手を使って物を作ろう

             福岡の友人達から荷物が送られてきた。

      友達のまたお友達という方から(お歳は80歳を越えられているらしい)これまで

      作りためたというキルトのバッグをたくさんと、みんなで作ったというたくさんのお

      炊事帽子。全部を売って支援金にしてくださいということだが、あまりにも手の込

      んだキルトバッグで、こういうものを簡単にお金に替えていいのかと思うほどレベ

      ルが高い。デザインも色使いも都会的で、知り合いの手芸店で値段をつけても

      らったら1万円でも買うお客様がいると聞いて仰天。お返ししようかと友達に尋

      ねたら、それでもいいと仰ってくださっているというので売ることにした。

      もうひとつのお炊事キャップは、どんなものだろうと私自身も思っていたが、可

      愛いデザインで、お餅屋の私には丁度よい。三角巾を被るよりよほど涼しく

      軽いので、同じくお餅屋の夫にも被せた。出かけたところで帽子を見せたら

      あっという間に売り切れた。蕎麦屋の女性たち、厨房で使うという男性、ヘル

      メットの下に丁度よいという男性、闘病中の病床で被るという方、使い方はさま

      ざまだ。ほんの少しの布地で作れる簡素で可愛いお炊事キャップ。 Oさんに

      たくさん作って、とお願いしたが、これからはこうしてみんなが手で作れるものを

      作ったほうがいいのではないかしら。私が子育てをしていた頃は、子供の服を

      自分で縫っていた。本をみながら。セーターも自分で編んでいた。それが何時の

      間にかできるだけ安価な既製品を買い、着なくなったら捨てるような生活を長

      年続けてきた。全部が全部とは言わないけれど、少しでも手を使おうよ、と見直

      すきっかけになればいい。キルトのバッグはまた作って送ります。目標ができて

      ありがたいとのこと。心を込めて作りますから売って支援金にしてくださいという

      みんなの想いを受け止めて、丁寧に販売しようと思います。

       ありがとうございました。                   山の手S記

      

    

新しい生活がはじまる

           今朝のテレビ番組で、みのもんたが南三陸町を訪ねていた。南三陸の町を撮り

     続けているという写真家の人が「この町を訪れる人に、南三陸町をこんな町だと 

     思われたくない」とみのもんたに津波で流される前の南三陸町の写真を見せて

     いた。きれいな町だ!入り江の向こうもこちらも緑の中にこぎれいな住宅が建ち

     並んでいる。

     首都圏からこの地に移ってしばらくした頃、結城登美雄氏の著書で知った唐桑

     半島に行ったことがある。驚いたのは手付かずの自然だった。この時代であり

     ながら海に向かってなだれ落ちる岸壁を覆うように白い花が咲いていた。

     岸壁の上の原生林の中にも紅色の百合や野生のキクが咲き乱れている。

     深い松林や砂浜が目に馴染んだ郷里の福岡の海辺の町はもうすっかり様代わ

     りして、こんな風景は残っていない。なんと美しいところだろう、と感動して帰って

     きた唐桑半島は、もう美しさも何もなく、「今は写真に撮るよなところではない」先

     日訪れた知人はそう言っていた。

     菊栽培の先生になっていただいた南三陸のOさんご夫妻が仮設住宅に当選され

     た。奥さん曰く「当たっちゃったのよ」おめでとうとも言いにくい。歌津の外れのほ

     うだとか。ここから車で2時間半では行かないかもしれない。海山ネット商品の

     布小物作りをお願いしていた奥様は「当たっちゃったから行くしかない」けれど、

     仮設に入ってからも小物づくりは続けてくれるそうだ。

     もう一人のエミコさんは仮設入居を止めて、鳴子の住宅を借りることが決まった。

     これから始める週1回のパンとお菓子づくりに参加してくれるそうだし、海山ネット

     の簡単な事務も引き受けてくれた。

      せっかく知り合った人たちが遠くに行くのは寂しいけれど、これが新しい生活

     の始まり。これからまた送られてきた支援の品々を持って南三陸まで押しかけ

     て行こう。地震、津波で知り合った縁を大切にして。

                                       山の手S記