日本農村生活研究大会in筑波

久しぶりの筑波です。

筑波といえば筑波山。もちろん登ったことはありますが、最も馴染んだ筑波体験は、一昨年まで
1年に1度、東京の仲卸で仕入れた花の苗を宮城まで運んでいました。その途中に、宮城に来る前に4年間
学んだ益子の陶芸の先生宅に寄るために、筑波学園都市を貫通する道を通っていたのです。

つくばエキスプレスという新しくできた電車に乗るのは初めてです。
東京から電車で筑波に行くのは実にに不便だったのに、このつくばエキスプレスに乗れば、40分
ちょっとで筑波到着。速いです。便利になった。

賑やかな町ではなかった途中の町々も、新しい駅ができて賑やかな町になっただろうなあ、と想像しながら
筑波駅に着いて、駅から外に出て見てびっくり。近未来都市みたいになってました。。SEIBUもHOTELも積木の箱のよう。

 

で、今日の用事は何かと言うと、日本農村生活学会主催による日本農村生活研究大会に招かれました。

前から資料などは送って頂いていたのですが、正直なところ、それを読んでも今日自分が何をするのか
理解できていませんでした。余りにも不慣れということなんでしょうが、もう一人話題提供者として栃木県
の茂木から来られた、有機農業を実践されている新規就農者である松井さんも来られていて、そこで
初めて自分が農村移住についての発表をするのだと知りました。

きっとそのようにご連絡頂いていたのだと思うけど、ピンと来ていなかった、ということです。
準備万端整えられた松井さんと比べて、準備も何もなく、お土産にと持参してきた新聞バッグと海山の
チラシだけ持って、丸裸同然のぶっつけ本番で、首都圏から宮城に移住してきたこと、翌年道の駅が
できたこと、お餅と花を販売する生産者になったこと、農村には外部からの人の移住が重要であること、
資金が必要な農業に従事しなくても定年退職後の移住には、土地の産物を加工して販売していく道
もある、ことなどをお話ししました。

後半は新聞バッグと海の手山の手ネットワークのことをお話しました。

聞いていらっしゃる方々が、大半は大学の先生方のようで、余りの場違いに緊張して、普段のように
楽しくなんて全然しゃべれませんでした。

この次もし同じような機会があったら、準備します。写真とかいろいろ。四季折々に色や姿を変える
里山の連なりの中でイグネに囲まれた家が点在する岩出山の美しさや、道の駅や、南三陸の仮設の
集会所でみんな揃ってのの新聞バッグ作りなど、映像で見て頂きたかったなあ。

この大会の参加者に女性の大学の先生が多いのには驚きました。同時に女性の農村生活研究者が
これほど多数いらっしゃるということに、心強い思いをもちました。
たぶん新聞バッグが繋いでくれて、この先もまたご縁があると思います。

素晴らしい体験をさせていただいてありがとうございました。

帰ってくると、楽しいメールが来てました。
いつもドイツの新聞を送ってくださる横浜のSさんが、ドイツに行ってらっしゃったそうです。
新聞バッグを作って持って行ったら、ドイツのお友達の方々が喜んで、作り方を知りたいという方も出て
来て、一緒に取っ手を作る棒を買いに行った、とのことでした。シーボルトが生まれた町に住むSさんの
お友達の方々は、311の時から東北の支援を熱心にして下さって今も続いているそうです。

 

支援の先は一関の藤の園というところで、私もそのうち藤の園にお邪魔してみようと思います。
新聞バッグを作り始めた時には、仕事を作る、そのことしか考えていなかったのに、時が経ってこうして
国境を越えて人と人とが繋がるきっかけになっていることを思うと、不思議で嬉しいです。