宮城ー滋賀ー広島

yahoo!復興デパート、海山商店。開店してから数日ですが、たくさんのご注文を頂いてありがとうございます。

お陰様で新聞バッグの必要数がどーんと増えて、製作が忙しくなりました。

時間がある限り、せっせせっせ、と新聞バッグ作りに追われています。早く南三陸のワカメの仕事が終わる5月
が来てほしい。新聞バッグつくりは南三陸部隊なしでは成り立たん、とつくづく思います。

今日、広島在住の女性の方から「英字新聞が必要なんですか?」という問い合わせの電話がありました。
自然食品店にお買いものに行ったところ、品物が新聞バッグに入ってきて、中に「英字新聞探しています」という
海の手山の手のチラシが入っていたそうです。で、電話をしてみたと・・・。

少量では運賃のコストが高いので、というお話しをすると、「ではあちこち声をかけてみて集まったら送ります」と
言って頂きましたが、さて、なんで海山新聞バッグが広島の自然食品店に?

と考えていて、ハタと思い当たりました。
昨年の夏、津波被害で売り先がなくなった南三陸の菊作り名人O氏の大輪菊を大量に買ってくださった、滋賀県  の会社ウルズのTさんという女性社長と出会いました。その時以来Tさんは海の手山の手にとってはなくてはならぬ
大恩人で、仕事の面で精神面で多大にサポートして頂いています。

 

そのT社長が滋賀県で自分の会社の取引先とかお客様に海の手山の手の」活動を紹介してくださっています。
その中のお一人が広島の会社の社長さんでした。

広島の会社の社長さんにはびっくりするほど多量の新聞バッグを買っていただいたので、どんなことに利用される
のかな、とは思っていたのですが、自然食品店の紙バッグになるとは思わなかった。

こんなふうにして繋がるんだねえ! 宮城、滋賀、広島と。
少し長電話をして、広島の日常にはたぶん届かないだろう宮城の現状をお話ししました。

Tさん、ありがとうございました。今日の未知の女性からのお電話は嬉しかったですよ。
Tさんがまかれた種はこんなふうに広がっていることをご報告します。

 

さて、春がやってきました。強風とともに。

「フクジュショウだよ」とうちの4歳孫がハウス周りから引き抜いてきた福寿草。
知らない間にこんなに咲いてました。