3年目の始まり

大震災から2年経ちました。

振り返ってみると、この2年間、これまでやったこともないことばかり、ダメモト。でも諦めないで挑戦し続けてきた日々でした。

古川で地面が大揺れに揺れる地震が起こり、右に左に車輪が動く車にようやく乗りこんで、ブルブルブルブル
振るえる右手を左手で抑え込んで運転したこと、忘れません。とにかく家に帰りたい一心で。

でも道路がメチャメチャに壊れてて進めませんでした。新幹線の高架の柱がボキボキに折れて、水も噴き出して
商店街の中の道路がどっちが上だったのかかわからないくらい波打って、今思い返しても血の気が引きそう。

 

本当に昔の友達、友人、知人、親戚、たくさんの方たちに援けて頂きました。
よっちゃんも「びっくりした!」と言っていたけど、私も、誰からも、親からさえ貰ったことがないお金を人様から
頂いてびっくりしました。どうしようー、と思った。

このお金や品物や温かいお心遣いを頂いたこと、今もそれが続いていることは、言葉にできないほど感謝
しています。貰うから感謝ではなくて、こんなに心温い方々がいらっしゃるんだ、と自分が思えることが
大きいです。

うちは前の宮城内陸地震の時にもボーリング井戸のポンプが壊れ、今度もまた壊れ、加工場は斜面をずり落ち、  みたいなことにはなってたんですが、「このお金で直してほしい」と皆さんに勧めて頂いても、できなかった。

 

大切にしてきた築150年の家は土台から外れ、壁が大幅に剥がれ落ちたよっちゃんも同じ思いのようで、
「自分ちの壁直しました」と壁の写真を送るよりも、もっと違う写真送ったほうが喜ばれるでしょう」           とよっちゃんは言い、結果、沿岸部からの避難の方たちを梅農場にご招待しての「梅見の会」になりました。

大震災から間もない頃で、まさか津波で傷ついた方たちが花見に来てくれるなんて全く自信がなかった
のに、250人もの花見になって、海の人と山の人が出会えたのでした。
梅農場での出会いが、「何にもないけど残った手でみんなで一緒の仕事をつくろう」という海山ネットの始まり    でした。
津波が縁なんですが、「出会えてよかったねえ」とみんなで言ってます。ほんとに出会えてよかった。

 

少ない人数で海山ネットをやっていくには情報の共有というのが大事。でもパソコンワークが未熟な私は      四苦八苦しています。

南三陸に行くと、今ガレキはきれいになくなり、海に向かって茫漠たる更地が広がっています。
家があったはずなのに、建物があったはずなのに。もう暫らくすると夏草に覆われて、ここに住まいがあった人は、
自分が住んだ痕跡も見い出せないのでは?と思います。人生を途中で失くしたような気持ちになるのでは。

 

新しく始まったけいこさんちの海に近い作業場。
わかめのお仕事は、舟でワカメを収穫してから釜で茹で、冷やし、塩をまぶし、手作業で茎とわかめを分け、
脱水機にかけて、塩蔵ワカメになるという手間のかかる工程でした。

ストーブで温かい作業小屋の作業台を囲んで、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんのけいこさん、
が座って、みんなで作業をやっていました。犬のマック君もいるのだけれど、お兄ちゃんが散歩に連れて
行ってました。朝早くから船を出してワカメを獲って、お昼のご飯も作業場で食べて、こうして家族全員が       力を合わせてワカメという商品が出来上がっていく。

おじいさんもおばあさんも本当に優しいお顔をなさっています。
みんなで分けながらお仕事をなさる姿は家族の原点をみるようです。

 

都会で生まれ育って、都会で暮らし、お金を払えば自分の身の周りのことは何でも、自分が出したゴミでも
始末してもらえる生活をしてきた私は、ここに住んで、そして何度も大地震を経験して、ついには極めつけの    大震災まで経て、収入さえ得られれば一人でも生きられる、というのは幻想なんだ、と知りました。

たくさんのことを教えてもらった2年間でした。

復興は進んでいません。時が経てば経つほど難しさも複雑さも増していくと思います。
でもやっぱり希望を持って3年目を歩み始めましょう!