小さい頃身体が悪くて、小6で手術を受けるまで近所の子供らと一緒に遊ぶことができませんでした。
で、本が好きでいっぱい本を読んでました。外国の物語を読んで外国に憧れ、大きくなったら外国
に住みたいと思っていました。中学1年生で初めて英語と出会い、英語を上手になりたくて、基地が
ふたつもある町に住んでいるので、駐留しているアメリカ軍の家族の家に大人になるまで通って
ました。
日本の会社でも働いたけど一年で辞めて、後は基地で働き、大きい病気をした後はアメリカ資本の
会社で働きました。ほとんど日本の社会に関係のない暮らしぶりだったので、好きな人ができてアメリカ
にお嫁に行く機会は2度ありました。今はテレビなどで戦争花嫁などというけど、私の周囲でも兵隊と
結婚してアメリカに渡った同僚はいくらもいます。もう70にもなって、みんなアメリカで幸せかな?と時々
思い出します。私はなんだかねえ、そういうところにいると、日本人の塊みたいになっちゃって、
考え過ぎてなかなか前に進めない。だから今も日本にいるんだなあ。
まあそういう経験をして、アメリカ資本の会社で働いている日本人のオトーサンと結婚して普通に
暮らしてきたわけですが、海外勤務には縁がありませんでした。オトーサンは一人で海外の
あっちこっちに出張ばかりしてました。
そして、ある時会社のコンベンションでサイパンに行くことになりました。小さい子供3人の育児中で
行く気になれないところをオトーサンの母親から「みんなが行くんだからあんたも行ってくれ」と拝み
倒されてしぶしぶ、社員+妻という旅行に送り出されました。
初めての海外旅行。初めての海外便。
その飛行機の苦しかったこと!乾燥とあの狭さ、動けない苦しさ。行きはなんとかがまんし通して
到着したんですが、帰りは悪夢。隣の席で機嫌よくしゃべる男性社員の顔まで今も記憶が離れない
トラウマです。以来全然飛行機に乗れなくなっちゃった。
翌年のコンベンションはモナコとか。モナコなんか行ったら飛行機の中で死んじゃう、と必死で
抵抗したことを今も覚えています。
なんのことはない。あれほど外国に憧れていつか私は外国に住むんだと思っていた人間が飛行機に
乗れないなんてバカバカしくてしゃれにもならない。ニュージーランドにトレッキングに行きたいとか大陸横
断鉄道に乗ってみたいとか思うくらいは思うのですが、船でとか上海経由で陸路でとか思っているうちに
年をとって、自分は海外には縁がない人間で、行かないまま終わるんだ、とほぼ思い決めていました。
私の従妹は毎年年2回、年をとったおば夫婦の面倒を見るためにロスから日本に帰ってきます。
1、2ヶ月いてアメリカの家族のところに戻ったかと思うと、また延々12時間も飛行機に乗って日本に
やってくるのですが、私はなんでそんなことができるのかと信じられない思いです。
私の親しい友人も大分から成田と飛行機を乗り次いでカナダまで娘さんの赤ちゃんのお世話に行って
ました。ほんとにえらい。私も娘の子供の面倒くらいは見てあげたいけど、絶対に飛行機には乗れない。
必死の思いで出かけて行ったら一年くらいは戻ってきたくない。重症なんです。
ところが、なんと2月に私は地中海に浮かぶ島マルタ島に娘家族と行く決心をしました。以前その話があっ
た時途中で3回くらい降りるなら行ってもいいという私の案は却下され、訊けば最初に13時間乗って、乗
り換えで6、7時間待って、乗り換えて6時間乗るなどという身の毛のよだつ飛行時間。
でも行きます。睡眠薬飲んで行きます。
これで行けたら、いつか友だちとウイーンやドイツに行ってお菓子を食べて音楽聴いて散歩してという
夢に一歩でも近づけるかもしれないので、諦めないで挑戦します。
ほっぽらかしになっていたパスポートを新しくしてきます。
誘われても絶対動かなかった私が、海外旅行をするなんて、オトーサンがびっくりして喜んでいるだろう
なあ~。