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昔、子供が小学校だった頃、班ごとで貰うシールの獲得数がうちの子供のトロさで伸びない、とかの理由で、
うちの子供だけ教壇の上に机を置かれて勉強する、という状況になったことがあります。

うちの子供は学校に行きたがらなくなりました。

「のんびり」が班の足並みを引っ張るのは解かるけれども、だからといって教壇の上で子供が傷つくのは
見過ごせない。という訳で学校に行って先生とお話しをすることにしました。

ところが出てきた先生は最初っからまるで私が喧嘩でもしに来たように防御姿勢で凝り固まって、「子供は
ウソを言うので、子供を連れて来なければ話さない」などと仰る。

で、私は「文句を言ってるわけじゃないんだ」「子供がウソを言ってないのは母親だからわかるんだ」
「文句じゃなくて今のやり方では子供が傷ついて学校に来たくなくなるだけなので、相談に来たんだ」と説明する  のですが、先生のカチカチ防御態勢はなかなか崩れません。

で、私はその時思ったんですよ。

「目標は同じじゃないの?親も先生も。子供をちゃんとした心豊かな大人に育てたいという目標は。
敵同士じゃないんだよ」
言葉はこのとおりじゃないけど、そんなことを言ったら先生の肩の力が抜けました。

それからはちゃんと話を聞いてくれて、子供は元の班に戻り、卒業まで先生とはよーくお話しをしました。
そんなことがあったから、あれから40年近く経ったのに、先生のお名前もお顔も覚えています。

 

昨日、道の駅で会社と出荷組合の会議がありました。
会議の間、ふーっと、その時のことを思い出していました。同じだなあ、と思って。
道の駅の中に付随する私たち町の住民の生産物を販売する農産物直売所がオープンしてから12年。
その歴史は、私がこの土地に越して来た年数と重なります。

越してきた年の秋に町役場の方が見えてこう言いました。                                 「この地方ではずーっとお米を作ってきました。来春道の駅がオープンするのですが、ここでは野菜や花は
家庭消費用くらいしか作っていないので足りないのです。花を出してもらえませんか」
庭に放置したままの前の仕事の花卉資材を見て来られたようです。

町役場の方は1軒1軒農家を回って、出荷を頼まれてました。

越して来るまでは、道の駅ができてその直売所で花を売るなんて、考えたこともなかったのですが、
それからタネを蒔いたり苗を買ったりして準備をしました。

最初の出荷者数は約90名。これでやっていけるのか、と不安になるほど皆不慣れ。管理運営は道の駅の会社に
お願いして10年余り。場所もよかったのでしょうが、会社には細々とお世話をして頂き、出荷者も季節毎の野菜
作りなど努力をして、時が過ぎるうちにたくさんのお客様に来て頂くようになり、出荷者も3倍くらいに増えました。

規模が大きくなると、いろいろ問題も出て来ます。

場所が狭い、とか大勢のお客様のニーズに応える品揃え、とか放射能問題とか、いろいろです。           時勢は変わり、大震災や放射能問題などの突発的事故も起こり、組合員は高齢化し、若い生産者は数少ない。
やたら寒かったり雪が多かったりやたら暑かったり、気候の荒々しさが起こす問題も深刻です。

そこを見ながら管理のお世話をして頂いている会社と、生産に携わっている組合員は話し合って良いお店
作りをしていかなければならない。昨日は生産側からお願いしての会議でした。会社も快く応じてくれました。

 

会議ではともすれば末端の事例に捉われて、本来の目標が何だったのか忘れそうになることが多いです。
みんな一生懸命だということです。

地域振興のために国のお金で建てていただいた立派な道の駅の施設。大切に使わせてもらって、お客様に
喜んでもらえる新鮮野菜や品揃いの良いお店になるように、しっかり考えて次の会議に臨みたいと思います。