台湾訪日団第3弾帰国後アクション発表会

 

この大雪の中、今日は午後から「キズナ強化プロジェクト」台湾訪日第3弾の帰国後アクション発表会です。

私も「復興応援支援活動理解」のための活動紹介として、新聞バッグを一緒に作った団体ということで
参加することになっています。が、この大雪で車を出せるのか。

「一旦出たら帰ってこれないよ」というシャベルを持って送り出してくれた家族の声を後に、出るには出ましたが、  滑ること滑ること。いやあ、車を運転して、こんなに滑って対向車が怖い経験は初めてでした。

 

それでも会場の古川中央公民館に時間ギリギリに到着。
先日鳴子温泉観光ホテルで新聞バッグを作った台湾学生団は、ホテルから歩いて会場に来たのだそうです。

今日は総括だということです。「総括」とは何ぞやと、期待を胸に会場に入りました。

 

キズナ強化プロジェクトとは何だろう、と思っていたのですが、

このプロジェクト参加者がプログラムを通じて感じた日本の復興の姿や各地の魅力を海外に発信し、日本への
風評被害の一助とする。

農家体験への参加や、被災地の観光や教育や産業と連携したプログラムを実施して復興を支援する。

被災地や復興の姿を見て、大震災の経験を国際社会と共有するとともに、海外からの応援の気持ちを伝え、
被災地と各国の絆を強める。

というプロジェクトの目的があります。

その目的に沿って台湾からの学生団はホテルで、帰国後にどういうアクションを進めるかというワークショップ
を重ね、今日はその発表会なのでした。

20の大学、大学院から来た106人の学生が4班に分かれて発表します。

Aグループです。

帰国後のアクションを短期、中期、長期に亘って進めるという大きな計画でした。

短期には帰ったらすぐに、「見てきた情報を伝える」「新聞バッグや撮った写真の展示会をする」「農産物の紹介」
等々盛りだくさん。中期には座談会を開いたり、ネットを活用したり、長期には企業と連携して旅行プランを
たてるなど。

それはそれは細かく綿密に帰国後のアクション計画が練られています。

そしてBグループ

東北応援ポスターを作った。大崎市と被災地に送りたい、ということで大崎市は頂戴しました。

そしてAグループと同様、被災地の自然や人々の文化を取り戻し、台湾の人々に防災の意識を伝える
綿密なアクション計画を発表してくれました。

 

Cグループ

この方は日本語が上手です。みんな上手だけど。

「立ち上がろう 宮城」ということで、情報の発信を宮城に限定したい。

限定の理由。限定したうえで宮城の実情をどう発信し、どんな形で応援していくかと、発表。

 

Dグループ

ご覧のとおりタンポポプロジェクト。
タンポポのたねのように世界中に希望、諦めない心、笑顔、私たちの思いが飛んでいくように。

バスで異動しながら、ホテルに戻ってこれだけのことをやってくれたのだと思うと感動します。感謝します。

 

素晴らしい発表会でした。

私は感動しました。外国の若者たちがこれほど真面目に力強く東北を応援するために、自国へ戻ってからの
活動を考えてくれているのですから。

キズナ強化プロジェクトの実施団体である日本国際協力センターにもお礼申し上げます。
参加させていただいてほんとうによかった。新聞バッグを通して、また台湾との新しい繋がりが生まれます。

雪と氷がシャーベット状になった駐車場で、台湾学生一団が雪ダルマを囲んで写真の撮影中。
車を出す時に、ふと横を見ると、みんなが両手を挙げて「さよなら」と手を振ってくれていました。

 

「さようなら。また、日本へ来てねー」と叫んだら、「はーーーーい!」と返事が帰りました。

 

 

 

ドカ雪の日。徒然なるままに・・・。

いやいやいやいやー!

とんでもないドカ雪です。昨日の夜中、いや、今日の日付になっている時間に、外に出たがる犬を出して
やったところが、出た犬がズボッと雪の中に埋もれてしまったから、これは大雪だ、とは思っていたけれど
これほどとは。

ここに越してきた12年前以来です。こんな大雪は。
いくらがんばっても車を出せないので、今日は道の駅のお餅はお休みです。わざわざ雪の中を来てくださった
お客様には申し訳ないけれど。

 

早朝起き出した夫にもまた寝てもらって、日頃は朝見る時間がないテレビなんぞ見ています。

朝からテレビの中で何度も出てくる言葉。聴く言葉。
「教育再生」

どうしていじめがなくならないのか。桜宮高校の生徒の自殺から一挙にメディアに取り上げられ始めた体罰の問題。
学校、保護者、教育委員会、橋本市長、その他、その他。

テレビに出て来るその有識者の方々も、言いたいこといっぱいあるようで、意見を言い合ううちに熱くなって喧嘩みたいになっちゃうことが多いです。
中で愛知県の、野球部にいてやはり自死した子供のお母さんが、「自分は殴られていなくても他の子が殴られる
のを見るのがいやだと言ってました。でもそんな気が弱いことじゃどうする」って言われました、と述懐されるのが
心に痛かった。

 

ずいぶん昔の話です。、体罰を受けているクラスの子を見ると、自分が痛手を受けて気分が悪くなったり吐いたり
する我が子のことで、高校に「子供を殴らないでください」と言いにいったことがあります。
学校の答えはうちの子が「繊細過ぎる」と。

繊細で何が悪いかというような話ですが、何度繰り返しても学校の対応は同じ。その後事件が起きて我が子を別の
学校に行かせることにしましたが、学校側は前例がないからと転校に必要な書類の発行を拒否しました。
そんなことを思い出します。

また別の時。うちの子供が、中学校の1年の時から目をつけられていた不良グループに「お金を持ってこい」と
脅迫されました。持っていかなかったことでコンビニ帰りに捕まって、口の中が切れるほど殴られました。
この先をどう対処するか。
すぐさま学校に行って校長先生に会いましたが、校長先生の答えは
「学校でも手に余っている子供たちだから、警察でも教育委員会でも行ってください」とのことでした。

当てにならない教育委員会には行かなかったけれど、警察には行った。
その後は大変だったけど、恐ろしかったけど、時間はかかったけど、解決しました。脅迫も終わりました。
そんなことも思い出します。

 

その子たちの子供たち(つまりは私の孫)が、これから幼稚園、学校に通います。
実を言えば、学校だの保護者の考えなどと自分の意見が食い違う時、いかに大変な事態になるかを、       身を以って知っているので、この先がとても心配。特に都会の学校では。
ここは全校生徒で35人だから、何も心配してません。

 

何かあったら親は騒ぐこと。大騒ぎをしたほうがいいと思う。子供が嫌がるかもしれないけれど、命をなくす
よりはいいと思って。
有識者の方々に言いたい。父親も母親も命がけで子供を育てています。考えて考えて、子供の心が
傷まないように、追い詰められないように、カッカしないで、論議を重ねてください。

私は70年生きているけど、「教育再生」という言葉を聞くのは初めてです。長い年月の間にこれほどの子供
の犠牲があって、初めて出てきた言葉。メディアに取り上げられているのは氷山の一角です。              本当の意味で「教え育てる」とはどういうことか、深く考え、論を交えて再生の道を探ってほしい。

死なないまでも傷ついた心は大人になってもそのまま残っているのだから。

 

今日は何もしないで雪をみながらそんなことを考えています。