ない町を捜す

昨日は晴れでまた今日は雨。けっこう強い雨です。
鳴子のダムの放流のサイレンが聞こえます。

なかなか梅雨は終わらないねえ。

以前に南三陸の菊の師匠O氏が仰ったことがあります。 O氏は現在南三陸町の外れのほうの仮設住宅にお住まいです。                                                         「町がないのは張り合いがないねえ。普通だったらあるでしょう?人々の家があって、学校があって郵便局があって、という町が。それがいつかできるという見通しがないのはやっぱり寂しいね」

奥さんのほうはさっぱりとして「ないもの言っても仕方がないもの。私はもうふっきれた。男の人のほうが、ふっきれないのかもねえ」
口で言うほど気持ちの整理がついているわけではないでしょうが、奥さんのむっちゃんはサバサバとして
仕事に家事にと日々を忙しく送っておられます。

 

初めて私が南三陸町を訪れた時、まだ建物の上には車が乗っかり、壁には車が突っ込み、野原や田んぼには船が見られ、押しつぶされた車の残骸が山になっているという状況でしたが、海に向かってすっぽりと
何もかもなくなってしまった空間が、実は震災前は志津川というひとつの町だったのだ、とは状況から見てのみこめました。歌津も同じで駅舎が流された後に置かれた簡易トイレ2個の前に立って海の方向を向くと
海に至るまでの空間は実は以前には銀行や商店などが立ち並ぶ町があったのだ、とは説明を聴いてのみこめました。

陸前高田にも行ったし、石巻にも行ったし、気仙沼にも行った。
それだけの被災地を見ているのに、女川に行った時、私は、私だけではなく同行のクロちゃんもあやさんも
女川で町を探したんですねえ。
女川は壊滅だってあの時、聞いていたのに。

現在電車が動いているのかどうか解からないけど、とにかく線路が続いている駅までは行きました。女川にはマリンパル、おさかな市場があるはず。標識を見てぐるぐるぐるぐる探すけどない。通ってくる国道沿いに
マリンパルという仮設仕立てのような建物があったけど、もしかして、前にあった町の中のマリンパルは
なくなっていて、ずいぶん離れたあそこに移動したんだろうか。

お土産を買おうと今のマリンパルに着いた時には夕方も遅くなっていて閉店でした。

私たちは初めての町、知らないところに行く時は、刷り込まれたように町を目指すんだ、と初めて自覚したような気がします。町がないということには慣れていないので、町の中心部を探してぐるぐるぐるぐる回って、
「町がみつけられないのか」「町がないのか」すっきりさっぱりしないまま、3人とも疲れて帰ってきました。

そして震災後の地図で女川を調べてみて、女川にはまだ町はないんだ、女川の方たちはあちこちで商店街を開いたり、コンテナの宿泊所を作ったりしてがんばっておられるんだ、と納得しました。

 

昨日は選挙の日でした。
夫と二人、午後、集落の公民館まで投票に出かけました。

復興のことなど言ってる人はいるの?と言いたいくらい復興という言葉は聞こえませんでした。
「ねじれ解消」ばっかり。ねじれがあったほうがいいんでないの?

そして今日、ねじれはなくなったとしたって、テレビに出て来る自民の当選者の顔を見、話す言葉を聞いていると、女川だろうが南三陸だろうが、町がないことに戸惑い、ない町を捜す東北の一国民の心など想像もつかないだろうなあ、と思います。町はあって当たり前だもの。
想像がつかなかったら、その人たちのことを考える時間も少なくなるよね。

 

 

そんなことを思いながら、雨の午後、家の中でテレビを見ています。
今から新聞バッグ作りにとりかかります。