また会う日まで。

なんとかお天気がもちそうな土曜日の朝。
早朝から打ち上げる花火の音が響きます。この町では全部の学校(小学校、中学校は判らない)の運動会。

すぐ近くにある小学校も今の生徒数は全部で35人と聞いたので、学校に行く子供がいなくても地域の住民が
できるだけ多く行ったほうがいいんだろうなあ、と思うものの、今日は先日立ち上げた「ものづくりネットみやぎ」の
副代表になられた宮城イーストファームの赤坂社長が推進なさる「東北コットンプロジェクト」の綿の種蒔きの日。

両方行くのは無理なので、運動会は来年までお預けにして、ともだちも一緒に綿のタネまきに行くことにしました。

この話は記すことが多いので後まわしにします。

1日過ぎて今日日曜日は、4泊してくれたともだちが福岡へ帰る日。

昨日の夜は「お世話になったから」とたくさんのお肉と野菜を買い込んできて、うちの家族のために鉄板焼きの
大盤振る舞いをしてくれました。日頃食事の用意をする役目の娘が「おいしーッ」と何度言ったことか。
よほど美味しいんだな、と私も嬉しくなりましたが、当の私は風邪ぎみで喉が痛いのと片側の歯を抜いたのとで全然
意気があがりません。

夜中に薬を飲んで、朝はちゃんと5時半に起きられました。喉も痛くない。

いつもどおり彼女と一緒にお餅を作って、一緒に道の駅に行き、あと2軒二人で出荷先を回りました。
二人一緒に11月生まれなので、お互い71.5歳。いつまでこんなことやれるのか。

帰宅してお土産などの荷造りをして、仙台空港に向かいます。
飛行機は午後3時ちょっと前。私たちシニアというの?おばあさんというかおばあさん以前というか、その年齢の
私たち高齢者は、歳をとるごとに身体の我慢は効かず、物忘れはひどくなり、いいことは全然ないのですが、
ありがたいことに飛行機運賃が日本中どこへ行こうが1万円なのです。彼女は12000円になったと言います。

で、12000円でJALに乗って福岡に向かって飛び立ちました。

i家では面倒見ている3匹の猫。他所の駐車場を借りて50万円もかけて作った立派な犬小屋に、彼女に
運良く出会えた犬や猫たちが彼女の帰りを待っています。昨年ご主人を亡くした後に、乏しいお金を使ってなぜ犬小屋を建てたかというと、「どうして?」とは訊かないけれど、自分に何かが起こった時のためだと思います。
子供のいない彼女にとって彼女の生を支えてくれた犬たちやねこたちは彼女の人生の同伴者です。きっと保険も かけて、自分が居なくなった後を託す人も決めていることでしょう。

明後日は体が少し不自由な方々にテニスのコーチをする日だそうです。
そして自分自身も闘病をしながらテニスのコーチを続けておられる師の生徒でもあります。
1日でも長く彼女が健康でテニスを続けられるように、そして大好きな犬たちや猫たちとともに過ごす時間が
続きますようにと祈ります。

 

 

家に帰ってからが大変。
今日はうちの4歳孫が風邪で発熱。私も怪しいので家の中で二人でマスクをし、娘も一緒に注文の新聞バッグの
製作です。
6時までに間に合うか。必死で作って間に合わせ、ついでに毎月多量にご注文を頂く横浜の新聞博物館へ
送る新聞バッグを、㈱レンゴーさんのご支援で作って頂いたダンボール箱に詰めました。

手が短い私の両手では抱えきれないほどの大きなダンボール箱。外には「海の手山の手」と「東北新聞バッグ   プロジェクト」と印字されていて、新聞から新聞バッグになりますよーという絵もデザインされています。

あっちこっちのスーパーマーケットを貰い歩くダンボール箱ではなく、私たちだけの感動的ダンボール箱。

送り終わったら、発熱で外に出られない4歳孫のアニメのDVDを返して借りに古川へ。
今日は1本50円だって。ドラエモンやウルトラマン、何個も借りてあげました。最高!!

 

 

 

 

 

 

再び南三陸へwithともだち

午前中、早めにお餅仕事を終わらせて海山元代表よっちゃん宅へ。

福岡から来たともだちも一緒です。
大震災以来、知っている限りの人に声をかけて被災地への支援品を集めて送ってくれたり、私たちが購入は
したものの売りあぐねている南三陸わかめを100袋も200袋も福岡で売ってくれたり、よっちゃんなんばんや
お餅など海山メンバー商品まで販売してくれたり、出来得る限りの被災地への応援をしてくれた彼女ですが、
よっちゃんとは初対面。

犬、猫大好きで何十年も捨てられた犬、猫や被災した動物などの世話を続けてきたともだちは、早速
よっちゃんちのワンちゃんチョビと猫ちゃんメルと仲良しになりました。

福岡では彼女の他にも津屋崎ブランチの山口代表に大変お世話になっています。
その他にも福岡で東北応援 をし続けてくださる方が多いこともあり、今年は秋には海山メンバーみんなで福岡
へ行こうではないかと話が発展しました。福岡から東北は遠く、文化や人の気質も異なることが多くて、
面白いことがいっぱいあるのではないか、と楽しみです。
午後からは南三陸へ。

ともだちにとっては初めて見る被災地。
「トイレに行きたい」と言う彼女に、コンビニはあるけど仮設だからトイレは外だ、と言うと沈黙。
仮設のセブンイレブンやファミリーマート。普通の町では見られないものがここではいろいろあります。

山の木は伐られ、材木は山積み、あちらこちらの山は木がなくなって赤土の造成地、遠く近くの瓦礫の山、家の礎石に伸びた雑草、車の残骸の塊の山、小舟ばかりの山。
来るたびに新しい建物がぽつぽつと増えているような気はするのだけれど、でも津波に洗われたところは建物が
建つわけではないので、復興しているようなしていないような一種独特の雑然とした町の佇まいです。

O夫妻は今はお盆菊と彼岸菊の植え付け、と刺し穂の最中でした。
ご主人のO氏は下の菊畑で手伝い仕事中。

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ともだちは菊畑の上のハウスの中で、O夫人むっちゃんの彼岸菊の刺し穂のお手伝い。

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向こうにあるのは刺した彼岸用の菊。この小さい刺し穂が根を出し、1ケ月ほど経ったら畠に定植して
9月のお彼岸用の菊になります。

既に定植されたお盆用の菊。

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田んぼの稲もそうですが、菊の畠の菊もすくすく育ってくれることを祈ります。

今年は海山は「福岡へ行くよー。みんなで行こうねえ」と言ったら「いいねえ! 行きたいねえ!」とむっちゃん。
生業も新聞バッグも菊もしっかり仕事をして、11月の博多研修の備えにしたいものです。

 

新聞バッグをとりにY仮設があるけいこさん宅へ。
けいこさんは作業場で雲丹の仕事中とのこと。お会いする度に心がほのぼのするおばあさんとおじいさんと犬の
マック君が在宅中で、お部屋に上げて頂いて、けいこさんが戻るまでしばらくおばあさんとお話ししました。

被災地のことも海の仕事のことも農業の仕事のことも全くといっていいほど知識がない福岡の市街地育ちのともだちは、見るもの見るもの、びっくりすることばかりだったと思います。

やがて戻ったけいこさんから、驚くほどたくさんのわかめや茎わかめやお魚を頂いて、南三陸を後にしました。

初めて南三陸に行ったともだちに、感想を訊こうとは思いません。
簡単には言葉にできないでしょうから。
ただ、この東北大震災の被害も、今の町や人々の様子も、私の身の周りにある東北の中山間地の農業も、彼女に
とっては想像もしなかった情景のようで、わざわざ福岡から来て見聞を深めてくれてよかったな、と思います。