わらびに完敗

暖かい日が何日か続いたので、わらびがニョキニョキニョキ。

ここは野っぱらではありません。越してきた時にはハーブガーデンを作ろう、宿根草と薔薇の庭を作ろうと
張り切り、土をならして芝生を張り、バラを植え、花を植えして一応玄関周りの庭を作ったつもりの場所です。

住み始めて3、4年経った頃から、山が山に返ろうとするのか、バラの間からわらびが生え、クリスマスローズと
一緒に蕗が大きな葉を広げ、タラの芽まで、(あれは根茎が広がって処構わず芽を出します)出てくるように
なりました。食べるならわらびは有難いようなものですが、うちで食べるくらい少しでいいし、やっぱりせっかく
植えたバラなんだもの。バラとハーブ宿根草と芝生の庭がいい。

そう思ってわらびを退治しようとするのですが、全然減らない。それどころかどんどん増え、最初にはなかった
土筆が鎌で刈るほど生え、今や土筆だらけです。その後はスギナ。ヨモギ、オカトラノオ。だんだん戦意喪失
して世話を怠ったら、バラもハーブも消えてなくなりました。

山は山なのよね。無理なことは無理なのよねー、と今は諦めています。

やっと咲いた紅い木蓮。これだってアメリカ産でお洒落な名前がついていたんだけど、今や普通の木蓮。

プラムの花です。去年はけっこうな数の実がなりました。が、虫に食べられました。
後、栗がいっぱいなります。私の家から町の商店街を通過してその向こうの森の中に住んでいる福岡の
学校の同級生であるKNのお宅の敷地は、栗の豊作の年には落ちた栗で玉砂利を敷き詰めたように
なります。

畑にもわらびはたくさん出ます。タケノコは孟宗、真竹(細い竹のタケノコ)、自宅のほうに破竹と3種類が
出てきますが、わらびがこれだけ出ているということは畑の竹藪にはもうタケノコがでてるかもしれません。
明日行ってみよう。あと茗荷も出るし、クワの実もなる。夏はぜも実をつけますし、畑の家には樹齢何十年
かの巨大な丹波栗の木が3本あります。大きな実がたくさんなります。

で、問題は、今年はどうなってゆくんだろう、ということ。
どうしたらいいんだろう、ということ。

わらびはとりあえず採ったけど、これを検査機関に出すかどうか。
明日、もしタケノコが出ていたら、それも検査するかどうか。
よっちゃんちのタケノコを検査に出してもし基準値以下でも、車で10分弱離れた私の家のタケノコを基準値
以下と思っていいのかどうか。そういうわけにもいかんでしょう!

もしよっちゃんちのタケノコが基準値以下だったとしても、我が家のタケノコがオーバーしたら、よっちゃんは
組合内での出荷はできなくなる。茗荷も木の実もぜーんぶ検査するのか、と思うだけでドッと疲れます。

 

今日、道の駅で「元気ー?」と声をかけてきたのは、南相馬から鳴子へ避難中のKMさん。
ほんとにいつも前向きで、暗い顔なんか見たことありません。午前中は喫茶店、午後は幼稚園で働きながら
夜や休日は新聞バッグを作って、道の駅まで届けてくれたのです。
きっと私たちよりももっとたくさんの放射能についての難問を知りながら、どうしたらいいんだろう、と思いながら、
何も言わず、ただ一生懸命に今を生きている。震災前よりも震災後のほうが彼女はきっと日々強く逞しくなって
いってるに違いありません。

「疲れてるみたいね。体大事にしてがんばって!」
パシッ! と背中を叩かれましたが、地震には慣れたけど、放射能はまだこれからなんです。
どうするかなあ、明日タケノコ採るかなあ、検査にだすかなあ。まだウジウジ考えてます。

 

 

 

菊の師匠

近頃急に野鳥が増えたような気がします。
木々に新芽が吹き始めたので、食べる物が豊富になったからでしょう。

道の駅にもツバメがやってきました。巣作りの前につがいの相手を探すのか、チチチ、チチチチと鳴き
交わしながら、凄い勢いで飛び回ってます。

これは道の駅の建物の外灯です。何故かツバメはこの外灯が大好きで、この電気の上に巣を作ります。
この庇の上のもっと高いところに作ればいいのに。糞を落としてお客様の迷惑になってはいけないので
金網がかけられました。それでも今日はこの電気の上に留まってました。熱くないのかしら、といつも
思うのですが。 続きを表示

町の魚屋さん

いよいよゴールデンウイーク間近。私たち自営業者はチョー忙しくなります。

今日の朝は晴れというわけではないんだけど、空気が澄んでいるのか鳴子の山々も、栗駒山もくっきり。
雪はまだ溶けてません。薄くはなってるみたい。夏スキーができる栗駒山は、所々黒い雪解けの
筋が入ってまだ雪がいっぱい。
蔵王エコーラインは今日開通だそうです。雪の壁の高さは7メートルとか。7メートル。凄い!
栗駒山はいつ開くんだろう。

久しぶりに町内の魚屋さんへ行きました。魚屋さんではないんだけど、小さい食品スーパーの中の魚屋さん。
私がこの町に住もうと思うきっかけになった魚屋さんです。

10年以上前、東京新宿のホテルで首都圏在住の福岡の学校の同窓会をやった時、中の一人が「今度宮城に
に千坪土地を買ったのよ。そこに山小屋を建てるの」と言いました。 続きを表示

迷子

南三陸へ行ってきました。

今日は誰もいない防災対策庁舎です。お花がいっぱい。私もお参りさせていただきました。

お地蔵さまも下のほうにいらっしゃいます。

振り向けば道路に信号機ができてます。今、赤信号。

内陸部に向かう奥の方は青信号です。
この広がりの中に、津波の後まもなく、仮設でファミリーマートができたのですが、なくなりました。
この信号から山のほうへ向かう左側に、仮設商店街ができたので、移設したのかもしれません。

今日の南三陸行きは最悪!。 続きを表示

梅は咲いたか。

珍しく2日間雨が真面目に降った後の今日の高温。仙台では20度とか。
一夜のうちにハウスの中の花の茎がウワーッと3、4センチ伸びた感じがして、気が急きます。

何が気が急くんだかよく解からないのですが、とにかく高温になるとなにもかもが一斉に成長してくるので
焦ります。特に草!ついこの間まで枯草だったのが、あっという間に緑になったかと思うと、もう簡単には
抜けなくなりそう。

それでもこの陽気で梅は見ごろだと思うので、行ってみました。

咲いてました。樹齢何年?と木に尋ねたいような大きな梅。これが7千本から8千本というのですからその
凄さがわかるでしょう? 梅を採るための農場なので、きれいな等感覚で並び、花のトンネルができています。

枝垂れ梅です。

最初に見た時には度肝を抜かれましたが、花の時期は何度見てもよく手入れされた素晴らしい梅林だと思います。
去年の5月、緑一色の梅の木の下で、東北応援隊の皆さんと初めてお会いしました。東北応援隊というのは埼玉県ににある「たねの森」の紙さんとその仲間の方です。岩手宮城の沿岸部支援活動の途中で私たちのところに
寄ってくださったのです。

鳴子温泉の避難所K旅館から梅農場にアルバイトに通うようになった三陸タカちゃんちの次男アベ君が、すっかり手慣れた様子で乗用草刈り機を乗り回していましたっけ。
みんなで輪になって梅の木の下で話している途中、長いワゴン車でやってきたのは海山仲間の三陸Sさん。

「車もらってきたよー」と不思議なことを叫んでました。聞けばSさんは元トヨペットの社員で、宮城県のあちらこちらに転勤していた。という縁で要らない車を1台もらったのだそうです。
それからその車を駆使して、元腕利きの営業マンのSさんの活躍が始まりました。

南三陸に戻って、津波で流れ残ったわかめを持ち帰り、「素晴らしいわかめだよ。南三陸のわかめは最高だよ。
今買うほうがいいよ。そのうちなくなるから」
そう言われて、その気になって100袋ものわかめを買いこんだのが海山ネットワークの販売活動の始まりです。
わかめなんて売ったことがないので、どう売っていいのかわからず四苦八苦しました。福岡の友人の協力で完売。

今はもう新わかめが出てますが、南三陸の海で育ったわかめは肉厚で柔らかい美味しいわかめです。
Sさんは今は復興支援員。あちこちの借り上げの住宅を回って被災者を支援し、海山ネットで必要な時には
いつでも駆けつけてきてエプロンがけで販売協力してくれる頼もしい仲間です。

ついでに我が家の庭の斜面にいつの間にか住み着き咲き広がっているヒメリュウキンカです。

 

 

 

物々交換

よっちゃん祭り開催中の福岡、津屋崎。今日は雨とか風とかの天気予報で気がかりです。
昨日の土曜日に、私の中学1年の時からの親友がよっちゃん祭りに行ってくれました。
「山口さん(津屋崎ブランチ代表)に会ったよ。たくさん人が来てたよ。津屋崎には古い昔からの              家が残っていて、ゲストハウスにする計画をすすめているそうよ。今度あんた来た時連れて
行くから」という報告が夜きました。
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1年の後

草が緑になりました。

近所の牛さんです。左側の牛はずーっと藪に頭をつっこんだまま。何してるんでしょう。

朝から出荷を兼ねて、よっちゃん、みっちゃん(奥さん)と道の駅のホールで短時間ミーティング。
お互い手作り個人事業者なので、朝から晩まで作業があって、ミーティングの時間を作る
のも一苦労なのです。来週の広島に向けての荷物の発送の打ち合わせ。 続きを表示

非常時には平常時には見ない物を見て目からウロコです

花の出荷で忙殺されてます。道の駅とほかのお店と朝から夕方まで行ったり、来たり。

朝道の駅に行く時に、久しぶりに自衛隊の何するのかわからないけど、でーーっかい
車輛数台とすれ違いました。

自衛隊なんて首都圏に住んでいる時には、まったくご縁がなくて、新聞やテレビで見るくらい
だったのですが、栗原の大地震や、東日本大震災が起こったため、身近に自衛隊の車や
隊員さんを見ることが多くなりました。 続きを表示

奇跡のような。

梅の花が綻んできました。

梅農場の梅もだいぶ咲いたかな。                                                     越してきて初めて佐藤農場の梅を見た時には驚きました。
今は海山ネットメンバーでもあるSSさんが開拓者である梅農場の3代目だと知っているから
納得しますが、道路を挟んで左右に延々と花のトンネルを作る梅の木は太く、大きく、
その数7千本とか8千本とか。 続きを表示