宴の後

ゴールデンウイークが終わって気抜けしたような日々ですが、実は表面的ではない、まあ、重たい仕事がいくつか

残っています。

たまたま重なった新聞バッグの注文をこなすのに追われて、作り過ぎたというか(検品で落とす品物が結構出るの

で大量受注の場合には常々多目に作ってもらってます)残った新聞バッグをいかに消化するか。可能な限り、返品

はせず、お金に換えて作った人に渡したい。

実は簡単ではない仕事なので、草刈りやっても買い物に出ても頭から離れません。

ここ数日、完全に破れたり糊でくっついたりしていて返品せざるを得ない商品を除いて、ひとつひとつ見直して買って

もらえるお客様を探すという作業をしています。 これ、なかなか孤独な仕事なのォ!!

心ある方と心通じ合わせないとできないことなので。

 

先日、大崎の農業者の話を聞くという課題をもって、神戸大学の岩崎名誉教授、岡山大学大学院の藤井教授、

名古屋大学の佐藤特任助教授の3人の先生方が岩出山にみえました。岩崎先生にお会いするのは初めて。

女性の藤井先生と佐藤先生にお目にかかるのは2度目です。

農業とそこに暮らす人の生活を結びつけてよりよい未来を考えようとする研究をなさっている先生方に農業者

としてのお話をするのはよっちゃん農場当主のよっちゃん。

新聞バッグについては年中話しをしていても、農業者としてのよっちゃんの考えを改めては聞いたことのない

私も同席して話を聞かせてもらうことにしました。浮かび上がってくるのはこれまでとは違うこれから先の農業。

そして夜は新聞バッグの話を聞いていただきました。

 

話をする。話を聞いてもらう、ということはとてもいいことで、日頃から心の中に溜め込んでいるさまざまな考えを

表に出して整理し、自ら確認できるいい機会です。

3人の先生がたそれぞれに話をきちんと聞いてくださって、今日は岩崎先生からも藤井先生からも佐藤先生からも

未来が明るく感じられるようなメールをいただきました。

新聞バッグのこれからの行き先はわからない。大震災も初めてなら手仕事で復興というのも初めてで、何をするのも

手探り状態です。ただ、今は続けて広げてたくさんの方に使っていただきたいな、という思いは変わらない。

 

今朝、隣家の娘夫婦は1年坊主が学校に行っている間に、栗駒山に出かけて行きました。登ってみるそうです。

私は40代半ばから50代の終わりまで山に登ってました。山の花が好きで山に行き始めたので、頂上を

踏むとか御来迎とかには興味がなく山を歩いていればよい、という登り方でした。だから北アルプスとか危なそうな

山には行ってません。花が多い会津や東北の山々はずいぶん歩きました。

70歳を過ぎて山には登らなくなった今も稜線を歩く時の山々の美しさは忘れられません。一生の宝のような気が

します。山に登っていれば足腰は強くなるし、どんなに長時間でも歩けるようになる。どんなに小さな一歩でも

とにかく止まらず歩いていればどこぞには着く。というような達観というか諦めというかそんな心境は山歩きをする

うちに身につきました。それと自分で登れば、嫌でも自分の足で降りるしかないというのは、数々の場数を踏んで

骨身に沁みて会得しました。骨折しても自分で降りるしかないものね。

 

残念ながら栗駒山は登山道の始まりから残雪で登れなかったそうです。さすが東北の山。

さて私も一歩一歩ならぬ1枚1枚の新聞バッグ点検に戻ります。がんばろう~~!