳空港へ。

さすが北海道の高速バス。けっこう速いです。不慣れなので大丈夫か、とどきどきします。

バスの窓から見る雪をまとった原生林の美しいこと。ところどころで木々の間に現れる谷川は蛇行して白く青く凍り

ついてみえます。DSCF1828

 

占冠(シムカップ)の道の駅でトイレ休憩。

ここの道の駅のおすすめは原生林のいろんな樹木で作ったネックレスだとかキーホルダーだとかですが、

木の色が美しくていろいろ欲しくなります。自分用のお守りとお土産にジップホルダーを数個購入。

 

建物入り口にどんと居座るイメージキャラクターのシムカッピーちゃん、だったかな。

ここシムカップは北海道内でも1、2を争う低温の土地だけれど、ここでの道の駅の経営はどんなふうに

なっているのか、と東北の道の駅の生産者である私には気になるところです。

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有難いことに吹雪になることもなく、2時間半で新千歳空港到着。

 

本来の予約の飛行機の時刻は17時。

なんだけれども、お昼には到着したので、乗れるなら早い便に替えてもらって早いとこ仙台に戻ろう、と人でごった返

すカウンターに行ってみました。でもダメだった。飛ぶ便満席で変更は不可。

次は予約便、ということで、3階のロイズコーナーの椅子に座って昼5時までの本格的待機に臨戦態勢。

そして16時半。言われたとおりのカウンターへ。おお、飛ぶ、飛ぶ、大丈夫だ、とと思っていたら直前になってくる

くると表示板が変わって欠航。ここで次の便への変更手続きをしてもらい、次の便を待つことに。

そして次の便。これも欠航。、では仙台ではなく東京へ飛んだほうがいいのか、と考え始めた頃には羽田便も欠航

が多くなり、待つ人の数は増えるばかり。

羽田に到着できたとしても羽田から仙台までの新幹線が動くのかどうか。と考えたところで「ここで泊ろう」と決断。

ホテル探しに切り替えました。が、新千歳空港の近辺はホテルが少ないというのは知らなかった。

あちこち電話でホテルを探してもらって、電車でふたつ、みっつ先の千歳駅近くのホテルを確保。

ここが大事なところで明日の便への変更手続きをしてもらってからホテルに向かいます。

千歳駅は雪。頭からショールを被ってガラガラ荷物を引っ張りながら、雪降る道を歩いてホテルに到着。

よかったー。明日はどうなるのかわからないけれど、とにかく今日はベッドで寝られてひと安心。

疲れ果てました。

 

翌早朝、ホテルから出る直行バスで新千歳空港へ移動。

どれほど揺れるかと怯えながら飛ぶ便に乗って仙台に帰着しました。

積雪でどれだけ運転が大変だろうと不安だった仙台の道路の雪は溶けていて、無事家に帰ることができました。

よかったよかった!

 

面白くて感動して最後に驚ろき疲れた富良野への旅でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

富良野訪問ー3-

2009年以来7年ぶりの再演となる富良野GROUP「屋根」2016冬が上演されるのは、新プリンスホテル界隈に

ほどちかい富良野演劇工場。

演劇を作り出す工場というこの素敵な名前の劇場は、平成12年にオープンした全国初の公設民営劇場であり、

NPO法人「ふらの演劇工房」で受託運営されているということです。

観る劇場から創る劇場へ発想の転換がなされた日本初の小劇場。演劇ソフトの生産工場として良質、個性的な

演劇文化の創造と発信活動を行い、大いなる感動を生み出すための、市民文化の、人づくりまちづkりの活動拠点

とする、というコンセプトのもとに建設された。と運営理念に謳われています。

劇を見るホールは302席。急勾配でどの席からも舞台がよく見えるように作られています。舞台が上演されない時

でも観覧できるホワイエや売店やピアノがあるロビーなどがありますが、ぎりぎり到着でホール以外は何も見られ

なくて残念。

 

地元富良野での上演は1月16日から24日まで。

富良野というひとつの町で昼公演、夜公演合わせて9日間の上演にお客様に来ていただくということは、私たちには

想像もできない努力が必要なのだろう、とはここに来て初めて強く実感させられます。

大崎公演はたった1日。それだけでも小さい会館の少ない客席のチケットを人と顔を会わせる度に「屋根」の紹介を

しつつ鑑賞をお勧めしているのだから。

 

息を詰めるようにして「屋根」を観ました。隣の席のサイトーさんは早くから涙ボロボロの様子。私も我慢しているけど

同様。

この舞台の中で私が生きてきた50年が描かれます。物語の中心は大正末期に結ばれた北海道の貧しい開拓小屋

で暮らす夫婦ですが、その子供の時代を私は生きてきたわけで、まさに20歳代から現在の70歳代まで。

なんと時代は変わり暮らしは変わり、便利を得た代わりに楽な暮らしを得た代わりに、なんとたくさんのものを失って

しまったことかと、舞台を観ながら胸につきつけられる思い。

その時代の全てを見せられるようなこの舞台「屋根」。是非多くの方々に観ていただきたいと思います。

 

今回の富良野訪問には大崎で公演をしていただく際のための小さなお願いがありました。ヨシダさんにお口添えを

してもらってその目的も達成。ロビーで夏の女子会でご一緒したスイちゃんに出会いました。夏には富良野自然塾

で活躍していた横浜育ちで富良野新人のスイちゃんが、今日は[屋根」公演スタッフの一員としてとてもとても元気そ

うな笑顔を見せていて、ここが生き生きとお仕事ができる場であることが解ります。みんな優しいんだね。

 

舞台が終わった後、演劇工場の前で。

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素晴らしい「屋根」でした。来てよかった! 観てよかった!

 

今夜の宿はヨシダさんのお友達が紹介してくださったペンション「あしたや」さん。

いったんくるみ割りまで戻って、「あしたや」のご主人のお迎えワゴン車に乗せてもらい、真っ白い雪に覆われた

丘陵地帯にあるらしい(雪でどこがどこだか分かりません)ワイン工場近くの「あしたや」さんへ移動。

遥か遠くに町が見下ろせるいかにも眺めがよさそうなペンション。ご主人、奥様手作りのいかにもアットホーム

な和洋混合、地元食材、お米も地元の暖かい夕食を頂きました。同宿のお客様は毎年この時期富良野演劇工場

の舞台を観に来られるというご夫婦2組。気のおけない団欒のおしゃべりは夜遅くまで続きました。

ひとつだけ心配なのは、明日以降北海道に到達するらしい大雪を伴う低気圧。私たちは無事に帰れるのか。

 

触れれば音がするようなキンキンと冷たい夜が更けていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富良野訪問ー2-

富良野滞在2日目の朝。ホテルの窓から見下ろす富良野駅前の光景。

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今朝の気温はマイナス24度だとか。あとでみやこさんのご主人の浦田氏から「今朝、ダイアモンドダストが

きれいでしたねえ。見ましたか」と問われて見なかった私は歯噛みをしました。

知ってれば見たのに~~。

 

ありがたーいホテルの朝食を終えて、「屋根」が始まるお昼までの時間を、ホテルから歩いて5分ほどの

「北の国から資料館」へ。天井が高くて広いこの建物は、他の建物よりはちょっと涼しすぎてコート着用のまま

周らせてもらいます。

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来るのはこれで3回目。来る度にヨノナカの現状に合わせて少しづつ展示が変えられているのが見てとれます。

今は今年初めの大切な一大イベント「屋根」2016冬の公演に向けて。

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今日上演される「屋根」2016冬は「北の国から」とはまったく違う物語りです。 黒板五郎さんのおじいさんの

時代のお話。

私が今住む町岩出山の藩士が戊辰戦争に敗れて生活の術を無くし、北海道の当別の開拓に従事してから50年

後、富良野で9人の子供をもうけて開拓に従事したある夫婦の戦前、戦後が描かれた物語。北海道の中央部に位

置する富良野の開拓は遅かったのだそうです。

 

別の話になりますが、「屋根」の大崎公演の記念事業として、岩出山のあ・ら・伊達な道の駅では、当別開拓の歴史

を描いた版画展と開拓の苦闘を描く映画「大地の侍」の上映会をすることにしました。

主演は往年の大スター、大友柳太郎。そして大友柳太郎は「北の国から」で最後の馬橇を引く笠松の爺さんでも

あります。笠松の爺さんは、大切な馬を手放した後、橋から落ちて亡くなりました。

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ドラマの世界がまるで本当のような黒板五郎の住民票や、東京から来て北海道の原野の中で成長することに

なる五郎の子供、純や蛍の成績表などをじっくり丁寧に見て周り、五郎さんが子供に遺す遺言状まで見終わると、

決まって泣きたくなるのは何故か。

人はこうやって自分の手足を動かして助け合いながら小さな勇気を降り絞って一生懸命に生きるのだ、とこの物語

の登場人物全員から伝わってくるからだ、と今日わかりました。

 

キシキシと音が鳴りそうな雪を踏みしめてホテルへ戻る道すがらの富良野の町。

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富良野に来る度に胸が高鳴る思いで見上げるのは美しい富良野岳。

特に冠雪で白く輝く山々は神々しく感じられます。

 

この低温の中で朝からお庭で雪だるまつくりに余念のないホテルの方。

この作りかけの雪だるまはなーんだ? の問いにヒントを与えられても最後まで「?」だったのは私。

でもこれ、この段階でミッキーマウスってわかります? 私ゃ答えを言われても納得できなかった。

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この雪だるま君、水をつけながら作るのでちょっとやそっとでは壊れないそうです。

 

チェックアウトをした後は、浦田氏に迎えにきて頂いて喫茶くるみ割りに。富良野暮らしのステーションが併設

されている喫茶くるみ割りは、私たちが富良野で何かの行動をする時の拠点です。

昨日が初日の富良野GROUP「屋根」2016冬公演が始まるまで、忙しく公演のお手伝いをされていたみやこさん

の喫茶くるみ割りでは今日は、子供たちのピザ教室が催されていました。子供たちに混じって富良野のバレエの

先生でいらっしゃるマオさんのお顔も見えます。

できあがったピザを食べさせてもらってけれど、これが見事な出来上がり。

子供のピザ作りとか、ドイツ系の靴下編みとか、老人とのお話、英語教室その他その他、くるみ割りに来る度に、

浦田さん ご夫妻を中心とする町づくりの活動の活気に驚かされます。

 

お昼近くになって、早朝札幌をバスで発ったヨシダさんが富良野駅に到着。

ヨシダ、サイトー、と3人揃ったところで、いざ待望の「屋根」鑑賞。

みやこさんに車で送ってもらって富良野演劇工場に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富良野訪問ー1-

厳寒の富良野へ行ってきました。マイナス24度の世界。

どんなに寒いんだろう。北海道の人々はどんな姿で、もしかしたらロシアの人のように完全武装で町を歩き、

どんなふうに厳寒の中で暮しているのか想像がつかなかったのですが、札幌の駅に到着してみて拍子抜け。

まあ多少は着ているジャケットが私たちの防寒具よりも厚くて寒さに強いのかもしれないけれど、千歳空港から札幌

までの電車の中の乗客はお洒落なコートやブーツ姿で仙台や東京と何ら変わらりませんでしたよ。

 

なーんだ、普通じゃないか、というようなもんです。ほんとは寒いのかも知れないけれど、電車の中や室内で

暖まった身体で外に出ても10分や20分ほとんど寒さを感じない。ましてや着込めるだけ着込んでいるというのもあ

りますが・・。

札幌では富良野に向かう電車の待ち時間、時計台に向かって歩いてみました。DSCF1778

札幌駅前大通り。雪少なっ!

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札幌に行ったことがある人が見たら、きっと笑うね。何をびっくりしとるんだと。九州生まれの私にとって、北海道は

未知との遭遇なのですよ。

背後から陽射しを浴びる時計台。大昔、ここでトウモロコシを食べたなあと思い出しながら・・・。

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北海道のヘソ、富良野まではバスとJRがあるんだけれど、途中の吹雪などを想定してJRを選択。

特急サロベツ号に乗り、滝川駅で普通に乗り換え2時間半余り。バスもあまり変わらない。初めての厳寒期の北海

道。車窓の風景はとワクワクします。

札幌を出てまもなく吹雪に突入。やだ、こんなところは歩けないと急速にワクワク感が沈静。

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滝川を過ぎた辺りから雪がやんで空が明るくなりました。

赤平駅。いかにも北国の駅舎。

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雪の山々や原野を飽きず眺めながら、午後3時近くに富良野駅に到着。

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厳重な風防室がこしらえてある駅舎の待合室は、アジアからの観光客もスキーを楽しみにきたオーストラリアンも

用事のある人もない人も、寒さをよけてひと時を過ごす憩いの場のようです。

 

ホテルは駅から1分。寒さに怯えることもなくチェックインし、夕暮れまでの短い時間を新プリンスホテル界隈へ。

今回、同行してくれた「屋根」実行委員会事務局のサイトーさんにとっては初めての富良野訪問です。是非ニングル

テラスや雪に覆われた森や白く輝く富良野岳、そして倉本聰ワールドのドラマ館など見てほしい。

しかし、さすがに富良野スキー場真下のこの界隈の雪。ちょっと自分で運転したいという気持ちにはなりません。

 

夏、大勢の観光客で賑わっていたニングルテラス。冬は休業かと思っていたら、ちゃんと降りしきる雪の中でも営業

していました。しっかりと装いを冬支度に替えて。こういうのを見ると雪ってどうにでもなるもんだねえ、と羨ましいよう

な気持ちになるけれど、雪の生活が身に付いてないとこういうホスピタリティは思いつかない。ニングルテラスの

木々の枝のあちこちに留まっているこの愛らしい雪人形は見つける度に心を和ませてくれます。

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そして観光客の数も夏よりは少ないとはいえ、中国や韓国などのアジアからの観光客、冬になると増えるという

家族連れのオーストラリアン、日本人のスキー客などでそれなりに賑わっています。

ここに来る度に毎回訪れる倉本先生のドラマ「優しい時間」の物語の場、喫茶「森の時間」ではストーブに

赤々と火が燃え、カウンターには隙間もなくコーヒーを飲むお客さんが並んだ夏と変わらない光景でした。

ただ毎回カウンターの中でコーヒーを淹れてもらいながら楽しくお話していた谷倉さんの姿が見えないことが寂しい

限り。でも人生こういうものなので仕方ない、仕方ない。

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ここで私にとっては驚きの光景が。雪に覆われた木の階段のところどころで見かけた、真っ白な雪に長々と黒い

ロングドレスの裾を引きずるあ・ら・サーティファイブくらいかとおぼしき女性と取り巻く男性群。

「森の時計」内のさまざまな場所、さまざまな角度で、このけっこう騒々しい一群の撮影会が始まった時には、

てっきり何かのドラマか雑誌かコマーシャルの撮影かと思い込み、自分がその角度に入らぬように遠慮などしてまし

た。

でも違ったんだねえ。今アジアのお客様がたは日本のこういう風景の中で結婚の記念写真を撮られる方が多いのだ

そうで。お店の方の遠慮がちな「ほかのお客さんのご迷惑になるので」の声で、どなたもコーヒー一杯注文せずに

撮影を終えて雪の中に戻られましたが、今観光地ではこんなことが流行っているのかと後で知ってびっくり。

なんと論評していいやら・・。

 

日が沈み真っ暗になった雪の森の中には、冬だけ作られるカンカンハウス(歓寒ハウス)に火が灯りました。

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夜の時間は、富良野の町に戻り、喫茶「くるみ割り」でみやこさんと大崎公演の諸々をご相談しました。

公演時の劇団員の方々の食事や飲み物、その他その他。らーめん屋だのお蕎麦屋だのがすぐ手近には

ない私たちの町ではほとんどの準備が手作りの草の根的発想で整えるしかないのですが、富良野の大先輩

みやこさんのおかげでテキパキとご指導頂き安堵しました。ああ、よかった、よかった、と安心してホテルに

戻ったのはいいけれど、今夜食べようとコンビニで買った夕食を車に忘れて、空腹で就寝。

明日は「屋根」観劇の日。ホテルの朝食も「屋根」も楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の富良野へ

明日1月16日は、北海道富良野市富良野演劇工場に於いて、富良野GROUUP公演2016冬『屋根』の初日です。

冬の北海道は行ったことがないのだけれど、大崎公演3月18日に先駆けて、富良野まで『屋根』を見に行くことに

しました。

いろいろ読んだり聞いたりしたところで、ほんとうには見ないと何事も解らない。

ということで、明日は仙台空港から飛行機に乗って新千歳まで飛びます。新千歳からはこれも初体験のJRで富良野

へ向かいます。が、正直なところどのくらい寒いのかなあ、と不安。夏の季節のように自分の車で動くというわけに

は行かないので、どんなふうに動けるのかなあとそれも心配。

 

九州で生まれ育って人生の大半を東京近郊で暮らし、晩年になって突然東北に住み着いて、生涯縁があるとは

思いもしなかった北海道へ度々行ったり来たり。実に人生不思議なもんだなーと思います。全然動かない人も

あるというのに。

 

大崎では、チケットを販売するに当たり、チケットを入れる封筒作りをしました。藁色の素朴な封筒によっちゃんが

破いた新聞紙を貼り付けて、そこに自ら彫った「屋根」のハンコを押し、「観れば人生が変わるっ」と書いてあります。

明後日、倉本聰作「屋根」を観て、どんなふうに自分が感じるのかとても楽しみ。

大崎に帰ってきたら、「観れば人生変わるよ!」と本心から言えるように感じたことを胸に刻んで戻ります。

それにしても来週からの強烈寒波が怖い。飛行機揺れませんように。空港が雪で閉ざされませんように。

祈ります!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホストファミリー初体験

外務省のカケハシプロジェクトで訪日するアメリカ東部の4つの大学の大学生40数名のホストファミリーの打診が

あり、お受けすることにしました。今2階の部屋は使うことがないのと、亡くなった夫が仕事で年中訪米していたこと、

アメリカで2年間寮生活をしていた娘が休みの度に、友人のお宅にホームステイしていたことなど、お世話になること

ばかりだったので、ここで「ご恩返し」ということで・・。

やってきたのは、全米屈指のエリート大学、ジョンズ・ホプキンス大学1年生のエラと、これも歴史が古い優秀な

大学ウィリアム&メリー大学1年生のイジーで双方18歳。日本に来るのは初めてとのことですが、なんとしっかり

日本語の勉強をしていて、おぼつかないながら日本語をセンテンスでしゃべり、平仮名、カタカナは既に習得済みの

優秀ぶり。帰国子女ではない日本人の18歳でこれほど英語をしゃべれるという学生はあまりいないと思う

のでまず最初から、「あなたたち偉いねー、りっぱ!」とまず感心。

風邪をひかせないように綿入れ半纏を着せたらこんな感じに。

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もの静かなエラはボルティモア在住の一人娘さん、スポーツ万能のイジーはヴァージニア在住の心優しい3人

兄弟のお姉さん。とても対照的でそこに娘も加わって、夜遅くまで話がはずみました。

 

頂いた素敵なお土産。ジョンズホプキンス大学のカップと美しいヴァージニア州のDVD。

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将来の夢。なんになるかは未定だけれど、まずの目標は大学間のエックスチェンジでエラは東大に、ジニーは

慶応大学に入って日本語、日本について勉強したい。この訪日団に参加するのも厳しい審査をくぐり抜けての

ことだから、この先のハードな勉強やお金のことを考えるとなかなか実現は難しい。でもがんばるよ!

生き生きと将来を語る18歳は、国籍なんぞは関係なく「がんばれえ」と言いたくなります。

 

2日目朝は起きるとこの冬一番の雪で呆然。今まで降らなかったのになんでこんな日に。

こんな雪でどこに行こう。と頭の中を駆け巡らせていたらまもなく雪は止んで晴れ模様に。

雪の心配がないところへと、黒田さんも誘って家族みんなで松島に行くことにしました。混む前にと早めに出て

午前10時には着いた松島は、もうそれなりの数の観光客が出てました。

まずは瑞巌寺へ。今本堂が工事中の瑞巌寺では、普段なら遠目でしか見られない襖絵などが近くで観られます。

が、私と娘は疲労を予測して茶店で休憩。

次は松島湾を巡る遊覧船。松島へは何度も来たけれど遊覧船に乗るのは私自身初めてで、一周50分もかかる

なんて夢にも思わなかった。

たくさんの島があるが故に被害が小さくて済んだ松島。でもところどころ岩が崩れ落ちている湾内の風景。

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二人のおかげで私も初めて松島湾の観光ができました。楽しかった。

 

この後塩釜神社参拝のはずが、日本のビッグスーパーマーケットに行きたがる二人の所望で、ザ・ビッゲスト・ワン

だと思われる利府のイオンへ。ここで二人はお買い物。お菓子を買ったり(きのこ山だのビスコだの)、弟たちへの

おもちゃを買ったり楽しそう。日本のお菓子って美味しいんですかね。

アレルギーで魚も貝も食べられないエラのためにみんなでイタリア料理を堪能して、とっぷり日が暮れての帰還。

エラとイジーと娘と3人、他愛ない話と爆笑とでまるで寮の一室でのおしゃべり会のように夜の時間は過ぎていきま

した。

 

3日目は朝いちで道の駅。次にエラが行きたがるマサムネの学問所、有備館へ。

朝の有備館はしびれるほど寒いです。

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お昼はお別れ会が開催される古川商工会議所へ。

ここでは訪日してくれた全学生、引率の先生方と一緒の昼食会があり、ホストファミリーへのお礼にと学生たちが

唄を唄ってくれるのだそうです。

エラが通う、ジョンズ・ホプキンス大学の合唱。

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いやあ、やる気のある子と無い子の差がけっこうあります。うまくはないけど元気はある。

イジーが通うウイリアム&メリー大学の合唱。

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おとなしいー!。おとなしすぎる。恥ずかしそうです。

 

でもありがとう。唄なんて聞かせてもらって感激です。

そしてお別れ。この後鳴子のこけしの絵付けを体験し、化女沼で渡り鳥の観察をして鳴子温泉泊まり。

明日は仙台で東北大学と交流し、帰国の途につきます。

慌しいけれど、楽しい3日間でした。初めての日本、初めての大崎を好きになってくれたらいいのですが・・。

また日本に来てくれることを、東大と慶応大学に入れることを願って応援します。

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「大地の侍」DVD上映会のお知らせ

ここ数日、明日から我が家に2泊3日の予定でアメリカの女子学生がホームステイしてくれるので、一生懸命

お掃除してました。日々忙しくて掃除が行き届いていないので、この時とばかり隅々まできれいにして、さきほど

やっと終了。疲れたーー。

一人はエマちゃん。Johns Hopukins Univercityの1年生 18歳、と もう一人はイジーちゃん。The college of

William& Maryの1年生、18歳。どちらも全米屈指のエリート大学の学生さんで、訪日は初めてだそうです。

寒いから風邪を引かせないように、さっき 古川まで行って、綿入れ半纏を買ってきました。

私は英語はもう忘れてしまってしゃべれないし、どうなることか。娘に頼って迷惑かけながら、楽しく3日間を

過ごしたいと思っています。

 

昨夜は屋根の実行委員会を開催しました。

タイミングよく実行委員長のよっちゃんがFBに「屋根」公演をUPしてくれたので、これからたくさんの方に知って

頂けると期待してます。

ある北海道の開拓農民の一生を描く「屋根」公演をきっかけにして、実行委員会では同じく明治維新後、北海道

、当別の開拓に乗り出した伊達藩岩出山支藩の苦闘を描く「大地の侍」のDVDの上映会を企画しました。

そして1月16日からはあ・ら・伊達な道の駅の中央スパイラルホールに於いて、当別開拓を描く「開拓者」の版画の

展示を行います。

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あ・ら・伊達な道の駅においでの際は、是非お立ち寄りください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年頭に当たって。自然災害が恐ろしい。

あけましておめでとうございます。

穏やかに年が明けました。穏やか過ぎるくらい。

温度は高く午前中でも+5度。普段なら今の時期、ショートケーキのホワイトクリームのように分厚い真っ白い雪

に覆われているはずの栗駒山にうっすらとしか雪がない。鳴子やその奥の山々も雪はまばら。白いとは言えない山

容で、今日、行われた集落の新年会の帰りには、なんと雨が降ってきました。

 

天気が良くて暖かいのは有難いけれど、この前代未聞の異常気象は怖い。

新年会で聞いた昨年9月11日の大雨の際の岩出山の土砂崩れ箇所は309箇所。うち8割が私が住むこの

真山集落で、ため池の決壊が13箇所。まだ修理の手がついていないそうです。

 

ポカポカと暖かい陽だまりで、うちの上のログハウスに住むNさんと花のおじさんと私との今年最初の井戸端話。

「ねえ、どうする?あのえぐれたところ。治すの凄いお金かかるから市に激甚被害届を出してみようか」という私に

「いいよ、いいよ、お金なくて治せない人多いんだから、こんなところにまでお願いできないよ」と心優しいNさん。

 

でもさ、今度とんでもない雨降ったらえらいことになるよ。また降るかもしれないんだからお金出してもらって次に

備えるとか。私役所に行って聞いてくるわ。

とそのつもりになったのですが、新年会で聞いたところでは、たくさん書類書いて何度も役場に通って万万が一お金

が出たとしても修理代の1割ですって。100万だったら10万円?その10万円がみんなの税金だと思ったら、やる

気が失せた。311の地震の亀裂がどこにあるのか解らないので、想像を超える雨はほんとうに恐ろしい。

 

正直もう個人での災害対応は限界ぎりぎり。栗原の内陸地震でやられたと思ったら、次は311であっちこっち壊れ

て、ようやく5年近く経ったところで今度は大雨。今日の新年会では市会議員のUさんも県会議員のNさんも見えて

災害対応の話をされたけど、復興はまだまだだし、ほんと今度どっかが壊れたらどうしたらいいんだろうと思います。

あっちこっちお金バラまいてないで、東北復興とか日本中の災害地に投入してくださいな。日本のリーダーさんたち。

 

年頭にあたって。私の今年の仕事初めです。

今年も変わらずお餅を作り続けますので、よろしくお願い申し上げます。

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我が家では、娘の夫が元旦は仕事なので、夜お正月を祝います。

作り始めて46回目だかの変わり映えのしないお節を今年も作りました。

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作るだけで自分はほとんど食べずに一人機嫌よくシャンパン飲んでいたら、酔っ払って翌日のお餅は休業・・・。

 

年頭に当たっての今年の「抱負」

といっても欲もなくなったこの年では、抱負も何もあったもんじゃないのだけれど、でもやりたいことはあります。

もう一回去年の夏に行った南富良野の「私の庭」「私の家」の坂井さんのお庭に行って、佐藤さんが足を滑らせた

私を見て作ってくれたという階段を踏んで森の中のインガルス一家の家と教会と、今年は作ると佐藤さんが

張り切っていたターシャさん様式のお庭を見てみたい。

 

去年の夏富良野に行った時、私が目を奪われたのは見事に咲くラベンダーではなく、麓郷や美瑛などの草原で

野生で群れ咲くルピナスでした。それまで私は毎年種を蒔いて販売用の宿根のルピナスを育てていました。

私が外来栽培種だと思い込んでいたルピナスが北海道のような厳しい気候の土地で、野生で群れを作って咲く

なんて、思いもよらないことで衝撃を受けました。

その後、テレビのターシャ・チューダーの番組で「野原いっぱいに野生のルピナスが咲くアメリカの原風景」という

言葉を聞きましたが、私にとって赤や青のルピナスが群れ咲く光景はラベンダーよりも魅力的で、今年は行ければ

もう一度富良野やその他の土地でルピナスの群落を見てみたいと思っています。

 

そして後は健康に気を付けて、頭をしっかりさせて、転ばないようにして、仕事はちゃんとやって、計画的にでは

なく、目の前に起こってくることに丁寧に向き合って日を重ねましょう。

 

以上が2016年、年頭に当たっての抱負ともいえないちっちゃい望みです。

あと、もう一度台湾に、今度はラベンダーを見に行きたいかな。