お湯が出ない

30日。今年も残りあと2日。

雪は大丈夫だった。明け方4時頃、コツコツコツコツ床を歩き回る犬の足音に起きて、窓から外を覗くと
寝る前あんなに大粒の雪が途切れなく降っていたのに、デッキの手摺の雪は同じくらいの高さなのでホッ。

外においた犬の飲み水用ボールの水が凍っていない。気温が上がったんだわ、と思うまもなく雨。
晦日だというのに、大雪降ったり、雨が降ったり落ち着かない天気です。来た頃は12月の末から2月
いっぱいくらいまで雪しか降らなかっんだけど・・・。

 

お正月前のお餅つきで忙しい中、給湯設備が故障しました。台所も洗面所もお風呂もお湯が使えなくなり、こう事態は311の大震災以来です。あの時は地中のポンプが壊れて水が上がらず、輸送手段がないため取り替えもできない、という状況でしたが、今回は水は出る。ガスもある。

ただ修理をしてもらおうにも正月前で、部品の取り換えも修理も正月が終わらなければどうにもなりません。

今回の正月休みは長丁場だし、お湯なしの覚悟を決めて、台所のガスで沸かしたお湯を少しずつ使って
洗い物をし、水ですすぐという方法で切り抜けることにしました。

それをやり始めてもう3日くらいになりますが、意外や意外、格別の痛痒を感じません。全然困らない。

給湯器が壊れる前までは冷たい水が嫌で、米さえお湯で研ぎたいくらいだったのに、お湯がなくなってしまうと平気で米を磨ぎ、食器や鍋を洗い、3日前までジャージャージャージャーお湯を流しっぱなしにして
洗い物をしていたあの無駄はなんだったろうか、という気持ちになってます。

 

人間、何かをなくした時に初めてエネルギーも知恵も出るというけど、まさにそうなのかもしれない。まあ、
直せばお湯が出る。しばらくの間だ、と思っている安心感もあってのことだと思うけど、お湯が出るように
なっても、こういう無駄をしない家事のやり方は続けなければならないなあ、と思ってます。

ただ、お風呂のお湯が出ないのは困る。
今日は餅搗きの間を縫って温泉に行こうと準備までしたのだけれど、餅つき疲れで途中で寝てしまって
行けませんでした。
明日は絶対行くぞと意気込んでますが、大晦日の温泉ってどんななんだろう。

混んでいるのかいないのか。何時頃なら空いているのか、大晦日の温泉には入りに行ったことがないので推測できずに悩んでます。

 

 

 

 

 

 

 

歳の瀬

また雪増えた。40センチ。
でもお日さまが昇ってきました。晴れるか。 晴れてほしいー!

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今日は29日。
普通のお宅ではお餅を搗かない日なんでしょうが、お餅屋の私は受けている注文があるので、今日は1日
お餅つきです。

そんな中、今日は嬉しいお客様がありました。

夫が仕事をしていた会社の元部下の方で、喪中の知らせを読んで、東京からこの電車が混む時期をものともせず、訪ねてくださいました。朝3時に家を出られたそうですが、ほんとうに有難く、夫がどんなにか喜んで
いることだろう、と思います。

生きているうちに会わせたかった、と思うと込み上げるものがあるので、そこは考えず、今の会社のこととか
海山ネットの話とか、たくさんお話しをすることができて、本当にお会いできてよかった。

大震災以来、突然何かのことで思いがけない方に出会うと、これは「新しいご縁の始まりか」と思うようになりました。昔知っていた方に出会っても、新しい方に出会っても同じで、私の直感が「それは正しいんだよ」と言っているような気がします。

今年の秋に筑波大学の農村学会で初めてお会いした天野寛子先生(昭和女子大学名誉教授)から先に
頂いたフリー刺繍の画集「繋ぐ②」の前に出版された①が送られてきました。

刺繍というのはフランス刺繍とか日本刺繍とか一応型があるんですが、天野先生の刺繍はフリーと名の
付くとおり絵を描くように自由に縫われた絵画のような刺繍です。

画集でこんなに美しいのだから是非とも展示会で本物を見てみたい、と願っていたら、先生からの
お手紙に春に陸前高田で展示がある、と書かれていました。

ししゅう高田松原プロジェクト、とあるので刺繍と高田の松原を繋ぐ何かがあるのかもしれない。
そんな期待をしながら、絶対見に行こう、とカレンダーに印をつけています。

 

しかし、まあ、しんしんしんしんと今も雪が降り続いている。
明日、どうなるんだろうと心配です。ここに越してきた年の年末大雪の時のように60㎝とか。
あの時は根雪になって冬中雪との格闘だったので、あんなのは勘弁してほしいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

雪30センチ

いやあー、降ったね!

このデッキの手摺が私の積雪バロメーターです。

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車を出すのに苦労するくらいの積雪。

出るのは出て、道の駅、その他での出荷、買い物、と済ませて家まで帰り、私道の坂を登ろうとしたところ
で行き詰まってにっちもさっちもいかなくなりました。後ろへは下がれるんだけれど、前に出ようとすると
ハンドルをとられて動きがとれない。

家に帰って毛布でも持ってくるかと外に出たら、後ろに新栄さんの除雪機が。よかったーー!!
除雪機から降りてきた新栄さんに、オトーサンの代わりに集落親交会の会計監査を頼まれましたが、
この際だから引き受けました。雪を払ってくれてほんとに助かりました。

鳴子の奥に住むあやさんのお宅の積雪を想像すると、ああ、胸が痛い。きっと雪と格闘してると思います。

今も降り続いている。ちょっと異常じゃないですかね。この時期、この積雪は。

明日はなんとか雪が止みますように。

 

 

 

 

 

集落行事

夫が亡くなってからついに巡ってきた集落の資源ごみ当番。

朝6時半から7時まで、ということで早朝5時に起きてお餅の仕事を一部こなし、ダウンを着て毛糸帽子を被り、フードも被り手袋もするという重装備で現場到着。寒いのかなあと恐れていたけどさほど寒くない。

同じく当番のお隣りのOさんと一緒に集荷小屋の中を整理整頓したり、持って来た人のお手伝いをするのが
仕事。といっても集落関係は全部夫任せで、自分では何にもやったことがないので勝手がわかりません。

夫のようにはうまくいかないけど、Oさんとおしゃべりなどしてそれなりに30分が経過。たったこれだけのこと
なんだけれど、夫の代わりにやれるかなあ、と思っていたので、ホッと安堵して帰ってきました。

さて次の集落関係は正月の2日の新年会。この町では(たぶん)町全体で正月2日に新年会をやる、ということに決まってるのだろう、と思うけど、これも引っ越して以来出席体験なし。

これも夫の欠かさない正月行事でした。でもいないのだからどうにもならんので私が行きます。
とは思うものの、部落の皆さんのお顔や名前を見知っているわけではないので、正直腰が引けます。
反対側の隣の0さんの奥さんに「一緒に行って」と頼みました。

1年に1度のカン拾い、1年に1度の草刈り、資源ごみ当番、睦親講に参加してのお葬式のお手伝いから
何かの役割りまで引き受けて、集落の役に立とうと務めていた夫を、たいしたもんだったなあ、と感心します。実に辛抱強い人でした。

 

年賀状が行き来する時期になりました。
うちの場合は喪中葉書なんだけど、なかなか書けなくて、やっと2日ほど前に書いて投函しました。
もう年賀状出しちゃったよ、という人がいるかもしれない思いながら。

案の定というか恐れていたとおり、次々友人たちから電話がかかってきました。
いなかったからいいようなものの、1日に何度も、「どこのガンだったの?」とか「苦しんだ?」とか聞かれたくないし、答えたくない。

夜遅くかかってきた電話には捕まって訊かれることには答えたけれど、我ながら無愛想で後、自己嫌悪。
お気持ちは有難いけれど、喪中葉書を見てすぐに心配して電話をするというのは、違うかもしれない。

そうだ、嬉しい電話もありました。

新聞バッグを作っていないのでずいぶん合わない、海から離れた山の中の辺鄙な場所にある仮設住宅に
入った白石さんの奥さんから、お悔みの電話が。仮設の暮らしも3年近く。「胸苦しいようで体の調子が
悪い」とのことでした。元気印のご主人の今の仕事はみなし仮設の運転手。こまめにお仕事を見つけてくる
白石さんらしいいなあ、と思いつつご無事を祈りした。

明日から3日間は餅つきで始まり、餅つきで終わります。

 

 

 

 

 

 

これからの海山

6000本の納品終えてホッと一息のよっちゃん、みっちゃんと共に仙台へ。

雪がちらつく中、高速大丈夫かなと心配しましたが間もなく晴れて仙台到着。

今日は新聞バッグ体験を組み込んだ気付きの旅を企画する旅行会社の方と、これからの旅行企画の話し合い。山の人と海の人とがお互い信頼し合って活動する海山ネットのように、都会の人と地方の人とが
お互い知り合って信頼し合って未来を考えられるような旅の企画ができたらいいのですが・・・。

そこで噂のオクトパス君との初見参。名前だけは知っていたのですが、しっかり重くて小さい朱色のタコ君の文鎮様の置物。置くとパスする。つまり置くと試験に合格する、と人気者なのだそう。

そういえば名取の仮設住宅出身なのかな?
小野仮設のオノ君はめっちゃ可愛い手足の長いおさるさんです。見ると一匹欲しくなります。

今日はクリスマスイブ。みっちゃんにケーキ購入のために連れて行ったもらった有名洋菓子屋さん。
そこにはあちらこちらの仮設住宅で作った海の幸の「アクリル束子」が置いてありました。
仮設の集会所でけいこさんたちが新聞バッグと一緒に作っていたメカブの束子もありました。ちゃんと仮設住宅の名前が入ってた。

復興グッズという名前を越えてこれからも活躍する優れモノたちです。勿論新聞バッグもその仲間。

午後は海山ネットの組織化、ということを念頭に置いてのお話を経験者に聞きに行きました。

この2年半、折に触れては一緒に仕事をしてきた方たちだから安心してお話しを聞けます。
海山の未来を作り出すために、読んで学んでお話しを聞いて、一歩一歩歩みを進めようと思います。

来た時とは違って帰りの高速道の車窓から見る景色は薄っすらと雪を被って凍てついたよう。
「寒そうー、でも冬至を過ぎたからだんだん明るくなりますよ」とみっちゃん。

そうなんです。この土地に来てから冬至とか夏至とか、都会に暮らしている時にはただの言葉だった
季語がとても重要になりました。夏至を過ぎてだんだん夕暮れが早くなってくると、冬至が待たれます。
冬至の日、この辺りではかぼちゃと小豆を一緒に煮る「かぼちゃのいとこ煮」を作るらしく、由美さんと
うちの婿さんの二人から「いとこ煮」をもらいました。

そして冬至を過ぎるとすこしづつ日が長くなるのが嬉しい。

帰ってくるとあそこここカチンカチンのツルツルに凍ってました。
今夜は珍しいほど冷え込んでいます。

家に帰る道々、ゆるーい坂道では前の車は時速10キロ。
ぶつかりそうで、あー、怖かった。

 

 

 

 

 

「サイワイ」餅&よっちゃん納豆

もうすぐクリスマス。

なんとまあ、今日は由美さんがうちの5歳孫を連れて、町にクリスマスプレゼントを買いに行きました。

仕事を中断してわざわざくりこま高原駅前のイオンモールまで。

ウルトラマンを買ってもらって、ゲームもやらせてもらって、ジュースやヨーグルトのおやつまで買ってもらって、大満足で帰って来ましたが、私が経験した都会での子育てではまず考えられないことで、こうして地域の人たちに可愛がってもらえる境遇は、大変幸せなことだと思います。

 

孫を由美さんに預けて、私はほっかぶり市へ。

普段はあまり行かないのだけれど、今日は高知産の「さいわい」餅米で餅つきをするというので味見に行きました。

着いたらちょうど餅つきが始まったところ。頭に手拭いを被ったこの町出身、在住の県議、中島氏がぺったん、ぺったんと杵を振り上げてのお餅搗きの最中。今年買った新しい(中古)臼でお餅をかえしているのは
よっちゃんです。

搗き上がって、さてどんな味と食べたら絡ませたおろし大根が辛くて、味がわからなかった。切れが良く感じるのは杵つきだからかもしれません。よっちゃんに言わせれば「香り」があるとのこと。

お餅というのはなかなか性質が難しくて、搗き上げて水にさらして2度搗きしたら、お餅が硬くなりません。

いつまでも柔らかいんだけれども、搗く時間によって、お年寄りや子供が食べたら喉に詰まるんじゃないかと
不安に感じるほどねばりが出ます。だから素人が「これはいいや」と迂闊にやるのは危険なような気がします。私は自分が販売するお餅は2度搗きはしません。

納豆。これは凄かった。粒がでっかーい!!1個に小さい1本のよっちゃんなんばんが付いていました。
この豆の大きさを見て、苦労して栽培した大豆の半分も使えなかっただろうな、と推察しました。

枝豆のように全部を食べるのならいいんだけれど、日照りや雨やカモシカの食害をかわして一生懸命に育てても、豆の莢を開くと5粒並んでいても2粒くらいしか使える豆がないんですねえ。

忘年会の席上で「来年も作るの?」とみっちゃんに聞いたら「作るそうです。一人でもやると言ってますよ」と笑っていたから、今年が最初。来年、よっちゃんはもっと気合い入れて作るんだと思います。

 

家に持って帰ったら娘が「凄い!全部自分で作ったというのが凄い!」と感激してました。

とっても美味しかったそうです。よっちゃん夫妻、よっちゃん納豆に拍手!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘年会そして百ヶ日

昨夜は海山ネット始まって以来の初の忘年会でした。

忘年会は一度やってみたいな、と思いつつ、多忙に追いまくられてなかなか実現でなかったのですが、

ついに実行。新聞バッグ関係、来れる人はみんな参加してね。という忘年会の趣旨なのですが、なにせ

家業のほうが暮れで追い詰まっているので集合できるのは夜7時。

子連れ、孫連れの飲んで食べておしゃべりしての楽しい2時間忘年会でした。

来年は秋の新聞バッグコンクールinニューヨークを控えて、やることいっぱいの年になります。

仲間みんなで忘年会で顔を合わせて、心をひとつにして目標に向かいます。

 

一夜明けて、夫が亡くなって百か日の今朝はどしゃ降りの雨。

お仕事が休みで黒田さん宅で朝から新聞バッグ作りの特訓を受けている由美さんも一緒に11時にお寺に。

黒田さんも来てくれました。

雨の中、お花を替えてお線香をあげてお参りしました。

夫が亡くなった後、いやに元気に毎日の仕事や普段の暮らしを続けていたかと思うと、急に元気がなくして

熱を出したり寝込んだりと気持ちが同様して変転しましたが、ようやく回復してお正月用のお餅をつけるよう

になりました。

 

お餅といえば、明日の土曜日。明日開催のほっかぶり市では高知の「さいわい」餅米でお餅をつくとのこと。                                                                    「さいわい」という餅米は四万十チームのメンバー、ファシリテーターの智子姉さんのお父様が作っておられ

る餅米で、私も是非食べてみたいと思います。ちなみに私が使う餅の当地米は「ミヤコガネ」。

どんなふうに味が違うのかなあ、と楽しみです。味よりこしが違うのかもしれない。

 

夕方、夫の百か日を覚えてくれていたT君が、お線香をあげたい、と訪ねてきてくれました。

T君は16年間の引きこもりを経て、うちでは花作りの手伝いを長年してくれていました。別にヘルパー

さんとして老人介護の仕事をしています。夫がT君のことを好きでした。T君と一緒に行った南

三陸、戸倉の海での釣りが最後の魚釣りになりました。

 

お線香をあげてくれて、孫にはクリスマスプレゼント、そして私たちにまでお土産をいただきました。

夫とたくさん話したことで、「頭の中の靄がとれたように楽に人と話せるようになった」

最初に出会った頃とは別人のように明るく話すT君と会えて、私たちもとても嬉しかったし、夫も喜んでいると思います。

 

いい百か日でした。

 

 

 

 

 

 

再び浦安のこと

朝、道の駅に出荷に行き、お餅が入った籠を両手に持ってバーコード室の窓下のツルツルに凍った道を
踏んで、見事に無防備に足が上に上がる勢いでそれこそスッテンコロリと転倒。

しばし起き上げれませんでしたね。頭は確かに打ったけど、腕も痛くてそのままツルツル氷の上に寝て
いたら、室内から私の姿が突然消えたのを見て驚いたお豆腐屋のNさんとお花を作っているKさんが
飛び出してきました。

救急車を呼ぼう、と何度かKさんに言われたけれど、暫らく寝ているうちに衝撃が和らいできて、今日は
1日様子見の状態です。

時間が経ったら胸の骨のどこかも痛いので、肋骨かなにかを痛めたみたい。

私が踏んだ凍結道路は通行止めにしましたが、道の駅にお出でになる方。気温はマイナスではないのだ
けれど、朝の冷え込みの名残であちこちが凍ってます。どうぞお気をつけて。

 

再び浦安のことを書きます。

正直、先日久しぶりに行って見た今のディズニーランドがある新しい浦安の町の様子は、少なからず私にはショックでした。ほんとに10年ちょっとしか経たないのに、驚くべきマンションの増え方。それも高層ばかり。

全部が全部高層ではないのかもしれないけれど、やっぱり建つマンションというのは高層が主流なんですかね。スーパーも増えたけど、ホテルが増えた。こんなに辺鄙だったところに、という場所にも大きなホテル
が建ってる。新浦安にも舞浜にも遠いし、バスはそんなに密度濃くはないからどうするのかな、と思って
いたらディズニー行の巡回バスが通りを走ってました。

なるほど。

今私は福島から避難してきているあやさんと一緒に新聞バッグを作っている。
3月12日の原発の爆発の日に何がどうなっているのかも解からないまま用意されたバスに乗って家を
離れてもうすぐ3年。その日のことはほとんど話題にしません。

家に帰れない福島の人と一緒にいるので、子供が3人いる彼女が放射能を怖がる気持ちがわかるので、
うちの筍も未だに数値が高くて食べられないので、私たちの町の山菜もキノコも何時採れるようになるのか
先が見えないので、その他その他の理由で私は原発反対です。
いつもお世話になっている大津の角川社長が品物を送ってくださるついでに読売新聞の「よみほっと」という
記事を送ってくださいました。

名言巡礼 「漁師町」の記憶生き生きと とあり、山本周五郎の『青べか物語』からの一節「苦しみつつ、なお
はたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」と書かれていました。

浦安といえば私は「青べかだ」と思ってました。浦安もその隣の市川市の行徳も江戸川、荒川、その支流に挟まれていて、どの方角に向かっても橋を渡らなければならない。それが私は不安だったけど、青べかの
時から80年を経て干潟はディズニーランどになり、面積は4倍に、人口は16倍になって、なお建物は建ち、
この先も人口は増えるのでしょう。

また今日息子から海浜幕張に東京ドーム4個分くらいイオンモールがオープンしたよ、というのを聞いて、ウーーム、新浦安のマンション増といい、馬鹿デッカイイオンモールの開店といい、私たちの原発反対は
寝言だな、と思い知らされます。

 

 

 

 

 

 

 

 

楽天新聞バッグはいかが?

今夜は満月です。空はよく晴れてまん丸いお月さまが煌々と光を放っています。

一昨日の大雪にはびっくりさせられました。この時期普通あんなには降らない。降るけど40センチは
降り過ぎ。12月の終わりならともかく半ばに除雪車に除雪してもらったのは初めてです。

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まだ冬の始まりなのに、この先どうなるのかと恐ろしい。
でもとにかく止んで晴れて、雪が溶けたのは有難いです。

以前に河北新報さんから頂いた新聞紙で楽天優勝の時の新聞バッグを作りました。
もう年末も押し迫りましたが、やはり今年のビッグニュースNO.1といったらこれでしょう。

と思って作って道の駅に出したら、即刻売り切れました。

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やっぱり「日本一」とかそういう見出しがいいようです。
こうして見ると、新聞紙で見るよりバッグのほうが笑顔が立ち上がって迫力ありますねえ。

記事が切れるのがもったいないので、写真全体が活きるように作るため、普通の大サイズよりもう一回り
大きいバッグになっています。

他の注文もあるのでボツボツ作っていますが、でき上がったら道の駅に出します。
道の駅にお寄りの際には、新聞エコバッグコーナーをご覧ください。

 

雪は溶けたけど外はしんしんと冷えてます。寒そうー!!

 

 

 

 

 

東北にディズニーリゾートがあったら!?

用事があって東京ディズニーリゾートがある千葉県浦安市の舞浜駅に降り立ちました。
ディズニーランドがある駅です。でもディズニーに遊びに来たわけではありません。

降りてびっくり!

凄い人の波。休日ではなく今日は普通の日なんです。でも東西南北どっちを見ても人、人、人、人、人。
ディズニーランドと私はまだ見たことないディズニーシーに行く人たちなんですね。

そして目の前の高いところをディズニーキャラクターの顔の形の窓があるモノレールが走り、後ろも横も
大ショッピングモールが入った大きなお洒落な建物や、ヨーロッパのどこかの国のようなホテル群が林立。
ここはどこの国か?というような佇まいです。

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いやあー、驚きました。

私が宮城に住んで12年。                                                   舞浜駅はディズニーランドの正面入り口があるだけの駅でした。なのに12年の間のなんという変わり様! どこがどうなっているのかさっぱり解からない。見知らぬよその駅みたいです。

下世話な言い方ですが、ディズニーランドのおかげで浦安市は儲かっているんだなあー、というのが正直な感想。鉄鋼団地もあるしね。

この町と隣の町で、私は子供たちを3人、小学校から大人になるまでを育てて暮らしてきたけれど、こんなところに住んでいたのか、と自分が信じられない思いがします。

駅で制服姿の高校生が多数見ました。そうだ、うちの息子もここの高校に通ったんだ、と思い出しました。
息子も娘もアルバイトはディズニーランドだったし、ホテルでした。

最初に新浦安に住んだ頃はディズニーランドもホテルもありませんでした。暗くてコンビニが1軒あったかな。
その後にディズニーランドができて片側3車線道路ができてホテルがたくさんできて、大学ができて、京葉線が走って、という具合に  発展してきました。
そして今は圧倒されるような高層マンションの数。どれだけ人が増えたのだろう、と想像がつかない。

でもよく見れば3年前の大震災の被害はひどく、今もまだ道路は工事中だらけ。
高級な一戸建ての住宅も塀が壊れたり、傾いたりの痛々しい姿が見受けられます。

 

12年ぶりに浦安にきて古巣に戻ったような気がしたけれど、でも1番思ったのは何度も思ったのは、
このディズニーランドが、今あるディズニーランドの3分の1でもいいから、東北にできたらなあ、ということ。、
お客さんがたくさん来てくれて、東北はこの浦安のように潤うんじゃないのということ。

 

 

明日は今もこの町に住む長男夫婦のお義母様の手術の日。ご無事を祈ります。