閖上漁港、石巻

              家の前の電線の不調でブログが書けなくなっていたよっちゃん農場のドタバタ日

      記が今日から復活しました。これで一安心です。

      私もよっちゃん同様、福岡からお客様が見えたり、四万十ドラマの畦地氏やデザ

      イナーの迫田氏とお会いしたりいろいろ忙しい時間を過ごしましたが、今日は初

      めて行った閖上漁港と石巻のことを書きます。

      福岡から東北被災地を視察に来られた(株)サン電工舎の取締役3人とカメラマン

      をご案内して閖上漁港と石巻に行きました。仙台東部道路から見る県南被災地

      は塩水を被った木や草は茶色に枯れています。一面に茶色で所々水が溜まって

      います。朝市で有名だった閖上漁港はどこにあるのかわかりませんでした。「閖

      上漁港はどこですか」と尋ねて「その辺り」と教えてくれたガードマンが指差す辺り

      には10メートルもそれ以上もあるガレキの山々々。「復興」とか「復旧」とか言葉

      では言うけれど、元に戻るとは思えない光景です。振り向くと、震災前にはあった

      だろう住宅の全てが土台を残して全くなくなり、草が生えた広場の風景でした。

       石巻は全く違う、津波に貫通されて空洞になりぼろぼろになった住宅の密集

      地でした。これだけたくさんの家々にどれほどたくさんの方々が住まわれていた

      のか。人の姿はないに等しいけれど、どこに行かれたのだろう。そしてこれだけ

      の家を解体するとどんなにたくさんのガレキが出ることだろう。いつか新聞で

      見た、宮城のガレキ処理は100年かかる、と書かれた記事が心に蘇ります。

       日和山から海を見ると、バラバラになった防波堤が海に沈んでいました。

      1日2回家の中に入ってくる海水です。もし私の家がこの中にあって住める形

      を僅かでも残していたとしたら。壁や窓にブルーシートや板を何枚も張り、人

      が住まわれているらしい家もあります。

      何もかもすっかり失くなってしまった南三陸とは全く違う被災地の形でした。

      このブログは復興へ向かっての一歩一歩の記録として書き始めたのだけれど、

      今は復興という文字が心に沿わなくなってきています。もしかしたら復興でも

      復旧でも再生でもなく、創生、新しく作ることへの一歩一歩の記録なのかもしれ

      ない。そんな思いがしています。