新年会の新聞バッグと増田太郎氏

遂にきました。今朝の温度は-10.5℃。
冷え込んでます。

いつもお世話になっている滋賀県の(株)ウルズ、T社長から新年会の様子の写真が送られてきました。

毎年新年会にはお客様方を招待してその時にお年賀を渡されるそうです。今年はそのお年賀に
私たちが手づくりする東北物産入り新聞バッグを使っていただきました。

この新聞バッグの数!
こんなに買っていただいたのか、とびっくりします。作った人たちが、「私が作った新聞バッグがどんなふうに
使われているのかなあ」と実際にみることができる写真なので載せさせて頂きました。

こうして見ると、この新聞バッグを手に持った方たちが喜んでくださったかな、と気になります。

ということはやはり、作る側と使う側が顔が見える関係でありたい、という常々のよっちゃんの持論に実感が
湧きます。

この新年会の特別ゲストはギタリスト、増田太郎氏。増田氏は目がご不自由でメガネをかけておられます。
花飾りがある新聞バッグを手にされた増田太郎氏の写真も送っていただきました。

 

 

先日、南三陸の歌津の新聞バッグインストラクターHさんのところの養殖ワカメを獲る船に乗せて
もらったよっちゃんが言ってました。

Hさんのところの船は今はあんまり大きくない船。震災後に手に入れられた船だそうです。               その船で10分くらい沖まで出て、ワカメをタネつけしたロープをあげて手作業でワカメの間引きをするのだそうです。本当に育ったワカメを獲るのはまだ先。

これまで詳しく津波の時の話をしたことがないので知らなかったのだけれど、Hさんの家は海の目の前
だったそうです。そこにはワカメとかホタテとかに使う機械があって、全部流されてしまったから、今から
その機械をまた買いそろえなければならない。そしてもっと大きな何千万円もする船が必要です。

ずいぶんお金がかかりそうだけど、でもHさん一家を見ていると、それはきっとできるんだろうなあ、          と思わされます。そうか、そうやって復興していくのか、と思わされます。海の男の人たちも女の人たちも      力強くてかっこいいです。

 

Hさんところのお母さんであるKさんは新聞バッグ作りがもの凄く手早い。少ない数を言うよりもたくさん
注文がくると気迫が出る、と言い、海に出ない時には新聞バッグを作ってくれてます。

 

滋賀県のT社長から送って頂いた写真で、整列したたくさんの新聞バッグを見ていたら、これが船になる
というのは大袈裟だけれど、でも塵も積もれば山となる、石の上にも3年というではないですか。

船のちっちゃいちっちゃい一部になるのかもしれないなあ、という淡い嬉しさを感じたことでした。
T社長もそのお手伝いをしてくださっています。
そしてこうした応援をしてくださりながら、その合間に新聞紙探しまで手伝ってくださってます。

Tさん、ありがとうございます。

そして増田太郎さんにもお礼申し上げます。
明日福島での人権シンポジュームのコンサートには行けませんが、いつか増田太郎さんのバイオリンを
聴きに行きたいと思います。