寒すぎる!

ちょっといくらなんでもこれは寒すぎです。
今朝、マイナス15度。東北に住むようになって10年以上経ちますがこんなに低温は初めて。
と電話をした時、よっちゃん農場の奥さんミッチャンに言ったら「嫁にきてから初めて」と。

お風呂に入れないと。水道が凍ったんですねえ。
今朝の道の駅では、壊れた、壊れたばっかり。トイレが使えない。水が出ない。管を保護している
水道でも蛇口が凍って出ない。車のエンジンがかからない。洗濯機が使えない(これは娘の家) 続きを表示

寒波

今日、夕方5時に国道47号線を車で走っていて、電光掲示板の温度がマイナス7度。
北海道じゃないんだから、津軽じゃないんだからこれはちょっとびっくりするような温度です。

帰宅して夜8時になったら、外気温はマイナス10度。外は真っ暗なんですけど、空は
晴れ上がって月も星も煌々と輝いています。
引っ越してきて10年、明け方にマイナス10度にはなったことはあるけど、夕方とか
夜の7時や8時にこんな低温になったことはないですよ。 続きを表示

ある出会いの物語

いつだったか忘れてしまったけれど、2、3年ほど前のことです。
千葉在住の方から、ある日「お花がほしい」と連絡がありました。茶花だったか菊だったか
そんな花だったと思います。古い話でもう詳細は忘れてしまっているのですが、たぶんその
お花が町に出回らない時期で、でも必要で、以前道の駅に来られたお客様が花屋の
私の名を覚えておられてお電話を下さったのだと思います。 続きを表示

手拭い1本もない

元南三陸新報記者O氏の写真を受け取りに佐沼へ。

佐沼は南三陸からの被災者のための大きな仮設住宅がある町で、うちから30分ほど。
まあ、あっちでもこっちでも工事に次ぐ道路工事。所々で剥がしたアスファルト片が道路脇の
空き地のようなところに山になって置かれている。宮城県は土地だけは広ーくて余りあるほど
あるから、こんな時には困らないんだなあ。 続きを表示

ミラノへ始動

昨年末、「イタリアで日本からのメッセージとしてのイベントを考えてます」とミラノ在住のKさんから、
ご連絡を頂いてから、メンバー揃って、天から降って湧いたような、え、イタリア? 嘘?というような
非現実的感覚でぼう然としていたのですが、いよいよ時間切れになってきて、今日から始動!

気を引き締めて本気になってきました。
道の駅でお餅の仕事を終えてから、海山ネット事務所で元南三陸新報記者O氏と事務局Kと
3人で写真集めのミーティング。O氏は志津川での被災時に逃げた高台から(奥様も足が悪い
お母様も父様も無事。でも会社の同僚が亡くなられ、まだ見つからないご親族もいらっしゃいます)
撮った志津川湾を襲う津波の写真を3十数枚展示用に作り上げて所持されています。 続きを表示

ミラノへ

今、悩ましく考え込んでいることがひとつある。

昨年末イタリアはミラノ在住のKさんという日本人女性の方からメールをいただいた。
Kさんはミラノで手作りの雑貨のお店を開いていらっしゃるとのこと。

お父様が山形ご出身で、東北にご親戚がたくさんいらっしゃるので、今度の震災ではずいぶん
心を痛められた。 続きを表示

スクラップブックつくり

頭にきてても仕方がないので、何か東北の現状を伝える手立てはないかと考える。

そうだ!!、と思いついたのがスクラップブック。
確か茶色の紙に新聞の切り抜きを張り付けた思い出が大昔にある。
あれだ。あれをやろう。
と、近所のスーパーへ行ってスクラップブックを購入。ついでに糊とはさみも。

そしておもむろに、これまで読んだ新聞、読まなかった新聞。
大震災以来、できるだけ使わないように重ね置いてきた新聞を一枚一枚
丹念に読む。

そして感じたこと。 続きを表示

がっかり、がっかり、ほんと!がっかり!!!

朝道の駅で、鳴子避難中の南相馬のKさんと待ち合わせ。彼女は海の手メンバーで新聞バッグ作りの
エキスパート。この半年で新聞バッグ作りの講習ができる腕前になりました。
久しぶりに会ったので、レストランでコーヒー飲んで情報交換。

お正月は小学生の娘さんと中学生の息子さんと3人で過ごしたそうです。ご主人と長男さんは南相馬。
ついこの間までご主人は新潟でお仕事と聞いていたから、「ご主人戻られてよかったね」と言ったら
中学生の息子さんが新潟の高校に入るから、また3か所に分かれての生活だからどーしようって。 続きを表示

小さな小さな経済の回転

朗報です!!

 

朝、世田谷のチームワンネスさんよりご連絡があり、世田谷ボロ市での全商品。
気仙沼公園仮設住宅の方々が作ったフッコロ他、海の手山の手で作った新聞バッグ、
布バッグ、エコバッグ、コースターなど、それから新しい仲間の方4人の方の作品、

ぜーんぶ、初日の土曜日には8割方、翌日曜日には大変な人出で早々に完売
したそうです。
嘘みたい! 正直売れないんじゃないかなあ、と思ってました。                               メンバーのKが黙々黙々黙々と物も言わずにラッピングに専念していた努力が実りました。

チームワンネス、気仙沼の方々、新しい仲間の方々。
この寒空に2日間、物だけ送って販売していただいてありがとうございました。
これまで何度も販売したので、2日の疲労はよくわかります。
見たとき、涙出そうだった。それほど「売れないだろうなあ」と諦めているという
ことなんですが。

前回と合わせてみーんなで3十万円以上の売り上げ。さすが大都市東京、宮城では
絶対にこうはゆきません。売り上げの一部が、難病と闘う子供たちのために
来年発刊される絵本の支援として、リブフォーライフ美奈子基金に送られました。

どうしてテームワンネスさんと知り合うことになったのか、というと
ほんとにちょっとしたきっかけです。

四万十に行った時、四万十ドラマの社長、畦地さんそしてその仲間の方々と
ご一緒の、美味しーいカツオ料理のお食事に誘っていただきました。その宴に
だいぶ遅くなって参加された歌手のうーみさん。宴も終わって別れ際、
うーみさんに「お布団ありませんか?」と声をかけられました。

「お布団?」

石巻で被災され一か所に数世帯で避難生活を送られていた方々が、家の修理が
終わって戻られることになり、お布団が必要とのこと。
宮城に戻って、必要数の3組のお布団を手に入れたら、受取りに佐沼まで来て
くださったのが、津山の優さん。優さんは東京から来られたチームワンネスの方々ご一緒に、大震災後、
気仙沼で炊き出しをされていたワンネスメンバーお一人でした。

それがたまたま世田谷ボロ市が行われる前で、誘っていただき、リブフォーライフ
美奈子基金の方ともお知り合いになり、絵本を作る一助にもなれました。

縁というのはほんとに不思議。一つの同じ目標があれば、選んでなくともこうして
自然にひとつひとつ繋がっていくんですねえ。
売り上げのお金は、新聞バッグを作ってくれた南三陸、女川、南相馬の海の手さん
のところに行き、また海山ネットが活動するための源になり、そこでまた新聞バッグが
作られて同じ工程が繰り返される。

小さな小さなお金の回転。小さな小さな経済復興への確かな足取りになれば
いいと思うのですが・・・・。
でも、小さすぎるか!