一人ぼっちのお正月

今、東北はこんな状態でありながらも普段と変わらぬくらい、年賀状が届く。
出す方は、年賀状なんて出していいのかなあ、と迷われた方も多いかもしれない。

正月前までは、どうしようかなあ、と迷ったりしていたけど、やっぱり一日一日と年賀状を書いて
普段の年と同じくらい書いて出し終えた。

テレビで見た仮設住宅住まいの年配の女性の方が「いつもだったら50枚くるんだけど、今年は5枚だけ。
住所がわからないからねえ」と寂しそうに言っていた。
仮設住宅で、息子さんが亡くなられたか来られなくなったかで、お正月を一人で過ごされている方だった。
炬燵の上にはちゃんとお重におせち料理が並べてあった。

何時もの年だったら近所の人と賑やかにお正月を過ごせるのだが、仮設で知っている人がいない。
だから一人で過ごすしかないんだ。笑顔でそう言い切っているけど、一人だよ。
一人でおせち食べて誰とも話さないでテレビを見て三が日を過ごすなんて寂しいだろうなあ。

私は全くの市街地の生まれ育ちで、結婚してからは九州から東京までの大都市を転勤した後
首都圏に住み、最後にこの山間の集落に移ってきた。夫も子供もいるけどずーっと核家族だった。
都会の転勤族には地域での繋がりは無いに等しいから、一人には慣れている。
一人が寂しかったら、自分から求めて仕事に出たり、サークルに入ったりしなければ寂しさは
解消されない。

そんな風に生きてきて、人間関係が濃密なこの集落に住み始めた時、この小さな町の人々はほとんど
みんなが知り合いなのだろう、と思ってしまった。
でも月日を重ねるにつけ、だんだんわかってきたことは、山一つ越えた向こうの集落の人をここの集落の
の人は知らず、逆もまた同じということだった。

東北沿岸部のリアス式海岸。入り江のひとつひとつにある漁港の町は、きっとそこだけでみんなの顔が
わかりあって助け合いながら暮らして来られたのだろうと思う。入り江がひとつ違えばもうそこはもう
違う人たちの漁港の町だったのではないだろうか。

集落の人たちがみんな一緒で固まって仮設住宅に入れればよかったのだが、あの混乱で仮設住宅
入居は抽選になり、私たち海山ネットが親しい避難所の方々も散り散りになってしまった。
仮設の女性の方の一人で過ごすお正月の寂しさを、ただ見るのではなく、少しでも寂しくないような
次のお正月が迎えられるように、心を寄せ続けたいと思ったものだった。