再び浦安のこと

朝、道の駅に出荷に行き、お餅が入った籠を両手に持ってバーコード室の窓下のツルツルに凍った道を
踏んで、見事に無防備に足が上に上がる勢いでそれこそスッテンコロリと転倒。

しばし起き上げれませんでしたね。頭は確かに打ったけど、腕も痛くてそのままツルツル氷の上に寝て
いたら、室内から私の姿が突然消えたのを見て驚いたお豆腐屋のNさんとお花を作っているKさんが
飛び出してきました。

救急車を呼ぼう、と何度かKさんに言われたけれど、暫らく寝ているうちに衝撃が和らいできて、今日は
1日様子見の状態です。

時間が経ったら胸の骨のどこかも痛いので、肋骨かなにかを痛めたみたい。

私が踏んだ凍結道路は通行止めにしましたが、道の駅にお出でになる方。気温はマイナスではないのだ
けれど、朝の冷え込みの名残であちこちが凍ってます。どうぞお気をつけて。

 

再び浦安のことを書きます。

正直、先日久しぶりに行って見た今のディズニーランドがある新しい浦安の町の様子は、少なからず私にはショックでした。ほんとに10年ちょっとしか経たないのに、驚くべきマンションの増え方。それも高層ばかり。

全部が全部高層ではないのかもしれないけれど、やっぱり建つマンションというのは高層が主流なんですかね。スーパーも増えたけど、ホテルが増えた。こんなに辺鄙だったところに、という場所にも大きなホテル
が建ってる。新浦安にも舞浜にも遠いし、バスはそんなに密度濃くはないからどうするのかな、と思って
いたらディズニー行の巡回バスが通りを走ってました。

なるほど。

今私は福島から避難してきているあやさんと一緒に新聞バッグを作っている。
3月12日の原発の爆発の日に何がどうなっているのかも解からないまま用意されたバスに乗って家を
離れてもうすぐ3年。その日のことはほとんど話題にしません。

家に帰れない福島の人と一緒にいるので、子供が3人いる彼女が放射能を怖がる気持ちがわかるので、
うちの筍も未だに数値が高くて食べられないので、私たちの町の山菜もキノコも何時採れるようになるのか
先が見えないので、その他その他の理由で私は原発反対です。
いつもお世話になっている大津の角川社長が品物を送ってくださるついでに読売新聞の「よみほっと」という
記事を送ってくださいました。

名言巡礼 「漁師町」の記憶生き生きと とあり、山本周五郎の『青べか物語』からの一節「苦しみつつ、なお
はたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」と書かれていました。

浦安といえば私は「青べかだ」と思ってました。浦安もその隣の市川市の行徳も江戸川、荒川、その支流に挟まれていて、どの方角に向かっても橋を渡らなければならない。それが私は不安だったけど、青べかの
時から80年を経て干潟はディズニーランどになり、面積は4倍に、人口は16倍になって、なお建物は建ち、
この先も人口は増えるのでしょう。

また今日息子から海浜幕張に東京ドーム4個分くらいイオンモールがオープンしたよ、というのを聞いて、ウーーム、新浦安のマンション増といい、馬鹿デッカイイオンモールの開店といい、私たちの原発反対は
寝言だな、と思い知らされます。