薔薇の花で染めた糸

2、3日前梅農場の前の道路を通った時、もう薄暮の時間だったのですが、白く延々と続く梅林の開花の時期の
凄さに圧倒されました。
それから2日経って、昨日の夕方所用のついでにもう一度寄って写真を撮りました。

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よく見ればもう花は終わりの時。でも福岡生まれで学校の遠足は梅の名所である太宰府天満宮に通い、
水戸の偕楽園の梅林を何度も訪れた目で見ても、この岩出山の佐藤農場の梅林は凄いです。
今、開拓3代目。7000本だか8000本だかの見事に手入れをされた梅の大木が等間隔で延々と連なる
梅林の光景は、宮城の財産だ、と私には思えます。
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前回は情報交換会だった、もつくりネットの会の立ち上げ会に行ってきました。

堅苦しい会ではなくて、津波で壊滅状態になった荒浜やその他の土地に綿のタネを蒔き、東北コットンプロジェクトを
展開する赤坂社長をリーダーとして、後はモノを作る熟年の女性ばかりをメンバーとする規則も事業計画も
ゆるーい会です。

今日は名前を付けるということで集まりましたが、みんなで考えた割にはいかにも普通の
「モノ作りネットみやぎ」という名の会の発足となりました。
男性は赤坂社長のみ。後は取材もするが仲間でもある地元新聞記者2名。これは男性です。

そして今日特筆すべきはこの糸!
何で染めた糸でしょう。

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荒浜のコットンプロジェクトはタネを蒔いた最初の年は大雨で流れてしまって収穫できなかったとのこと。
この糸は、メンバーのOさんが赤坂氏のところで昨年採れた綿を紡いで糸にして、前回の会で初めて出会った
薔薇染めのHさんのところへ行って、紅い薔薇の花で染めたもの。

玉ねぎや紅茶などで糸を染めるのは知っていたけど、バラの花で染めた糸を見るのは初めてです。
軟らかいやさしいピンクで、とてもきれい。

綿のタネを塩害を受けた土地に蒔き(蒔くのは全国から集まってくれるボランティアさん)、秋に収穫し(収穫を手伝うのも全国から集まってくれるボランティアさん)、採った綿を紡績工場に送って布にして、その布で綿のハンカチだの
ジーパンだの手拭いだのに製品化される。今年はもっともっとたくさんの綿製品になるのだそうです。

まだ商売として成り立つまでにはなっていない。けれどたくさんの展開が考えられるので面白い。止めたくないという
のが赤坂リーダーのお話。綿の話が最初に来た時には、全然やりたくなかったのだそうです。

綿の花を採った後の茎は紙になってました。便箋、手帳、その他の紙製品。
採ったタネは次に蒔く種になり、花は糸になり布になり、茎は紙になる。
綿は無駄になる部分が全然ないのです。

新聞バッグも商売として成り立たせるのは難しいと思うけど、新聞紙自体も新聞を使っていろいろな形のモノ作りを
することも面白い。止められないー、というのは赤坂社長と一緒。

綿は高温発芽です。もう少し暖かくならなければ芽が出ないし、育たない。
ラベンダーが欲しくてのこのこ出かけて行った集まりでしたが、偶然の出会いで、今年は綿のタネ蒔きから収穫、
糸紡ぎから染めまでを見せて頂けそう。

とても楽しみです。

全国から集まってくれた人が津波に洗われた土地にタネを蒔き、収穫をし、日本のたくさんの企業が参加して
紡績加工をし、布の製品を作り紙の加工をする。糸や紙で作られた製品を見せて頂きましたが、どれも素晴らしく、 この先の展開を想像すると部外者の私でさえ、ドキドキします。

こういうが本当の東北の復興への動きじゃないのかなあ、と私は感じるのですが、、、。
なんか確実に一歩一歩進んでいる気がして。

この次薔薇園に行く時には、必ず私もくっついてゆきます。ラバンダーの圃場にも行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

おしらせ

これまでお世話になった皆様におしらせいたします。

海の手山の手ネットワーク活動初期から、とうがらし農家としての生業の傍ら、海の手山の手ネットワークの
代表として、めいっぱいの時間を使って活動をしてきた、「よっちゃん農場」代表、通称”よっちゃん”が
かねてより疲労による体調不良と、本業に力を入れるべき時期であるとして、代表を辞したい旨の
意志表示をしておりました。

代表がいなくては大変心細いのですが、町を代表する若き農家としての手づくりの技の研鑽も大変
重要なことなので、よっちゃんの半分のパワーもない私が当座の代表を務めることに致しました。

 

東関東大震災から2年、海の手山の手ネットワークは数えきれないほどの方々からの暖かいご支援を
頂きましたことを、深く感謝申し上げます。

新聞バッグの製作、販売は、東北新聞バッグプロジェクトも含めて恙なく継続していますが、近頃では
ワークショップを望まれるお客様が増加しています。海の手山の手ネットワークとしましても、大変嬉しいことで、
読んだ新聞紙と糊だけで作る新聞バッグの作り方を、より多くのお客様にお伝えできれば、と願っています。

6月にはメンバーが増え、また新しい形で海の手山の手ネットワークの展開をしていく所存です。
急遽、海山ネッのト宣伝、雑用担当に自任したよっちゃんともども、海の手山の手ネットワークをよろしく
お願い申し上げます。

お知らせ、御挨拶が前後してしまいましたことをお詫び申し上げます。

 

 

 

 

里山の町のゴールデンウイーク

ゴールデンウイークが始まりました。

朝、お餅を持って道の駅に行ったら、まだ9時半なのに大型車の駐車場まで車がいっぱい。
今日は道の駅の直売所前では出荷組合の戸外販売の初日。組合員の梅干しやキムチやハーブで         作った花など、いっぱい並べてお客様とお話ししながら販売したいのですが、寒い!

風は強いし、この寒さの中で1日戸外販売するのは、けっこうきついです。
お客様だって、あんまり寒いところに立っていたくないしね。

昨日は雨が降りました。この春、ほんと天気悪い。2、3年前くらいから春に強風が吹くことが多いので
イベント開催は毎回お天気で苦労します。

ここは里山に囲まれた田舎の町です。梅も桜も木蓮もレンギョウも一度に咲いて、彩が美しい季節です。
昔、初めて長野県の妙高に遅い春に行った時、町全体がピンクや黄色や浅黄色に彩られて、「なんと
美しいことか」と感動しました。あれと同じ。

庭のあちこちで咲いているムスカリ。球根植物のムスカリのタネが飛んであちこちで咲くなんて
知りませんでした。

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東京の中卸さんで仕入れたヒメリュウキンカ。少し売れ残っていたのが、タネが飛んでいつの間にかあちこち
で群落を作っています。かわいいんだけど、お日様が射さなきゃ開かない、すぐ花びらが散る山野の花です。

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芝生を植えたのだけれど、その中で畳2畳くらいにまで広がってしまった斑入りヒメツルニチニチソウ。花の色は白。
青い花は斑入りではないヒメツルニチニチソウです。

千葉県浦安市に京葉線が走り始め、新浦安駅ができた時、駅前の植え込みにいっぱい植えられていました。
小さくて可愛らしい白い花を「何の花だろう」と思ったことを思い出します。
芽刺しをすればいくらでも増やせます。寒さ暑さに強い丈夫なグランドカバー植物です。

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畠の家の辺り中に勝手に咲く水仙。

東北地方というのはどこでもそうなんでしょうか。家周りから土手からどこもかしこも今の時期水仙だらけ。
葉が萎れたら球根を大きくして、畠のさつまいもを植える近所にねずみよけに植えます。

さつまいもの収穫時期、いもの形はそのままにして、中身だけをくりぬいてネズミが食べます。
都会で見かける太ったでっかいドブネズミではなくて、親指の先くらいの小さな愛くるしいネズミです。
畝の黒マルチを剥がしたら、親ネズミと子ネズミがたくさん出て来ました。ここで退治すればいいんだろうけど
こういう時の母親ネズミって、子供を口でくわえて大急ぎで運ぶんですよ。

前に家の中で衣類が入ったダンボール箱をひっくり返したらやっぱり親子ネズミが出てきたけれど、
その時も母親ネズミの必死の子ネズミ運搬を見てました。

さつまいもは自家消費用なので、やっぱりネズミ退治はできないです。食われたさつまいも見て「あーあ!」
と嘆くんですけどね。

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MYさくら、が咲き始めました。けっこう大きい木が2本あります。毎年、花が咲くとうちの桜だ、と得したような
気分になるのですが、今日は「ちょっと、この桜、ソメイヨシノじゃない」と発見。
花と一緒に葉が出てるもの。でも家の庭にたくさん木がある山桜とは違います。古い品種なんだろうか。

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暫らく畑に行かない間に、土筆も蓬もいっぱい出てました。
私は福岡出身なので土筆を食べます。卵とじも佃煮も大好きだけど袴をとるのがめんどうくさい。
でも1年に一度くらいは、と毎年採って一回は食べます。

この美味しさを当地の人にも知ってもらおうと、袴をとって卵とじを作ってタッパーに入れて近所の知り合いに
持って行ったら、「そんな草食べないでもここにはおいしいものいっぱいあるよ」とたった一人にも食べて
もらえなかったです。
食習慣の違いはほんとにおもしろい。

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本来ならコゴミやタラの芽は今が採り時。山を歩く人なら、天気の良い日にはいそいそを山に入りたいところ
でしょうが、宮城県はコゴミ、タラの芽、ワラビ、コシアブラは販売が禁止されているので、採る人はいません。
放射能というのは、先何年採れないのか訳がわからないので、山菜がなーんにもない直売所の売り場を
見ているとジワジワと怒りが込み上げます。

補償金の問題じゃないんだから、山菜や筍を返せ、と言いたくなります。

直売所の戸外販売はゴールデンウイーク最終日まで続きます。
是非道の駅にお立ち寄りください。

 

 

 

 

 

足跡

これも震災後2年という節目に書いておこうと思うことです。この心を忘れないために。

 

東北新聞バッグプロジェクトが3月末納品を以って終わりました。
このプロジェクトは最初から自分たちで計画したプロジェクトではありません。

 

知名度においても衆知力においても、私たちが足元にも及ばない実力を持った四万十チームの方々が、復興庁の復興事業として海山ネットに声をかけて頂いたプロジェクトです。

 

全てに不慣れで、最初は構想自体がよくのみこめず、のみこめたらこんなデッカイことに首をつっこんで大丈夫か
と不安になり、しかしプロジェクトが進むと、前に進むしか道はなくなり、後は自分の生業の間のとれる時間を
目いっぱいに使って、とにかく期日に間に合うように新聞バッグを折り続ける2月、3月でした。

 

その間、プロジェクト以外でお世話になっているお客様にはずいぶんご迷惑をかけてしまいました。

 

思うにこれほどの大事業が、東北の復興にどんな形で役立っているのかということです。

 

4月初めから半ばまで、代表よっちゃんもそうですが、補佐する私もほぼバーンアウト状態。
言葉を変えれば燃え尽き症候群のようなものですが、そんな状況ながらもお待ち頂いていたお客様への
新聞バッグを作って発送を終えました。

 

次いで、伝票の整理です。

事務方を扱っている娘のところに集まってくるこの嵐のような時期の伝票、レシート、請求書類の数はけっこうな
量で、それも急遽、講習をして折り手さんになってもらった方も多かったので、伝票1枚がなくなったり、重複したり
その対応でも気疲れしました。

 

そんな中、伝票の計算をして、計算書を作り現金の用意をして振込までをする係りの娘が言いました。

 

「すごいねえ!、こうして1枚1枚伝票を見て行くと、わかるんだよねえ。みんながどんなふうに新聞バッグを
を折っていたのか。そして山の手の人もどんなに一生懸命だったか」

 

「特によっちゃんはほんと凄いよ。朝ここに行ってこんな買い物をしたかと思うと、昼にはここに行って、夕方には
また古川まで出てホームセンターで買い物して。レシート見てるとその足跡が解かるから、いや、ほんともの凄い
気迫で動いていたんだなって解かるよ。凄い一生懸命だったんだねえ!

これはリアルな分析で口で解かったこと言うより、モノを見せられると、なるほどねえ!、と唸ってしまう。

 

自分の生業があっての合間の時間にあのプロジェクトを恙なく終わらせるのは、どれほどの大変なエネルギー
が必要だったか。よっちゃんだけではなく他の人も頑張ったけど、代表の働きはダントツでした。

 

このプロジェクトで四万十チームの仲立ちで著名な方々に出会ったり、企業との繋がりができたり、テレビで
プロジェクトの流れ全体を撮って番組で放送して頂いたり、不自由していた英字新聞紙を不自由しないくらい
頂けるようになったり、㈱会社レンゴーさんに無償でダンボール箱を500個も作って頂くことができました。

 

最初には想像もしなかった今の状況。これは四万十チームのおかげであり、協力してくださった皆様の暖かい
お気持ちでもあるのですが、自分の生業の時間を犠牲にしながら、そこを引っ張って引っ張って海山まで運ぶべく 獅子奮迅の大活躍をした代表よっちゃんの努力の賜物です。

 

そして忘れてはならないのは、新聞バッグを折った人たちのこと。
伝票を計算すると、南三陸のK子さんは10万円以上、Aさんは8万円、Sさんは5万数千円、と1個150円の
新聞バッグを、わかめやその他の仕事の合間にどれほどの一生懸命さで折ったのだろう、と思います。

 

そして今、このお金を送金する時「よかった、よかった、10万円」「よかった、よかった8万円」
と思いながら送金します。だって、時間がないの「50個作ってくれとか100個作ってくれ」とか無理を承知で
頼んだりしましたから。えーっ!と言いながらも折って期日に間に合せて送ってくれ、何度安堵したことか。
折ってくれなかったらプロジェクトは破綻してたかもしれないです。

 

以前、南三陸の仮設住宅で放送局の取材を受けているS子さんの答えを、聞くともなしに聞いていた
ことがありました。

 

「新聞バッグを作る時にどんなこと考えますか?楽しいですか?」
「どんなことって・・・。これ1枚折ったらおかず代になる、と思って折ってます。楽しいよ。新聞バッグ折るのは
今度、こんなの折ろうかなあ、って考えるし」

「仮設住宅の暮らしはどうですか?」
「うーん、狭いからねえ。でももう慣れた。近くになんでもあるし便利だよ、うん、楽しく暮らしてる」

 

要求も不満も理想論も小難しいことも偉そうなことも何にも言わず、諦めることは諦めて、ただ素直に「楽しいよ。
仮設の暮らしは。新聞バッグを折るのは」と新聞バッグを折りながら答えているS子さんの姿を、私は忘れない、と
思います。

 

でもその何でも近くにあって便利な仮設住宅の暮らしも、今年1年の居住期限が延長されたのみ。
宮城県は被災者の医療補助は打ち切り、医療のお金を支払えない人は生活保護の申請をしてくれ、、と
こないだテレビで村井知事が言ってました。

 

被害を受けた方々を援けるなんてデッカイことは言えないけれど、でも10万円や8万円になったことはおかず代
が少し増えたということだし、四万十の人達も私たち海山ネットのメンバーも一生懸命折ってくれた人たちも
みんなひっくるまって一生懸命に援けあっていたんだなあ、と伝票を整理しながら実感します。

 

自分の伝票だけはまだ手をつけてない。
いっぱいあるのですが、さてこの伝票に私の足跡はどう出るか。
まあ、私も一生懸命やったとは思うんですけどねえ。

 

少し起きられるようになったけどまだまだだね。力をつけます。

 

 

 

 

ツバメ

ツバメが来ました。

道の駅で建物周りの整備をやっている人に訊くと、先週から来たそうです。

先週からだといってもまあ、高い軒の下やいつもの照明電燈の上や、いろんなところにアッと言う間に
けっこうな数の作りかけの巣。
見境なしに作るから、お客様の頭の上に糞がおっこてくるような場所の巣は取るしかないんだけど、
せっかく作った巣を壊すのはきっと嬉しくない仕事だね。

 

ツバメが巣を作ると必ずスズメが来て、自分の巣を作ろうとしたり、ツバメの雛をつつき落としたりし始めます。
ほんとにツバメが子育てする間のスズメは気が許せない存在です。どういう力関係になっているのかなあ、
といつも不思議に思います。

 

一度巣から落ちた雛ツバメを娘が家に持ち帰ったことがあります。動物病院の先生に訊いたら、「生餌をやって
飛べるようになったらすぐに巣に戻さないと親が置いていってしまう」ということなので、餌を口の中に押し込んで
育てました。雛は明るくなるとすぐにご飯ちょーだい、とピーピーピーピー。完全寝不足。

 

飛べるようになったら100円ショップで買った籠を元の壊れた巣のそばに吊るしたら、親が来て連れて行きました。

いつだったか、松山の友人がやっぱり雛拾った、と育て方を訊いてきたことがありますが、彼女の場合は
5羽くらいじゃなかったかなあ。全部巣立ったといいますから、その努力に感服します。凄いね!

昨日、夜家に帰る道で、車のヘッドライトの向こうに浮かび上がったのはカモシカ。山、といっても2メートルくらいの
枯れた草が生い茂った崖だけど、あわてて登ろうとして、1、2度失敗。でも登り上がって消えました。
ヤギ科ってすごいね。ほぼ垂直なのに登るんだもの。

 

 

ある会社から新聞バッグの問い合わせがありました。普通のサイズではなくて雑貨を入れて売るためのバッグ
として使いたいということで。中身をきいたら可愛い雑貨で、嬉しくなってしまった。

それと、東京のある会社の女性の方から、●●●さんからご紹介を受けたのだけれど、英字新聞が必要なのだそうですね。2か月に1度ずつ英字新聞をお送りしたいと、お電話を頂きました。その●●さんも多分直接にはお会いしたことがない未知の方です。

 

私たちが与り知らぬところで、こうして心ある方々が暖かいお気持ちを繋いでくださって、私たちの活動の今がある、と肝に銘じます。
東京日本橋のロイヤルパークホテルさんから頂いている英字新聞は、四万十のインストラクターKさんのお友達
であるRさんが、外国人の宿泊客が多いホテルだから、くれるんじゃないかと、飛び込みでお願いしてくれたそうです。ロイヤルパークホテルさんでは快くそのお願いを訊いてくださって、それまで一緒に回収していた日本字新聞
と英字新聞を分けて回収してくださるようになったとのこと。

今は保管に困るほどの新聞紙を頂いているので、いつか手に入らなかった時に、とお返事すると、その時には
連絡くださいと、電話番号、お名前までいただきました。有難くて心強い。

 

3月末に東北新聞バッグプロジェクトが終了して、しばし新聞バッグはお休みー、という気持ちになっていましたが
そろそろエンジンスタートです。スローでいきます。

なんとか明日には起きてゼーゼー言わないで外を出歩けるようになりたいものですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

風邪でダウン

朝起きて、窓の外を見てびっくり!!

ウソでしょう!! この雪!!

真ん中あたりに写っているのは紅色マグノリアの新芽を食べる鳥。

そして、外に出てみると、天地異変か?、と思えるくらい辺り中からジュウジュウジュク、チーチクパーチク、と鳥の
囀り、というか鳴き声が聞こえるんですよ。烏のように大きい鳥ではなくて、シジュウガラのようにちっちゃい鳥が団体で囀る声。

しばらくしたら止みました。

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午前中だけ降るのかと思っていたら本気で降ってこの有様。タイヤをまだ替えてなかったので助かりました。

仙台で60年ぶり。福島で観測以来最も遅い降雪だそうです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

それで、私は大震災以来初めて、本格的に風邪をひきました。

発熱、気管支炎、胸痛、咳、とまあ、にぎやかに全部取り込んで、さすがに寝込んでいます。

2年間1度も寝込まなかったから、よくもったなあ、と我ながら感心しています。

ちょっとゆっくり休んで、治して、仕事に戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

小笠原先生 ひとりで家で死ねますか

ゆうべの発熱を抗生剤と解熱剤でどうにか抑え付け、朝のお餅仕事はどうにか普通どおりこなしました。
お昼には友人と会うため再度道の駅へ。

道の駅で開催中の催事で物販中の会社の関連者であるご主人と共にみえたのだけれど、車を降りてからは
単独行動なのだそうです。ではではとレストランで食事をし、ゆっくりとおしゃべりしました。

どんな形でも来てくれると嬉しい。                                                松山から2か月間溜めた新聞紙を持ってきてくれたのでした。ありがとう!!

 

戻って午後は、以前に頼まれていた「みやぎ在宅支援ドクターネット講演会」の会場に夫とともに向かいました。

講演は日本在宅ホスピス協会長、岐阜県の小笠原内科の院長先生、小笠原文雄先生。
演題は「小笠原先生、ひとりで家で死ねますか」

この題名は『おひとりさまの老後』の著者である上野千鶴子氏(東大名誉教授、社会学者)と文雄先生の対談で構成された新刊の本の題名です。
上野千鶴子氏の著書は数々あるけど、とうとうここに行き付かれたか、の感あり。

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会場入り口で本を見つけて、なくならないうちにと1冊購入。

今日の私たちのお役目は文雄先生と看護師さんがたにお土産をお渡しすることです。
この役目があるので、今日は絶対に寝込むというわけにはいきませんでした。

長時間の講演を全部聴くのは夫の体力的にはちょっと無理が生じるのではないかと思われ、お願いして
最後のほうのみ参加、ということにして頂きました。

なんで「オレが呼ばれたのかさっぱり解からん」と言いつつ、会場の席についた夫と私、先生のお話を
わずかな時間に聴いただけなのに即刻引き込まれました。

えーッ、日本の医療ってそんなふうになっていくの!?
えーーッ、在宅ケアって、先生は少なくてもできるんだ! 人と人のネットワークなんだ!
海山ネットと同じじゃないか。
えーーッ、死にそうになっても先生、先生、と大慌てしなくてもいいようになってるんだ!
えーーッ!!

目からウロコ、耳からウロコの連続。

このお話は両親の介護中に聞きたかったですねえ。
さすれば亡くなった後であんなに後悔しなくてもよかったかもしれない、と今思います。

さて、お土産渡す時間が来て、来るまでは「さっぱり解からん」と不承不承の様子を見せていた夫が、さっさと立ってマイクを持ち、「私はガンを持ってます。でも痛くなく動けるので仕事をしています。先生へ自分で作ったお土産を持って来ました」とご挨拶。
あや屋のアラレとよっちゃんなんばん入り新聞バッグセットをお渡しして大役を終えました。

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新聞バッグセット、聴衆のみなさんが珍しげに見ていってくれます。

クリニックからお声がかかった時はびっくりしたけど、行ってよかった。そして新聞バッグセットをお土産に
お渡しできたことも嬉しかった。

三浦ドクター、そして大石mgr.
お世話になりました。楽しかったし、良いお話しでした。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

福岡、津屋崎の春祭りよっちゃん祭

私が育った福岡市の外れ、海のすぐそばに位置する津屋崎で行われる春祭り「よっちゃん祭」に今年も
たくさんの新聞バッグを送らせて頂きました。

このお祭りを主宰するのは福津市津屋崎にあるNPO地域交流センター「津屋崎ブランチ」です。代表は
山口覚氏。津屋崎にある津屋崎千軒という古い商家に新しい視点で新しい息吹を吹き込み、
「新しいカタチの暮らし、働き方、つながりを実現する新しいカタチの地域興しプロジェクト」を実践しておられます。

 

よっちゃん祭で「新聞バッグを販売するので注文します」とお電話をくださったのは大震災から1年たった
昨年の春でした。
以前に私たち海山ネットワークが間借りさせて頂いていたNPOの事務所にお出でになり、お知り合いに
になれたことがきっかけです。

今年は昨年よりも多量の新聞バッグで、それも半数は東北のニュースが載った河北新報で作った新聞バッグ
をご注文頂きました。

大震災以来のこの2年間で、海の手山の手ネットワークは15000枚を上回る新聞バッグを作り、販売してきました
が、被災地の新聞紙で新聞バッグを作ったのは最初の頃だけでした。時が経つにつれて、日本語の特に東北の新聞は好まれなくなり、ほとんどが英字新聞紙の新聞バッグを作るようになりました。

山口さんが河北新聞のバッグを注文してくださったのは、震災を風化させないため、とご説明を受けました。
何かある度に復興など何も進まぬ沿岸被災地に行き、内陸部で被災した私たちも、家や井戸が壊れたり、
水質が変わったり、様々な形で被害を受けたマイナスは今も回復せず、ひきずったままです。

ひきずったまま、昨日の震度5の地震のようにまた来るのではないかと気を許せない日常の中で「風化」と
いう言葉はあまりピンときません。今もまだ放射能の影響の中で私たちは暮らしています。

 

でも、その事実を、今はもう終わったかのような報道される中で、「風化させないように東北の新聞を折ってください」
仰る山口代表は、稀有な方です。
新聞バッグの到着後には「心をこめて販売させて頂きます」というご連絡を頂きました。

 

私たち海の手山の手のメンバーが販売に苦労する日本字新聞バッグを「この先10年販売し続けます」と明言
なさる山口代表は、社会を見る深い洞察としっかりした信念を持たれた力量のある方だと敬服しました。

 

明日のよっちゃん祭、是非おでかけください。

福岡を離れて40年以上。大震災があろうがなかろうが、故郷として格別帰りたいと思う土地ではありませんでした。
でも大震災以後、私が福岡で生まれ育ったという理由だけで、どれほどたくさんの福岡の方々に援けていただいた
ことか、信じられない思いです。

帰りたいとも思わなかった福岡に、今こういう形で近づく日が来ようとは。
戸惑い、驚きつつ、これまで出会った福岡の方々に心からの感謝をお伝えしたいと思っています。

 

昨日から風邪っぽかったのが、今本格的になってきました。外に出ても総毛だつように寒いということは、本格的に
熱が出る前ブレでしょうが、よっちゃん祭のこと書きたかったので、がんばりました。

よっちゃん祭、是非お出かけください。

 

 

 

 

 

 

 

鳴子散策

朝10時、Kさんに手伝ってもらって道の駅でのお餅、花の出荷。

その後は鳴子温泉街の歴史ある喫茶店、玉子屋さんへ。ここであやさんが仕事をしています。
玉子屋のご主人とKさんと私で、お昼過ぎまでの長ーい時間を、おしゃべりしました。
たくさんのことを教えてもらって、楽しい充実した時間でした。

あやさんの仕事が終わってから、Mさんを案内して鳴子温泉名所めぐりへ。

まずは町営駐車場にある足湯へ。
CMで吉永小百合さんが入っていた足湯です。あやかって今日はMさんとあやさんが足を入れました。
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こういうのもあります。玉子は自分で持ってくる。

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足湯に足を入れたり、駅見物をしたり、鳴子温泉見聞が終わった後は、今年初めての林の中の喫茶店
ライムで、オーナーさんに寒い間会わなかった挨拶をし、今年もよろしくと、お昼を食べました。

久しぶりに見る潟沼。

今日の水の色はコバルトブルー。白と青色ともう一色グレーを混ぜて作ったような不思議な色です。
とてもきれい!
「よし、1周回ろう」と元気よく歩き始めたあやさんとKさん。

目覚めたに違いない熊が怖くて、嫌なんだけど付いて行く私。
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山肌からポコポコと白い湯気が立ち上っています。
こうしてみると、この山の地面の下のエネルギーはどれほどのものか、想像すると恐ろしくなります。
でもこういうのは端っこだから爆発しないんだよね。きっと。

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紅葉の時期、落ち葉の時期に歩いたことはあるけど、新芽も出ない時期に歩くのは初めて。
雪解け水が足元を濡らし、数日前の強風で大木が根こそぎ倒れています。

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1周回りました。鳳鳴平の温泉の何かでしょう。ここも湯気。

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帰宅後は27日発送の新聞バッグを4人がかりで折ります。本体、取っ手、補強紙、分業でおしゃべりしながら
の作業は楽しいし捗ります。

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うちの4歳孫からの差し入れ。
孫のおじさんはマルタの人。甥っ子へのプレゼントをみんなで食べてがんばりまーす!
そうだ、新聞バッグをマルタ島へも送ることにしました。

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ほっかぶり市新聞バッグワークショップ2日目

昨夜は四万十インストラクターのKさんには鳴子温泉のあやさんのお宅に泊まってもらって、朝は二人
そろってほっかぶり会場の梅農場へ。

もうこれ以上はない!! というくらいの快晴。風もなくお日さまポカポカ、最高のイベント日和です。

 

お餅仕事を終えて夫、4歳を車に乗せ、途中スーパーに寄って差し入れの水分、お茶その他を大量に
買い込んで会場へ。混んでます。近くの駐車場も遠くの駐車場も満杯。

やっぱり梅農場という場所は強いです。梅はまだ咲いていないんだけど梅林を歩けばちょっとした
梅見気分。大人も子供も犬までも手拭いを欲被っています。

ガンをしてほっかぶりを拒否するのはうちの4歳。ほっかぶるくらいならミニSLにも乗らなくていいそうです。

ワークショップは昨日同様、今日もたくさんのお客様に来ていただきました。

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新聞バッグを完成させたお客様は、大人も子供もみんな「素敵だー!」と笑顔で喜ばれます。
私たちも嬉しいです。

3時終了まで、お客様はびっちり。

夕方ワークショップを終えたKさん、あやさんが帰ってきました。
Kさんはみるも無残なほどクタクタの様子。

そのまま2階に上がってもらってKさん爆睡の夜でした。